智囊 / 權奇・吳官童
英廟在虜中,也先以車載其妹,請配焉。上以問吳官童,對曰:「焉有天子而為胡婿者?後史何以載?然卻之則拂其情。」乃給之曰:「爾妹朕固納之,但不當為野合,使朕還中國以禮聘之。」也先乃止,又選胡女數人薦寢,復卻之曰:「留候他日為爾妹從嫁,當並以為嬪御。」也先益加鏡焉。〔述評〕天子不當為胡婿,中國又可給胡人乎?如反正而胡人效女,雖納之可也。厥後英廟復辟,虜使至,官童叩以不來效女之故,使者曰:「已送至邊,為石亨殺媵而納女。」上命隱其事,而亨禍實基於此。
新字:英廟在虜中,也先以車載其妹,請配焉。上以問呉官童,対曰:「焉有天子而為胡婿者?後史何以載?然却之則払其情。」乃給之曰:「爾妹朕固納之,但不当為野合,使朕還中国以礼聘之。」也先乃止,又選胡女数人薦寝,復却之曰:「留候他日為爾妹従嫁,当並以為嬪御。」也先益加鏡焉。〔述評〕天子不当為胡婿,中国又可給胡人乎?如反正而胡人効女,雖納之可也。厥後英廟復辟,虜使至,官童叩以不来効女之故,使者曰:「已送至辺,為石亨殺媵而納女。」上命隠其事,而亨禍実基於此。
書き下し
英廟、虜中に在り、也先、車を以て其の妹を載せ、焉に配せんことを請う。上、以て呉官童に問う。対えて曰く、「焉んぞ天子にして胡の婿と為る者有らんや。後史、何を以て載せんや。然れども之を却くれば則ち其の情に払う」と。乃ち之を給きて曰く、「爾の妹は朕、固より之を納めん、但だ当に野合を為すべからず、朕をして中国に還らしめ、礼を以て之を聘えしめよ」と。也先、乃ち止む。又た胡女数人を選びて寝に薦む。復た之を却けて曰く、「留めて他日を候ち、爾の妹の従嫁と為し、当に並びに以て嬪御と為すべし」と。也先、益ます鏡を加う。〔述評〕天子は当に胡の婿と為るべからず、中国は又た胡人を給くべけんや。如し反正して胡人、女を効さば、納ると雖も可なり。厥の後、英廟復辟す。虜使至り、官童、不来效女の故を叩く。使者曰く、「已に送りて辺に至るも、石亨の為に媵を殺して女を納めらる」と。上、其の事を隠さしむ。而して亨の禍は実に此に基づく。
現代語訳
英宗皇帝(正統帝)が北方の捕虜となっていたとき、モンゴルの也先は車に自分の妹を載せ、皇帝に嫁がせたいと願い出た。皇帝はこれを呉官童(臣下)に尋ねた。官童は答えた、「天子が胡の婿となるなど、あるでしょうか。後世の史書は何と書くでしょう。しかし断れば相手の気持ちに背くことになります」と。そこで偽って言った、「あなたの妹を、私はもとより受け入れよう。ただし、野合のような形にはできない。私が中国に帰ってから、礼をもって迎えさせてほしい」と。也先はそれで止めた。また胡の女性数人を選んで寝所に差し出した。皇帝はこれもまた断って、「とどめておいて後日、あなたの妹の嫁入りに従わせ、一緒に側室とするのがよい」と言った。也先はますます敬意を深めた。〔述評〕天子は胡の婿となるべきではないが、中国の側が胡人をだましてよいものか。もし復位して、胡人が娘を差し出したならば、受け入れてもよいだろう。のち英宗が復位した。モンゴルの使者が来たとき、官童は娘が来なかった理由を問い詰めた。使者は「すでに送って辺境まで来ましたが、石亨が付き添いの侍女を殺して娘を取り込みました」と答えた。皇帝はこの事を隠すよう命じた。石亨の禍は実にこれが基になった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』辯才・楊善善曰く、「若し財物を将て来たらば、後人は官人の銭を愛すと説かん。若し空手にして迎え去らば、官人に仁義有り、能く天道に順い、自古此の好男子無きを見得ん。我、史書を監修し、備細に写し上げ、万代の人をして称賛せしめん」。也先、笑いて曰く、「者、者。都御史の写す、好し者」。次日、上皇に見ゆ。又次日、也先遂に宴を設け、上皇と送行す。〔述評〕楊善の遣わさるるは、止だ是れ消息を探問するのみにして、初めより奉迎の計有らず。善の一席の好語を被り、説きて也先を又明白ならしめ、又歓喜せしめ、即時に人を遣わして善に随いて上皇を護送して来帰せしむ。奇なるかな。晋の懐・愍は、其の必ず得ずと度りて敢えて求めざる者なり。宋の徽・欽は、之を求めて得ざる者なり。庶幾くは趙の廝養卒か。然れども機の乗ず可き者三つ有り。耳・余の輩、皆王を帰さんと欲す、一なり。使者十輩の後を継ぐ、二なり。分争の際、易く利害を以て動かす、三なり。虜は晋・宋の故事に狃れ、方に奇貨居く可しと以えり。
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『智囊』辯才・楊善也先、笑いて曰く、「者」。又、段匹を剪開する事を説く、「是れ回回人の為す所なり。他、一匹を将て剪りて両匹と為す。若し信ぜずんば、去りて他の行李を搜せ。好き者は都て在り」。也先又曰く、「者、者。都御史の説く所は皆実なり。如今、事已に往く。都て是れ小人の説き壊すなり」。善、其の意の已に和するを見て、乃ち曰く、「官人は北方の大将帥と為り、軍馬を掌領す。却って小人の言語を聴き、大明皇帝の厚恩を忘れ、使いて人民を殺擄せしむ。上天は生を好み、官人は殺を好む。父母妻子を想いて脱逃する者有らば、拿住すれば便ち心を剜り胆を摘み、高声に苦を叫ぶ。上天豈に聞知せざらんや」。答えて曰く、「我、曾て他に殺さしめず。是れ下人の自ら殺すなり」。善曰く、「今日、両家和好すること初めの如し。早く号令を出し、軍馬を収回せよ。上天の怒りを発し災いを降すを免れん」。也先、笑いて曰く、「者、者」。問う、「皇帝回去らば、還お做すか否か」。善曰く、「天位已に定まる。誰か再び更換せん」。也先曰く、「堯・舜は当初、如何に来たる」。善曰く、「堯は位を舜に譲る。今日、兄は位を弟に譲る。正に一般なり」。平章昂克有りて問う、「汝、皇帝を取りに来たるに、何の財物を将て来たる」。
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『智囊』辯才・楊善土木の変、上皇、虜に在ること歳余。虜、屢しば奉迎を責め、未だ誠偽を知らず。使を遣わして探問せんと欲するも、其の人に難し。左都御史楊善、慨然として往かんことを請う。虜将也先、密かに一人の黠慧なる者田氏を遣わして迎えしめ、且つ其の意を探らしむ。相い見えて云う、「我も亦た中国の人なり。虜に被われて此に在り」。因りて問う、「向日、土木の囲みに、南兵何の故に戦わずして潰えたるか」。善曰く、「太平日久しく、将卒相い安んず。況んや此の行は只だ是れ扈従随駕にして、初めより敵に対するの号令無し。爾が家に陡然として衝突せらる。如何ぞ走らざらん。然りと雖も、爾が家、幸いにして勝つを得たるも、未だ福と為すを見ず。今、皇帝即位し、聡明英武、諫を納るること流るるが如し。人有り策を献じて云う、『虜人の敢えて中国に入る者は、只だ好馬の山に扒り嶺を過ぎ、関を越えて来るに憑るのみ。若し今、一帯の守辺者、俱に鉄頂の橛子を做り、上に一空を留め、尖頭の錐子を安んじ、但だ人馬の過ぐる所の山嶺に係わるは、遍く錐橛を下さば、来る者は中傷せざる無けん』と。即ち其の計に従う。又一人策を献じて云う、『今、大銅銃は、止だ一個の石炮を用う。打つ所の人少なき所以なり。若し鶏子大の石頭を装すること一斗にして打ち去らば、迸開すること数丈の闊く、人馬の之に触るれば即ち死せん』と。亦た其の計に従う。又一人策を献じて云う、『広西・四川等の処の射虎の弩弓は、毒薬最も快し。若し箭頭に傅けば、一たび皮肉に著くや、人馬立ちどころに斃れん』と。
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『文武訓』武訓下一漢高祖の父太公を、項羽虜にせしに、高祖の求め切ならざる故、項羽つひに太公をかへす。明の英宗を、北狄にいけどり行きしを、其子宣宗、はじめ郎王と称せしが、父とらはれとなり給ひし後、帝位につきて、其父をはるかに尊んで太皇帝と称す。宣宗、北狄に父を乞はず、父とらはれとなり給ひしこと、何ともなげなりしかば、北土に英宗をとらへ置きても益なき故、北虜つひに英宗をおくりかへせり。是、高祖、宣宗の心は、不孝によれるか、知るべからず。其計はよし。父を敵生どり行きしを追ひかけ、父も敵も打亡ぼしたる事ありとなん。後世の人評して、或は褒め或はそしる。其時父をきらず、只父のあとを堅固に領し、兵勢をつよくふるひなば、敵はおのづから其威に服し、其父を生どりてとぢこめ置きても、益なきことを知りて、其父を、此方より求めずして送りかへすべきに、年わかき人は、俄の事にて其思慮なく、又、古のふみを見ず、高祖、宣宗の行ひしことを知らず。
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『智囊』辯才・楊善又其の計に従い、已に薬を取り来たる。天下より三十万の有力にして能く射る者を選び、演習せしめ、曾て罪人を将て試験す。又一人策を献じて云う、『如今、火槍を放つ者は、三四層有りと雖も、彼は放ち了りて又薬を装するを見て、便ち馬を放ちて来たり衝踩す。若し大様の両頭銃を做り、鉄弾子数個を装し、毒薬を擦上し、四層に排し、馬の来たるを候ちて斉しく発せば、俱に肚を打ち穿たん』と。曾て三百歩の外を試験するに皆然り。計を献ずる者は皆、官を升せられ賞を加えられ、天下の智謀有る者之を聞き、皆来たらざる莫し。操練する所の軍馬も又精鋭なり。惜しむべし無用なるを」。虜人曰く、「如何ぞ無用なる」。善曰く、「若し両家和を講ぜば、何をか用いん」。虜人、言を聞き、潜かに往きて報知す。次日、善、営に至り、也先に見ゆ。問う、「汝は是れ何の官ぞ」。曰く、「都御史なり」。曰く、「両家の和好すること許多の年、今番、如何ぞ我が使臣を拘留し、我が馬価を減じ、与うる所の段匹は、一匹を剪りて両匹と為し、我が使臣を館中に閉じて放ち出さざる。這等の計較、如何」。善曰く、「比先、汝が父の使臣を差わして馬を進むるは、三十余人に過ぎず。討む所の物件は、十に二三を与うるも、也た計較無く、一向に和好せり。
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