史記 / 秦始皇本紀
中人或告丞相,丞相後損車騎。始皇怒曰:「此中人泄吾語。」案問莫服。當是時,詔捕諸時在旁者,皆殺之。自是後莫知行之所在。聽事,群臣受決事,悉於咸陽宮。
新字:中人或告丞相,丞相後損車騎。始皇怒曰:「此中人泄吾語。」案問莫服。当是時,詔捕諸時在旁者,皆殺之。自是後莫知行之所在。聴事,群臣受決事,悉於咸陽宮。
書き下し
中人或いは丞相に告ぐ。丞相後に車騎を損ず。始皇怒りて曰く、「此れ中人吾が語を泄らせり」と。案問するも服する莫し。是の時に当たり、詔して諸の時に旁らに在りし者を捕へ、皆之を殺す。是より後、行の所在を知る莫し。事を聴き、群臣の事を決するを受くるは、悉く咸陽宮に於てす。
現代語訳
宦官の誰かがこのことを丞相に告げた。丞相はその後、車や騎馬の数を減らした。始皇帝は怒って言った。「これは宦官が私の言葉を漏らしたのだ。」取り調べたが、誰も罪を認めなかった。そこで詔を下し、そのとき皇帝のそばにいた者たちを捕らえ、みな殺してしまった。これ以後、皇帝の行く先を知る者はいなくなった。政務を聞き、群臣が決裁を仰ぐのは、すべて咸陽宮で行うことになった。
解説
始皇帝の猜疑心が、恐ろしい形で表れた場面です。丞相の行列が豪勢なのを見て不快に思った始皇帝のつぶやきを、宦官の誰かが丞相に伝えたため、丞相は行列を小さくしました。始皇帝はこれに気づき、自分の言葉が漏れたと激怒します。取り調べても誰も認めなかったので、そのときそばにいた者を全員殺しました。以後、皇帝の居場所を知る者はいなくなり、政務はすべて咸陽宮でのみ行われるようになります。気に入らないことをそれとなく伝え、相手が察して改めたのなら、それで目的は達しているはずです。それなのに、情報が漏れたこと自体を許せず、犯人がわからないからと周囲を皆殺しにしました。こうした恐怖による支配のもとでは、誰も本当のことを言わなくなり、トップのもとには都合のよい情報しか届かなくなります。この後、始皇帝の死が隠され、偽の遺詔が作られる事態へとつながっていくのは、決して偶然ではないのです。
関連する章句
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史記 秦始皇本紀盧生始皇に説きて曰く、「臣等芝奇薬僊者を求むるも常に遇はず、類ひ物之を害する者有り。方中に、人主時に微行を為して以て悪鬼を辟く。悪鬼辟くれば、真人至る。人主の居る所を人臣之を知らば、則ち神を害す。真人は、水に入るも濡れず、火に入るも爇けず、雲気を陵ぎ、天地と久長なり。今上天下を治むるも、未だ恬倓なる能はず。願はくは上の居る所の宮、人をして知らしむる毋かれ。然る後に不死の薬殆ど得可きなり」と。是に於て始皇曰く、「吾真人を慕ふ。自ら『真人』と謂ひ、『朕』と称せじ」と。乃ち咸陽の旁二百里内の宮観二百七十をして、復道甬道もて相連ならしめ、帷帳・鐘鼓・美人之に充ち、各署を案じて移徙せしめず。行きて幸する所、其の処を言ふ者有らば、罪死なり。始皇帝梁山宮に幸し、山上より丞相の車騎の衆きを見て、善しとせず。
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史記 秦始皇本紀侯生盧生相与に謀りて曰く、「始皇の人と為り、天性剛戻自用なり。諸侯を起こし、天下を并せ、意を得欲を従にし、以て自古己に及ぶ莫しと為す。専ら獄吏に任じ、獄吏親幸を得。博士七十人と雖も、特だ員に備へて用ゐず。上刑殺を以て威と為すを楽しみ、天下罪を畏れ祿を持し、敢へて忠を尽くす莫し。上過を聞かずして日に驕り、下懾伏し謾欺して以て容を取る。天下の事小大と無く皆上に決す、上至りて衡石を以て書を量る」と。
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『長短経』懼戒秦の始皇帝、会稽に遊び、沙丘に至りて、疾甚だし。始皇、趙高をして書を為りて公子扶蘇に賜わしむ。未だ使者に授けざるに、始皇崩ず。〔時に始皇に二十余子有り。長子扶蘇は、兵を上郡に監せしめ、蒙恬将たり。少子胡亥は愛せられ、従わんことを請い、上之を許す。余子は従う莫し。丞相李斯以為えらく、上外に崩じ、真の太子無しと。故に之を秘す。群臣知る莫し。〕
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史記 李斯列伝初め、趙高郎中令と為り、殺す所及び私怨を報ずる所衆多なり。大臣の入朝して事を奏し之を毀悪せんことを恐れ、乃ち二世に説きて曰く、「天子の貴き所以の者は、但だ声を聞かしむるを以てし、群臣其の面を見るを得る莫し。故に号して『朕』と曰ふ。且つ陛下は春秋に富み、未だ必ずしも尽くは諸事に通ぜず。今朝廷に坐し、譴挙当たらざる者有らば、則ち短を大臣に見す。神明を天下に示す所以に非ざるなり。且つ陛下深く禁中に拱し、臣及び侍中の法に習ふ者と事を待ち、事来たらば以て之を揆る有らん。此の如くんば則ち大臣敢て疑事を奏せず、天下聖主と称せん」と。二世其の計を用ひ、乃ち朝廷に坐して大臣に見えず、禁中に居る。趙高常に侍中して事を用ひ、事皆趙高に決す。高、李斯の以て言を為さんとするを聞き、乃ち丞相に見えて曰く、「関東の群盗多し。今上急に益々繇を発して阿房宮を治め、狗馬無用の物を聚む。臣諫めんと欲するも、位賤しと為す。此れ真に君侯の事なり。君何ぞ諫めざる」と。李斯曰く、「固より也。吾之を言はんと欲すること久し。今時上朝廷に坐せず、上深宮に居る。吾が言はんとする所の者、伝ふべからず。見えんと欲するも間無し」と。趙高謂ひて曰く、「君誠に能く諫めば、請ふ君の為に上の間を候ひて君に語らん」と。是に於て趙高、二世の方に燕楽し、婦女前に居るを待ちて、人をして丞相に告げしむ。「上方に間なり、事を奏すべし」と。丞相宮門に至りて上謁す。此の如き者三たび。二世怒りて曰く、「吾常に間日多きに、丞相来たらず。吾方に燕私するに、丞相輒ち来たりて事を請ふ。丞相豈に我を少しとせんや、且つ我を固とせんや」と。趙高因りて曰く、「此の如くんば殆し。夫れ沙丘の謀、丞相与れり。今陛下已に立ちて帝と為り、而して丞相の貴さ益さず。此れ其の意亦地を裂きて王たらんことを望むなり。且つ陛下臣に問はず、臣敢て言はず。
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史記 秦始皇本紀黔首修絜にして、人同則を楽しみ、嘉して太平を保つ。後敬みて法を奉ぜば、常治極まり無く、輿舟傾かず。従臣烈を誦し、此の石に刻さんことを請ひ、休銘を光垂す。還りて呉を過ぎ、江乗より渡る。海上に并ひ、北のかた瑯邪に至る。方士徐巿等海に入りて神薬を求むるも、数歳にして得ず、費多く、譴めらるるを恐れ、乃ち詐りて曰く、「蓬萊の薬得可し。然れども常に大鮫魚の苦しむる所と為る、故に至るを得ず。願はくは善く射る者を請ひて与に倶にし、見れば則ち連弩を以て之を射ん」と。始皇夢に海神と戦ふ、人の状の如し。占夢に問ふ。博士曰く、「水神は見る可からず、大魚蛟龍を以て候と為す。今上禱祠備はり謹めるに、此の悪神有り。当に除去すべし、而して善神致す可し」と。乃ち海に入る者をして巨魚を捕ふる具を齎さしめ、而して自ら連弩を以て大魚の出づるを候ひて之を射んとす。瑯邪より北して栄成山に至るも、見ず。之罘に至り、巨魚を見、一魚を射殺す。遂に海に并ひて西す。平原津に至りて病む。始皇死を言ふを悪む。群臣敢へて死の事を言ふ莫し。上の病益甚だし。乃ち璽書を為りて公子扶蘇に賜ひて曰く、「喪と咸陽に会して葬れ」と。書已に封じ、中車府令趙高の符璽の事を行ふ所に在りて、未だ使者に授けず。七月丙寅、始皇沙丘の平台に崩ず。丞相斯上の外に崩じたるが為に、諸公子及び天下の変有らんことを恐れ、乃ち之を秘して、喪を発せず。棺は轀涼車の中に載せ、故の幸宦者参乗し、至る所上食す。百官奏事すること故の如く、宦者輒ち轀涼車の中より其の奏事を可とす。独り子胡亥・趙高及び幸する所の宦者五六人のみ上の死せるを知る。趙高故嘗て胡亥に書及び獄律令法の事を教ふ。胡亥私かに之を幸す。
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史記 秦始皇本紀権勢を貪ること此の如きに至る。未だ為に僊薬を求む可からず」と。是に於て乃ち亡げ去る。始皇亡ぐるを聞き、乃ち大いに怒りて曰く、「吾前に天下の書の用に中らざる者を収めて尽く之を去る。悉く文学方術の士を召すこと甚だ衆く、以て太平を興さんと欲し、方士は練りて以て奇薬を求めんと欲す。今聞く、韓衆去りて報ぜず、徐巿等費すこと巨万を以て計ふるも、終に薬を得ず、徒だ姦利もて相告ぐること日に聞こゆと。盧生等は吾之を尊び賜ふこと甚だ厚し。今乃ち我を誹謗し、以て吾が不徳を重ぬ。諸生の咸陽に在る者、吾人をして廉問せしむるに、或いは訞言を為して以て黔首を乱す」と。是に於て御史をして悉く諸生を案問せしむ。諸生伝へて相告引し、乃ち自ら禁を犯す者四百六十余人を除き、皆之を咸陽に阬にし、天下をして之を知らしめ、以て後を懲らす。益謫を発して辺に徙す。始皇の長子扶蘇諫めて曰く、「天下初めて定まり、遠方の黔首未だ集まらず。諸生皆孔子を誦法す。今上皆法を重くして之を縄す。臣天下の安からざることを恐る。唯だ上之を察せよ」と。始皇怒り、扶蘇をして北のかた蒙恬を上郡に監せしむ。三十六年、熒惑心を守る。墜星有りて東郡に下り、地に至りて石と為る。黔首或いは其の石に刻して曰く「始皇帝死して地分かれん」と。始皇之を聞き、御史を遣はして逐問せしむるも、服する莫し。尽く石の旁らの居人を取りて之を誅し、因りて其の石を燔銷す。始皇楽しまず、博士をして僊真人の詩を為らしめ、及び行きて天下に游ぶ所、伝へて楽人に令して之を歌弦せしむ。秋、使者関東より夜華陰の平舒の道を過ぐ。人有りて璧を持ちて使者を遮りて曰く、「吾が為に滈池君に遺れ」と。因りて言ひて曰く、「今年祖龍死せん」と。使者其の故を問ふ。因りて忽ち見えず、其の璧を置きて去る。使者璧を奉じて具に以て聞す。始皇默然たること良久しくして、曰く、「山鬼は固より一歳の事を知るに過ぎざるなり」と。退きて言ひて曰く、「祖龍とは、人の先なり」と。
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