智囊 / 經務・虞允文・韋孝寬・李崇
先是浙民歲輸丁錢絹紬,民生子即棄之,稍長即殺之。虞公允文聞之惻然,訪知江渚有荻場利甚溥,而為世家及浮屠所私。公令有司籍其數以聞,請以代輸民之身丁錢。符下日,民歡呼鼓舞,始知有父子生聚之樂。韋孝寬為雍州刺史。先是,路側一里置一土堠,經雨輒毀。孝寬臨州,勒部內當堠處但植槐樹,既免修復,又便行旅。宇文泰後見之,歎曰:「豈得一州獨爾?」於是令諸州皆計里種樹。魏李崇為兗州刺史,兗舊多劫盜,崇命村置一樓,樓皆懸鼓;盜發之處,亂擊之,旁村始聞者,以一擊為節,次二,次三,俄頃之間,聲布百里,皆發人守險。由是盜無不獲。〔袁了凡曰〕「薛季宣令武昌,鄉置一樓,盜發,伐鼓舉烽,瞬息遍百里,事與李崇合。亂世弭盜之法,莫良於此。獨宋向子韶知吳江縣,太守孫公杰令每保置一鼓樓,保丁五人,以備巡警,盜發則鳴鼓相聞。子韶執不可,曰:「鬥爭自此始矣。」是亦一見也。大抵相機設法,顧其人方略何如。唯明刑、薄賦、裕民為弭盜之本。
新字:先是浙民歳輸丁銭絹紬,民生子即棄之,稍長即殺之。虞公允文聞之惻然,訪知江渚有荻場利甚溥,而為世家及浮屠所私。公令有司籍其数以聞,請以代輸民之身丁銭。符下日,民歓呼鼓舞,始知有父子生聚之楽。韋孝寛為雍州刺史。先是,路側一里置一土堠,経雨輒毀。孝寛臨州,勒部内当堠処但植槐樹,既免修復,又便行旅。宇文泰後見之,嘆曰:「豈得一州独爾?」於是令諸州皆計里種樹。魏李崇為兗州刺史,兗旧多劫盗,崇命村置一楼,楼皆懸鼓;盗発之処,乱撃之,旁村始聞者,以一撃為節,次二,次三,俄頃之間,声布百里,皆発人守険。由是盗無不獲。〔袁了凡曰〕「薛季宣令武昌,郷置一楼,盗発,伐鼓舉烽,瞬息遍百里,事与李崇合。乱世弭盗之法,莫良於此。独宋向子韶知呉江県,太守孫公杰令毎保置一鼓楼,保丁五人,以備巡警,盗発則鳴鼓相聞。子韶執不可,曰:「鬥争自此始矣。」是亦一見也。大抵相機設法,顧其人方略何如。唯明刑、薄賦、裕民為弭盗之本。
書き下し
先に是れ、浙の民は歳ごとに丁銭の絹紬を輸し、民子を生めば即ち之を棄て、稍や長ずれば即ち之を殺す。虞公允文は之を聞きて惻然とし、訪い知るに、江渚に荻場の利甚だ溥きもの有るも、世家及び浮屠の私する所と為れり。公は有司をして其の数を籍して以て聞せしめ、請うて以て民の身丁銭の輸に代えんとす。符下る日、民は歓呼鼓舞し、始めて父子生聚の楽しみ有るを知る。韋孝寛は雍州刺史と為る。先に是れ、路側に一里ごとに一土堠を置くも、雨を経れば輒ち毀る。孝寛は州に臨み、部内の堠に当たる処に但だ槐樹を植えしめ、既に修復を免れ、又旅行に便なり。宇文泰は後に之を見て、歎じて曰く、「豈に一州のみ爾るを得んや」と。是に於いて諸州をして皆里を計りて樹を種えしむ。魏の李崇は兗州刺史と為る。兗は旧より劫盗多く、崇は村ごとに一楼を置かしめ、楼には皆鼓を懸く。盗発するの処は、乱れ擊ち、旁村の始めて聞く者は、一擊を以て節と為し、次は二、次は三、俄頃の間に、声は百里に布き、皆人を発して険を守らしむ。是れに由りて盗は獲られざる無し。〔袁了凡曰く〕「薛季宣は武昌に令たりて、郷ごとに一楼を置き、盗発すれば、鼓を伐ち烽を挙げ、瞬息にして百里に遍く、事は李崇と合う。乱世に盗を弭むるの法は、此れより良きは莫し。独り宋の向子韶は呉江県に知たりて、太守孫公杰は每保に一鼓楼を置き、保丁五人もて以て巡警に備え、盗発すれば則ち鼓を鳴らして相聞かしめんとせしに、子韶は執りて不可とし、曰く、『闘争は此より始まらん』と。是れも亦た一見なり。大抵は機に相いて法を設くるは、其の人の方略の何如を顧みるのみ。唯だ刑を明らかにし、賦を薄くし、民を裕かにするは、盗を弭むるの本なり。
現代語訳
以前、浙江の民は毎年、人頭税として絹や紬を納めていたため、子が生まれるとすぐ捨て、少し大きくなっていれば殺してしまうほどだった。虞允文はこれを聞いて心を痛め、調べてみると、川べりに利益の大きな荻の生える場所があるのに、名家や僧侶に私物化されていることが分かった。そこで役人に命じてその面積を調べて上奏させ、その収益を民の人頭税の納入に充てることを願い出た。許可の書状が下りた日、民は歓声をあげて踊り上がり、はじめて父子が共に暮らす楽しみがあることを知った。韋孝寛は雍州刺史となった。それまで道ばたには一里ごとに土の標識を置いていたが、雨が降るたびに崩れた。孝寛は着任すると、領内の標識を置く場所にはただ槐の木を植えさせた。修復の手間がなくなり、旅人にも便利だった。宇文泰は後にこれを見て感嘆して言った。「どうして一州だけでいいものか。」そこで諸州に命じて、みな里数を測って木を植えさせた。魏の李崇は兗州刺史となった。兗州はもともと強盗が多く、崇は村ごとに楼を一つ建てさせ、楼にはみな太鼓を掛けさせた。盗賊が現れた所では乱れ打ちし、それを聞いた隣の村は一打ちを区切りとして、次は二打ち、次は三打ちと伝え、わずかの間に音は百里に広がり、みな人を出して要害を守った。こうして盗賊は捕らえられないことがなかった。〔袁了凡は言う〕「薛季宣は武昌の長官となって、郷ごとに楼を一つ置き、盗賊が出れば太鼓を打ち烽火をあげ、たちまち百里に行き渡った。これは李崇と同じ事例である。乱世に盗賊をなくす方法として、これ以上のものはない。ただ宋の向子韶は呉江県を治めていたとき、太守の孫公杰が保ごとに鼓楼を一つ置き、保丁五人で巡回警備に当て、盗賊が出れば鼓を鳴らして知らせ合うようにしようとしたのに、子韶は固く反対して言った。『争いはここから始まる。』これもまた一つの見識である。大抵は時機を見て方法を立てるもので、その人の方策次第である。ただ刑罰を明らかにし、税を軽くし、民の暮らしをゆたかにすることが、盗賊をなくす根本である。
解説
この章句が説くこと
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