智囊 / 權奇・王瓊
王晉溪在本兵時,適湖州孝豐縣湯麻九反,勢頗猖獗。御史以聞,事下兵部。晉溪呼齎本人至兵部,大言數之曰:「湯麻九不過一毛賊,只消本處數十火夫縛之,何足奏報?欲朝廷發兵,殊傷國體,巡按不職,考察即當論罷矣!」齎本人回,傳流此語,皆以本兵為玩寇,相聚憂之,賊知朝不發兵,遂恣劫掠,不設備。先是戶部為查處錢糧,差都御史許延光在浙,晉溪即請密敕許公討之,授以方略,許命彭憲副潛提民兵數千,出其不意,乘夜往,賊方擄掠回,相聚酣飲,兵適至,即時擒斬,遂平之。〔評議〕爾時若朝廷命將遣兵,彼必負固拒命,弄小成大。此舉不煩一旅,不費一錢,而地方晏如。晉溪之才,信有大過人者,雖人品未醇,何可廢也。
新字:王晋渓在本兵時,適湖州孝豊県湯麻九反,勢頗猖獗。御史以聞,事下兵部。晋渓呼齎本人至兵部,大言数之曰:「湯麻九不過一毛賊,只消本処数十火夫縛之,何足奏報?欲朝廷発兵,殊傷国体,巡按不職,考察即当論罷矣!」齎本人回,伝流此語,皆以本兵為玩寇,相聚憂之,賊知朝不発兵,遂恣劫掠,不設備。先是戸部為查処銭糧,差都御史許延光在浙,晋渓即請密勅許公討之,授以方略,許命彭憲副潜提民兵数千,出其不意,乗夜往,賊方擄掠回,相聚酣飲,兵適至,即時擒斬,遂平之。〔評議〕爾時若朝廷命将遣兵,彼必負固拒命,弄小成大。此舉不煩一旅,不費一銭,而地方晏如。晋渓之才,信有大過人者,雖人品未醇,何可廃也。
書き下し
王晋溪、本兵に在りし時、適たま湖州孝豊県の湯麻九、反す。勢い頗る猖獗なり。御史、以て聞す。事、兵部に下る。晋溪、齎本の人を呼びて兵部に至らしめ、大言して之を数めて曰く、「湯麻九は一毛賊に過ぎず、只だ本処の数十火夫を消して之を縛すれば足る。何ぞ奏報するに足らん。朝廷の兵を発するを欲するは、殊に国体を傷つく。巡按の不職、考察に即ち当に論罷すべし」と。齎本の人、回り、此の語を伝流す。皆な本兵の寇を玩ぶと為し、相い聚まりて之を憂う。賊、朝の兵を発せざるを知り、遂に恣に劫掠し、備え設けず。先に戸部、銭糧を査処せんが為に、都御史許延光を浙に差す。晋溪、即ち密敕して許公をして之を討たしめんことを請い、授くるに方略を以てす。許、彭憲副に命じて潜かに民兵数千を提げ、不意に出で、夜に乗じて往かしむ。賊、方に擄掠して回り、相い聚まりて酣飲す。兵、適たま至り、即時に擒斬し、遂に之を平らぐ。〔評議〕爾の時、若し朝廷、将に命じ兵を遣わさば、彼、必ず固きに負み命を拒み、小を弄して大を成さん。此の挙は一旅を煩わさず、一銭を費やさず、而して地方晏如たり。晋溪の才、信に大いに人に過ぐる者有り。人品は未だ醇ならずと雖も、何ぞ廃すべけんや。
現代語訳
王瓊(晋溪)が兵部尚書だったとき、ちょうど湖州孝豊県で湯麻九が反乱を起こし、勢いは盛んだった。御史がこれを報告し、事は兵部に下された。晋溪は報告書を持って来た者を兵部に呼び、大声でこれを責めて言った、「湯麻九は一匹の小盗賊にすぎない。その土地の数十人の兵卒で縛れば足りる。どうして上奏するほどのことがあろうか。朝廷に兵を出させたいというのは、国家の体面を傷つける。巡按は職責を果たしておらず、考課のときに罷免を論じるべきだ」と。報告者は帰って、この言葉を広めた。皆は兵部尚書が賊を軽んじていると思い、集まって憂えた。賊は朝廷が兵を出さないと知り、ますます勝手に略奪し、備えを怠った。これより先、戸部が銭穀を調査するため、都御史の許延光を浙江に派遣していた。晋溪はすぐ密勅で許公にこれを討たせるよう願い出て、方策を授けた。許は彭副使に命じ、ひそかに民兵数千を率いて不意をつき、夜に往かせた。賊はちょうど略奪から帰り、集まって酒を飲んでいた。兵がちょうど着いて、その場で捕らえ斬り、ついに平定した。〔評議〕そのとき、もし朝廷が将に命じて兵を派遣していたら、彼らは必ず険しい地形を頼って命令を拒み、小事を大事にしたであろう。この処置は一軍も煩わせず、一銭も費やさず、地方は安らかだった。晋溪の才は確かに人よりはるかに優れている。人品が純粋でないとはいえ、どうして捨ててよいだろうか。
解説
この章句が説くこと
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