智囊 / 權奇・徐道覆
徐道覆,盧循妹夫也,始與循密謀舉事,欲治舟艦,使人伐材南康山,偽云:「將下都貨之。」後稱力少,不能得致,即於郡減價發賣,居人貪賤,爭取市,各儲之家。如是數四,故船板大積。及道覆舉兵,按賣券而取,無敢隱者,乃並力裝船,旬日而辦。〔述評〕道覆雖草竊,其才略有過人者。脫盧循能終用其計,何必遽為「水仙」?其臨死,歎曰:「吾為盧循所誤。使吾得事英雄,天下不足定也!」嗚呼!奇才策士鬱鬱不得志,而狼籍以死者比比矣!天後覽駱賓王檄,歎曰:「使此人沉於下僚,宰相之過也!」知言哉!
新字:徐道覆,盧循妹夫也,始与循密謀舉事,欲治舟艦,使人伐材南康山,偽云:「将下都貨之。」後称力少,不能得致,即於郡減価発売,居人貪賤,争取市,各儲之家。如是数四,故船板大積。及道覆舉兵,按売券而取,無敢隠者,乃並力装船,旬日而辦。〔述評〕道覆雖草窃,其才略有過人者。脱盧循能終用其計,何必遽為「水仙」?其臨死,嘆曰:「吾為盧循所誤。使吾得事英雄,天下不足定也!」嗚呼!奇才策士鬱鬱不得志,而狼籍以死者比比矣!天後覧駱賓王檄,嘆曰:「使此人沈於下僚,宰相之過也!」知言哉!
書き下し
徐道覆は、盧循の妹の夫なり。始め循と密かに挙事を謀り、舟艦を治めんと欲し、人をして材を南康山に伐らしめ、偽りて云う、「将に都に下りて之を貨らんとす」と。後に力少なく致すを得ずと称し、即ち郡に於いて価を減じて発売す。居人、賤きを貪り、争いて市い取り、各おの之を家に儲う。是くの如きこと数四、故に船板大いに積む。道覆の兵を挙ぐるに及び、売券に按じて取る。敢えて隠す者無く、乃ち力を並せて船を装い、旬日にして辦ず。〔述評〕道覆、草竊なりと雖も、其の才略、人に過ぐる者有り。脱し盧循、能く終に其の計を用いば、何ぞ遽に「水仙」と為らん。其の死に臨みて歎じて曰く、「吾、盧循の誤る所と為る。吾をして英雄に事うるを得しめば、天下は定むるに足らず」と。嗚呼、奇才の策士、鬱鬱として志を得ずして、狼籍として死する者、比比たり。天后、駱賓王の檄を覧て歎じて曰く、「此の人をして下僚に沈ましむるは、宰相の過ちなり」と。知言なるかな。
現代語訳
徐道覆は盧循の妹の夫である。はじめ盧循とひそかに挙兵を謀り、船を造ろうとして、人に南康山で材木を伐らせ、偽って、「都に運んで売る」と言った。のちに、人手が足りなくて運べないと称し、郡内で値を下げて売りに出した。住民は安さに惹かれて争って買い、それぞれ家に蓄えた。こうしたことを何度も繰り返したので、船板が大量に民間に積み上がった。道覆が挙兵するに及んで、売り渡した証文をもとに取り戻した。隠す者はおらず、そこで力を合わせて船を整え、十日で仕上げた。〔述評〕道覆は盗賊の身だが、その才略は人に過ぐるものがあった。もし盧循がその計を最後まで用いていたら、どうして急に「水仙」(水に沈んで死んだ者)にならなかったろう。死にのぞんで歎じて言った、「私は盧循に誤られた。もし私が英雄に仕えることができたなら、天下は平定するに足りたのに」と。ああ、優れた策士が、鬱々として志を得ず、乱れた状態で死ぬ者は、数えきれない。則天武后は駱賓王の檄文を見て歎じ、「この人を下級官吏のまま埋もれさせたのは、宰相の過ちだ」と言った。まことに的を射た言葉である。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』武案・任瑰・唐太宗徐敬業兵を挙げ、計を軍師魏思温に問う。対えて曰く、「公既に太后の天子を幽係するを以てす、宜しく身自ら兵を将い、直ちに洛陽、山東に趨くべし。韓、魏は公の勤王を知らば、附く者必ず衆く、天下指日にして定まらん」と。敬業曰く、「然らず。金陵は江を負い、王気尚お在り、宜しく先ず常、潤を並せて覇基と為し、然る後に鼓行して北すべし」と。思温曰く、「鄭、汴、徐、亳は、世々皆な豪傑、武后の上に居るを願わず、麦を蒸して飯と為し、以て我が師を待つ。奈何ぞ金陵を守らんと欲し、死地に投ぜんや」と。敬業従わず、敬猷をして淮陰に屯せしめ、韋超をして都梁山に屯せしめ、而して自ら兵を引いて潤州を撃ち、之を下す。思温歎じて曰く、「兵は分かつを忌む。敬業は席巻して淮を渡り、山東の士を率いて先ず東都を襲うを知らず、吾れ能く為す無きを知る」と。李密の玄感の為に策するは何ぞ智なるや、自ら策を為すは又た何ぞ愚なるや。思温の謀は善し、而して敬業の本謀は、実は勤王を為さず、奈何ぞ之に従わん。李士実も亦た逆濠に勧めて直ちに南都を搗き、安慶を攻むる勿れと。亦た李、魏の故智なり。濠聴かずして敗る。夫れ隋煬は弑虐し、則天は統を篡う。二李の兵を挙ぐるは、猶お名有りと曰う。彼の逆濠は何為る者ぞ。天叛賊を佑けず、即い直ちに南都を搗くも、亦た未だ其の必勝を見ざるなり。按ずるに、宸濠の兵起こるや、声して直ちに南京を取らんと言い、道は安慶を経。太守張文錦、守備楊鋭らと合謀し、軍士をして鼓噪して城に登りて大罵せしめ、逆濠を激怒せしめ、兵を堅城の下に頓し鋭を挫かしむ。而して守仁其の功を成すを得たり。天其の魄を奪うと雖も、文錦諸人の智も亦た術とするに足るなり。
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『智囊』靈變・元伯顏・徐敬業乃顔の反するを告ぐる者有り。詔して伯顔にこれを窺覘せしむ。乃ち多く衣裘を載せて、その境に入り、輒ち以て駅人に与う。既に至るや、乃顔は為に宴を設け、執えんことを謀る。伯顔は覚り、その従者と趨り出で、三道に分かれて逸れ去る。駅人は衣裘を得たるを以ての故に、争いて健馬を献じ、遂に脱するを得たり。徐敬業は十余歳にして、弾射を好む。英公は毎に曰く、「この児は相善からず、将に我が族を赤せんとす」と。嘗て猟に因り、敬業に命じて林に入りて獣を趁わしめ、因りて風に乗じて火を縦ち、意に殺さんと欲す。敬業は避くる所無きを知り、遂に馬の腹を屠りてその中に伏す。火過ぎて、血に浴して立てば、英公はこれを大いに奇とす。〔述評〕凡そ子弟の跅鍮の奇を負う者は、才を恃みて検せず、往往にして家門の禍と為る。敬業の破轅の兆しの如きは、童年に見る。英公は明らかにその族の祟りたるを知りながら、竟にこれを除く能わず、豈に終に其の才智を惜しめるか。抑も英公は武氏を立つることを勧め、唐の子孫を殺すこと殆ど尽くせり、天は故に敬業を以てこれに酬いしならん。諸葛恪に異才有り、その父瑾は歎じて曰く、「この子は大いに我が宗を昌んにせずんば、将に我が族を赤せん」と。その後、果たして逆を以て誅せらる。隋の楊智積は文帝の姪なり。五男有るも、ただ《論語》《孝経》を読むことを教え、賓客に通ぜしめず。或いは故を問えば、答えて曰く、「多く書を読み、広く交遊すれば、才は是に由りて益す。才有れば亦た能く禍を産む」と。人はその識に服す。
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『智囊』迎刃・范檟景王の役が興ると、王の舟は淮を渉った。彭城より寳応に達するまで、供頓は千里、舳艫は万余艘、兵衛は途を夾み、錦纜で牽く者は五万人であった。両淮は各々道を除くこと五丈、民の廬に値えばこれを撤した。木賈は廬の傍らに敝れた舟を置き、土を板の上に覆い、望めば平地のようにして、居る者はそれにより安んじた。時に諸郡は丁夫を括って役を俟ち、呼召は甚だ棘であった。木賈は略ぼ儲待を為さず、漕撫は大いにこれを憂い、檟を召して語ったが、檟は謾って曰く、「明公がおいでなのに、何を慮るのですか」と。漕撫は怫然として曰く、「罪を我に委ねようと欲するのか。我は一老夫、何の済けになろう」と。曰く、「敢えてそうするのではありません。ただ明公を仰げば、これは集め易いのです」と。曰く、「どうするのか」と。檟は曰く、「今王の舟は方に出で、糧舟は必ず閘に入ることを敢えてせず、次を比べて坐して候つとなれば、日々の費は難となりましょう。今旗甲をして舟を守らせ、その十人を用いて夫とすれば、彼らは僦直を得るを利とし、役に趨くことを必ず喜びます。ただ一紙の牌が要るだけです」と。曰く、「もし足らなければどうする」と。曰く、「今鳳陽が夫数万を以て徐を協済しております。役が畢れば必ず淮を道して反ります。もし帰途の便に乗じて、これを資して役すれば、楽んで応じない者はなく、数は具わります」と。都御史は大いに喜んで称服した。檟は進んで曰く、「しかし用いる必要はありません」と。都御史は愕然として起ち、曰く、「何故か」と。曰く、「いま上流に水を蓄え、以て王の舟を済します。黄河に入るに及べば、各閘は皆泄ぎ、勢いは瓴を建つるが若しです。どうして衆を用いましょうか」と。曰く、「これは固より然りだが、彼らは恬然として自ら去るだろうか」と。曰く、「更に計りますから、公は憂えなさるな」と。都御史は歎じて曰く、「君に心計が有り、吾は及ばぬ」と。
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『智囊』見大・秦檜秦檜、国に当たるに、士人の其の書を仮りて、揚州の守に謁する有り。守は其の偽なるを覚り、原書を交して管押して之を回さしむ。檜は之を見、即ち仮すに官資を以てす。或ひと其の故を問う。曰く、敢えて檜の書を仮る膽有り、此れ必ず非常の人なり。若し一官を以て之を束ねずんば、則ち北のかた胡に走り、南のかた越に走らん、と。〔馮述評〕西夏に兵を用いし時、張・李の二生有り、策を韓・范の二公に献ぜんと欲す。自ら媒するを恥じ、詩を碑に刻み、人をして之を曳きて過ぎしむ。韓・范は疑いて用いず。久しくして、乃ち西夏に走り、名を詭わりて張元・李昊と為り、到る処に詩を題す。元昊は聞きて怪しみ、招致して与に語り、大いに悦び、奉じて謀主と為す。大いに辺患と為る。奸檜の此の挙は、卻って韓・范に勝ること遠し。所謂、下下の人にも上上の智有り、なり。人の韓魏公の書を贗作し、蔡君謨に謁する有り。君謨は之を疑うと雖も、然れども士の頗る豪なるを以て、之に三千を与え、因りて書を回し、四兵をして之を送らしめ、並びに果物を魏公に致す。客は京に至り、公に謁して罪を謝す。公は徐ろに曰く、君謨の手段は小なり、恐らくは未だ公事を了するに足らじ。夏太尉は長安に在り。往きて見るべし、と。即ち為に書を発す。子弟は疑い、包容は已に足る、書は発する勿かるべしと謂う。公曰く、士は能く我が書を為し、又た能く君謨を動かす。其の才器は凡ならず、と。関中に至り、夏は竟に之に官す。又た東坡は元贗の間に出でて帥と為り、銭塘に在り。視事の初め、都商税務は匿税の人、南剣州の郷貢進士の呉味道を押し到る。二つの巨巻を以て、公の名銜を作り、京師の蘇侍郎の宅に封じ至らしむ。公は呼びて其の巻中の何物なるかを訊く。
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