智囊 / 權奇・公孫申
魯成公時,晉人執鄭伯。公孫申曰:「我出師以圍許,示將改立君者,晉必歸君。」故鄭人圍許,示不急君也。晉欒書曰:「鄭人立君,我執一人焉,何益?不如伐鄭而歸其君以求成。」於是諸侯伐鄭而歸鄭伯。〔述評〕子魚立而宋襄返,叔武立而衛成還,此春秋之已事,亦非自公孫申始也。國朝土木之變,也先挾上皇為名,邀求叵測,於肅愍謝之曰:「賴社稷之神靈,已有君矣。」虜計窘,竟歸上皇,識者以為得公孫申之謀。王旦從真宗幸澶州,雍王元份留守東京,遇暴疾,命旦馳還,權留守事,旦曰:「願宣寇準,臣有所陳。」准至,旦曰:「十日之內無捷報,當如何?」帝默然良久,曰:「立皇太子。」此又用廉頗與趙王約故事。大臣謀國,遠慮至此,亦由君臣相得,同懷社稷之憂而無猜忌故也。項羽欲烹太公,高帝曰:「我翁即若翁,必欲烹而翁,願分我一杯羹。」陳眉公謂太公以此歸漢,亦孤注之意也。
新字:魯成公時,晋人執鄭伯。公孫申曰:「我出師以囲許,示将改立君者,晋必帰君。」故鄭人囲許,示不急君也。晋欒書曰:「鄭人立君,我執一人焉,何益?不如伐鄭而帰其君以求成。」於是諸侯伐鄭而帰鄭伯。〔述評〕子魚立而宋襄返,叔武立而衛成還,此春秋之已事,亦非自公孫申始也。国朝土木之変,也先挟上皇為名,邀求叵測,於粛愍謝之曰:「頼社稷之神霊,已有君矣。」虜計窘,竟帰上皇,識者以為得公孫申之謀。王旦従真宗幸澶州,雍王元份留守東京,遇暴疾,命旦馳還,権留守事,旦曰:「願宣寇準,臣有所陳。」准至,旦曰:「十日之内無捷報,当如何?」帝黙然良久,曰:「立皇太子。」此又用廉頗与趙王約故事。大臣謀国,遠慮至此,亦由君臣相得,同懐社稷之憂而無猜忌故也。項羽欲烹太公,高帝曰:「我翁即若翁,必欲烹而翁,願分我一杯羹。」陳眉公謂太公以此帰漢,亦孤注之意也。
書き下し
魯の成公の時、晋人、鄭伯を執う。公孫申曰く、「我、師を出して以て許を囲み、将に君を改め立てんとするを示せば、晋、必ず君を帰さん」と。故に鄭人、許を囲み、君を急がざるを示す。晋の欒書曰く、「鄭人、君を立つるに、我、一人を執うるも、何の益かあらん。鄭を伐ちて其の君を帰し、以て成を求むるに如かず」と。是に於いて諸侯、鄭を伐ちて鄭伯を帰す。〔述評〕子魚立ちて宋襄返り、叔武立ちて衛成還る。此れ春秋の已事にして、亦た公孫申に自りて始まるに非ず。国朝の土木の変、也先、上皇を挟みて名と為し、邀求は測り叵し。于粛愍、之に謝して曰く、「社稷の神霊に頼り、已に君有り」と。虜計、窘まり、竟に上皇を帰す。識者、公孫申の謀を得たりと為す。王旦、真宗に従いて澶州に幸す。雍王元份、留守して東京に居り、暴疾に遇う。旦に命じて馳せ還り、権に留守の事を摂らしむ。旦曰く、「願わくは寇準を宣べよ、臣に陳ぶる所有り」と。準至る。旦曰く、「十日の内に捷報無くんば、当に如何すべき」と。帝、黙然として良久しく、曰く、「皇太子を立てよ」と。此れ又た廉頗、趙王と約せる故事を用う。大臣の国を謀るや、遠慮して此に至る。亦た君臣相い得て、同じく社稷の憂いを懐き、猜忌無きに由る故なり。項羽、太公を烹んと欲す。高帝曰く、「我が翁は即ち若の翁なり。必ず而の翁を烹んと欲せば、願わくは我に一杯の羹を分かて」と。陳眉公、太公、此を以て漢に帰す、亦た孤注の意なりと謂う。
現代語訳
魯の成公の時代、晋が鄭伯を捕らえた。公孫申は「我が方が軍を出して許を囲み、君主を改めて立てようとする様子を示せば、晋は必ず君を返すでしょう」と言った。そこで鄭の人々は許を囲み、君主の返還を急いでいないことを示した。晋の欒書は「鄭人が新しい君を立てれば、我々が一人を捕らえていても何の益もない。鄭を討って、その君を返して講和を求めるのがよい」と言った。こうして諸侯は鄭を討ち、鄭伯を返した。〔述評〕子魚が立って宋襄公が返り、叔武が立って衛の成公が還った。これは春秋の既往の事例で、公孫申に始まったわけではない。わが明朝の土木の変では、也先が上皇(英宗)を連れて名目とし、要求は計り知れなかった。于謙(粛愍)は断って「社稷の神霊のおかげで、すでに君がおられます」と言った。敵は策に窮し、ついに上皇を返した。識者は公孫申の謀に通じると評した。王旦は真宗に従って澶州に行幸した。雍王元份が留守を預かって東京にいたが、急病にかかった。そこで王旦に急いで戻り、仮に留守の事務を執らせた。王旦は「どうか寇準をお呼びください。私が申し上げたいことがあります」と言った。寇準が来た。旦は「十日のうちに勝報がなければ、どうなさいますか」と言った。帝は長い間黙っていて、「皇太子を立てよ」と言った。これも廉頗が趙王と約束した故事に倣っている。大臣が国の計を謀るとき、先々まで考えてここまで至る。それも君臣が互いに信じ合い、共に社稷の憂いを抱いて、疑い合わないからである。項羽が太公(劉邦の父)を煮ようとしたとき、高帝は「私の父はお前の父でもある。どうしても煮たいなら、私にも一杯の吸い物を分けてくれ」と言った。陳眉公は、太公がこのことで漢に帰れたのは、一か八かの賭けの意があったと言う。
解説
この章句が説くこと
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