智囊 / 權奇・韓雍
公鎮兩廣,防患甚嚴,心腹一二人外,絕不許登階,亦多以權術威鎮之。一日與鄉人宴於堂後,鞠蹴為戲,既散,潛使人置石炮,有觀者,因指示曰:「此公適所蹴戲也。」眾吐舌,咸以公為絕力。所張蓋內暗藏磁石,以鐵屑涂毛髮間,每出坐蓋下,須鬢翕張不已,貌既魁岸,復睹茲異,驚為神明焉。〔評〕夷悍而愚,因以愚之。
新字:公鎮両広,防患甚厳,心腹一二人外,絶不許登階,亦多以権術威鎮之。一日与郷人宴於堂後,鞠蹴為戯,既散,潜使人置石炮,有観者,因指示曰:「此公適所蹴戯也。」衆吐舌,咸以公為絶力。所張蓋内暗蔵磁石,以鉄屑涂毛髪間,毎出坐蓋下,須鬢翕張不已,貌既魁岸,復睹茲異,驚為神明焉。〔評〕夷悍而愚,因以愚之。
書き下し
公、両広に鎮し、患を防ぐこと甚だ厳し。心腹の一二人の外、絶えて階に登るを許さず。亦た多く権術を以て之を威鎮す。一日、郷人と宴を堂後に為し、鞠蹴して戯と為す。既に散じ、潜かに人をして石炮を置かしめ、観る者有らば、因りて指示して曰く、「此れ公の適たま蹴戯する所なり」と。衆、舌を吐き、咸な公を以て絶力と為す。張る所の蓋は内に磁石を暗蔵し、鉄屑を以て毛髪の間に塗る。出でて蓋の下に坐する毎に、鬚鬢翕張して已まず。貌既に魁岸にして、復た茲の異を睹る。驚きて神明と為す。〔評〕夷は悍にして愚なり、因りて之を愚にす。
現代語訳
韓雍は両広に駐在し、変事に備えることがきわめて厳重であった。腹心の一、二人以外は、決して階に登ることを許さなかった。また多く権謀術数をもって人々を押さえつけた。ある日、同郷の人々と堂の後ろで宴を開き、蹴鞠を遊びとして楽しんだ。宴が終わると、ひそかに人に石の弾を置かせ、見物人がいれば、指さして「これは公がさきほど蹴って遊んだものです」と言った。人々は舌を出して驚き、みな公を並外れた怪力だと思った。差しかける傘の中には磁石を隠し、髪や鬚に鉄粉を塗っていた。出て傘の下に座るたび、鬚や鬢がひらひらと動いて止まなかった。容貌がすでに堂々としている上に、この不思議を見て、人々は驚き、神のようだと思った。〔評〕異民族は荒々しくて愚かである。だから愚かな手段で彼らを押さえるのだ。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』靈變・韓雍韓雍は弱冠にして御史と為り、出でて江西を按ず。時に詔の鎮守中官に下るあり。而して都御史は誤りて其の封を啓き、懼れて以て雍に咨う。雍は中官を宴することを請い、身ずから為に之を解かんとす。明日、偽りて封識を為り、舊封を懐に藏し、会に俟ちて、郵卒をして持ちて以て己に付せしめ、佯りて知らずして之を啓く。稍や一二語を読み、即ち驚きて曰く、「此れ吾が当に聞くべき所に非ず」と。遽かに吏をして中官に還さしむ。則ち已に潜かに舊封を易えたり。雍は起ちて罪を謝し、復た郵卒に杖を与えんと欲す。中官は以て誠と為し、反って為に救解し、歓飲して罷む。〔述評〕此れ即ち王韶が郭逵を欺くの計にして、做すこと更に無痕跡なり。郭逵は西帥為り、王韶は初め西事を措置するを以て辺に至る。逵は其の必ず辺患を生ずるを知り、因りて辺備の財賦、商賈に連なるを、牒を移して問を取る。韶は之を読み、怒りを顔色に形し、牒を地に擲つこと久しく之が、乃ち徐ろに取りて懐に納め、入りて復た出で、使者に対して之を砕く。逵は其の事を奏す。上は以て韶に問う。韶は原牒を以て進むるに、一字の損壊無し。上は韶の計を悟らず、逵の言を直とせず、是れより凡そ逵の論ずる、詔は皆な報せず、而して韶は遂に志を得たり。韓襄毅は蛮中に在り、一郡守あり酒具を治めて進め、盒を用いて妓を内に納れ、徑ちに幕府に入る。公は必ず隠れたる物有るを知り、郡守を召し入れ、盒を開き、妓をして酒を奉ぜしめ、畢わりて仍お盒中に納め、太守に随いて出ださしむ。〔評〕此れ必ず蛮守の此に仮りて公を窺わんと欲するのみ。公は其の意を拂わず、之を処すること事無きが如く然り。此れ豈に死講道理の人の知る所ならんや。(原文は途中で切れており、確かでない)
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『智囊』制勝・韓雍天順の初め、兩廣亂れ、韓公雍往きて討つ。師、大藤峽に次るに、道隘く、旁らに水田を夾む。儒生、里老數百人有り、跪きて香を持ちて曰く、「我が輩、賊に苦しむこと久し。今幸いに天兵至り、良民と為るを得たり。願わくは三軍の鋒に先んぜん」と。公、遽かに叱して曰く、「是れ皆な賊なり。我が為に縛りて斬れ」と。左右、初めは亦た疑う。既に縛るに及びて、袂の中より利刃出ず。乃ち悉く頸を斷ち、手足を截ち、腸胃を刳り、箐棘の中に分かち掛け、累々として相い屬ぬ。賊、大いに驚き沮む。公、嘗て兵を出だし、五鼓に戰わしむる令あり。將領、賊の已に覺れるを聞き、遲れて事を失わんことを恐れ、二更に即ち發して、大いに之を破る。公、其の功を賞して、而して違令の罪を問う。軍令を以て當に斬るべし。乃ち具に聞して釋さんことを請う。曰く、「萬一、命を用いずして敗れなば、奈何せん」と。人、公は將を將いるの體を得たりと謂う。〔評〕街亭の馬謖、好水川の任福の敗は、皆な令に違うを以て之を致す。必ず功を貪らず、而る後に功は萬全に成る。公の慮り遠し。
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『智囊』遠猶・周宗・韓雍烈祖、建業に鎮たりし日、義祖、広陵に薨ず。致意の将に奔喪の計有らんとするに、康王以下の諸公子、周宗に謂いて曰く、「幸いに聞く、兄長は家国多事なりと。宜しく情を抑え礼を損ない、西渡を労すること無かるべし」と。宗、王の本意に似ざるを度り、堅く簡を報ぜんことを請い、信を烈祖に示さんとす。康王は匆遽を以て詞と為す。宗、袖中より筆を出し、復た左右の為に紙を取り、故茗紙の貼を得て、手札を乞う。康王已むを獲ずして札して曰く、「幸いに東府に就きて哀を挙げよ。多塁の秋、二兄は奔喪を以て念と為す無かれ」と。明年、烈祖、広陵に朝覲するに、康王及び諸公子、果たして上の手を執りて大いに慟し、上は臨喪を以て意と為さずと誣い、詛譲すること百端、物の聴を動かさんことを冀う。上因りて王の書する所を出して以て之に示す。王は面に見顔するのみ。韓公雍、江右に旬宣せし時、忽ち寧府の弟某王至ると報ず。公、疾に托して、少しく需たんことを乞い、密かに人を遣わして三司を馳せ召し、且つ白木の几を索む。公、匍匐して拝迎す。王入り、具に兄の叛状を言う。公は病聵を辞して聴く莫く、書せんことを請う。王紙を索め、左右、几を舁ぎて進む。王、詳しく其の事を書して去る。公、其の事を上る。朝廷、使を遣わして按ずるに、跡無し。時に王の兄弟は相い歓び、諱みて言う無し。使還り、朝廷は韓を親王を離間するの罪に坐し、械して以て往かしむ。韓、木几の親書を上げて、方に釈さる。
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『智囊』權奇・楊璡楊璡、丹徒の知県を授かる。会たま中使、浙に如き、至る所、守令を縛して舟中に置き、賂を得て始めて釈く。将に丹徒に至らんとす。璡、善く泅ぐ者二人を選び、耆老の衣冠を著せしめ、先に馳せて以て迎えしむ。中使、怒りて曰く、「令は安くにか在る。汝、敢えて来たりて我に謁するか」と。左右に令して之を執らしむ。二人、即ち江中に躍り入り、潜遁して去る。璡、徐に至り、紿きて曰く、「聞くならく、公、二人を江中に駆りて溺死せしむと。方今、聖明の世、法令は森厳なり。人命を如何せん」と。中使、懼れ、礼謝して去る。他所を歴ると雖も、亦た復た放恣せずと云う。
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『智囊』通簡・韓裒周の文帝の時、韓裒は北雍州刺史と為る。州に盗多し。裒は至りて、密かに之を訪うに、并びに州中の豪右なり。裒は陽に知らず、並びに礼遇を加え、謂いて曰く、「刺史は書生なり、安んぞ盗を督するを知らん。賴む所は卿らと共に其の憂いを分かつのみ」と。乃ち悉く桀黠の少年を召し、尽く主帥に署し、与に地界を分かち、盗発して獲ざれば、即ち故縦を以て論ず。是に於いて諸々の署せられし者は皆な惶懼して首伏し、曰く、「前の盗は実に某某なり」と。具に姓名を列す。裒は因りて名簿を取りて之を蔵し、州門に榜して曰く、「凡そ盗は、急ぎ来りて首せよ。今月を尽くして首せざる者は、顕かに戮し、其の妻子を籍し、以て前に首せし者に賞せん」と。是に於いて旬月の間に盗悉く出で首す。裒は簿を取りて質対するに、爽わず、並びに其の罪を原し、自ら新たにするを許す。是に由りて群盗は息を屏む。
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