智囊 / 經務・張肖甫
復召馬文英、楊廷用,密謂之曰:「向自縛而請者汝耶?」二魁謝死罪,公曰:「壯士故不畏死。雖然,死法無名,汝為我帥眾捕亂,詎論贖,且賞矣,即不幸死,寧死義乎!」二魁亦踴躍聽命。公乃召徐景星出所從驍勇為中軍,俾營兵次之,郡邑土團又次之,嚴部伍,明約束,遂前薄亂民,連敗之,縛百五十餘人,而仕卿與焉。公訊得其倡謀,挾刃而腰金帛者凡五十餘人,皆斬梟之轅門,餘悉釋去。於是群不逞皆散,公念此悍卒猶未伏法,急之或生變,假他事罪之或密掩之則非法,因陽獎二魁功,予之冠帶。榜於營,復其餉如初,咸帖然,當二魁自縛時,要眾曰:「吾以一死蔽若等,姑予我棺殮,給妻子費。」眾為斂金數百,既免而不復反橐,眾頗恨,又各營倡亂者數十,公俱廉得之。屆明年春汛,七營當復發,公於誓師時密令徐景星以名捕營各一人,數其首亂罪斬之。,已後捕馬、楊二魁至,曰:「汝故自請死,今晚矣。且汝既倡亂,又欺眾而攘其資,我即欲貸汝,如眾怒何?」又斬之,凡九首。
新字:復召馬文英、楊廷用,密謂之曰:「向自縛而請者汝耶?」二魁謝死罪,公曰:「壮士故不畏死。雖然,死法無名,汝為我帥衆捕乱,詎論贖,且賞矣,即不幸死,寧死義乎!」二魁亦踴躍聴命。公乃召徐景星出所従驍勇為中軍,俾営兵次之,郡邑土団又次之,厳部伍,明約束,遂前薄乱民,連敗之,縛百五十余人,而仕卿与焉。公訊得其倡謀,挟刃而腰金帛者凡五十余人,皆斬梟之轅門,余悉釈去。於是群不逞皆散,公念此悍卒猶未伏法,急之或生変,仮他事罪之或密掩之則非法,因陽獎二魁功,予之冠帯。榜於営,復其餉如初,咸帖然,当二魁自縛時,要衆曰:「吾以一死蔽若等,姑予我棺殮,給妻子費。」衆為斂金数百,既免而不復反橐,衆頗恨,又各営倡乱者数十,公倶廉得之。届明年春汛,七営当復発,公於誓師時密令徐景星以名捕営各一人,数其首乱罪斬之。,已後捕馬、楊二魁至,曰:「汝故自請死,今晩矣。且汝既倡乱,又欺衆而攘其資,我即欲貸汝,如衆怒何?」又斬之,凡九首。
書き下し
復た馬文英、楊廷用を召し、密かに之に謂いて曰く、「向に自ら縛して請いしは汝なるか」と。二魁は死罪を謝す。公曰く、「壮士は故より死を畏れず。然りと雖も、死するに法に名無し。汝は我が為に衆を帥いて乱を捕らえよ。詎ぞ贖を論ぜん、且つ賞せん。即ち不幸にして死すとも、寧ろ義に死せんか」と。二魁も亦た踊躍して命を聴く。公は乃ち徐景星を召して従う所の驍勇を出だして中軍と為し、営兵をして之に次がしめ、郡邑の土団は又た之に次ぎ、部伍を厳しくし、約束を明らかにし、遂に前みて乱民に薄り、連ねて之を敗り、縛すること百五十余人、而して仕卿も与る。公は訊いて其の倡謀を得たり。刃を挟みて金帛を腰にする者は凡そ五十余人、皆な之を斬梟して轅門に置き、余は悉く釈き去らしむ。是に於いて群不逞は皆な散ず。公は此の悍卒の猶お未だ法に伏せざるを念い、之を急にすれば或いは変を生ぜんとし、他事を仮りて之を罪すれば或いは密かに之を掩えば則ち法に非ず、因りて陽に二魁の功を奨め、之に冠帯を予う。営に榜し、復た其の餉を初めの如くし、咸な帖然たり。二魁の自ら縛せし時、衆に要して曰く、「吾は一死を以て若等を蔽わん、姑く我に棺殮を予え、妻子の費を給せよ」と。衆は為に金数百を斂む。既に免れて復た橐に反さず、衆は頗る恨む。又た各営の乱を倡えし者数十、公は俱に之を廉得す。明年の春汛に屆び、七営当に復た発すべし。公は誓師の時に密かに徐景星をして名捕営ごとに各おの一人を以て、其の首乱の罪を数えて之を斬らしむ。已後、馬、楊の二魁を捕らえ至り、曰く、「汝は故より自ら死を請う、今は晩し。且つ汝は既に乱を倡え、又た衆を欺きて其の資を攘む。我れ即ち汝を貸さんと欲すとも、衆怒を如何せん」と。又た之を斬り、凡そ九首なり。
現代語訳
また馬文英と楊廷用を召し、ひそかに言った。「先に自分を縛って罪を請うたのはお前たちか。」二人の首謀者は死罪を詫びた。公は言った。「壮士はもとより死を恐れぬ。しかし、死ぬのに法の上で名分がないのはよくない。お前たちは私のために兵を率いて乱を捕らえよ。罪の償いを論じるまでもなく、褒賞もしよう。たとえ不幸にして死んでも、正義のために死ぬほうがよいではないか。」二人の首謀者も躍り上がって命令に従った。公はそこで徐景星を召して、従う勇猛な者を出して中軍とし、営兵をそれに続かせ、郡や県の郷土の団練をさらにその次とし、部隊の編成を厳しくし、約束事を明らかにし、そのまま進んで乱民に迫り、続けざまに破って、百五十余人を縛り、その中には丁仕卿もいた。公は取り調べて、その首謀者を突き止めた。刃物を持ち、金や絹を腰に着けていた者は全部で五十余人、みな斬首して轅門にさらし、残りはすべて釈放した。こうして不逞の群れはみな散った。公は、この凶暴な兵たちがまだ法に服していないことを考え、急に追及すれば変事を生じるかもしれず、他の事件にかこつけて罪を問い、あるいは密かにもみ消せば法に反することになるので、表向きは二人の首謀者の功を奨励し、官の冠と帯を与えた。営に掲示し、その給与を元どおりに戻したので、みな落ち着いた。二人の首謀者が自分を縛ったとき、人々に求めて言った。「私は一命をもってお前たちをかばう。しばらく私に棺と葬儀の費用を与え、妻子の生活費を支給してくれ。」人々は彼らのために金数百を集めた。二人が許されたのに、その金を戻さなかったので、人々はひどく恨んだ。また、各営で乱を唱えた者数十人を、公はすべて調べ上げた。翌年の春の警備期になり、七つの営がまた出動することになった。公は出陣の誓いの際、ひそかに徐景星に、各営ごとにそれぞれ一人ずつ名指しで捕らえさせ、その首謀の罪を数えて斬らせた。その後、馬・楊の二人の首謀者を捕らえて連れてきて、言った。「お前たちはもとより自分から死を請うた。いまさら遅い。それに、お前たちはすでに乱を唱え、さらに人々を欺いてその金を奪い取った。私がお前たちを許そうとしても、人々の怒りをどうしようか。」また斬り、全部で九つの首となった。
解説
この章句が説くこと
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