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文武訓 / 武訓下

一漢高祖の父太公を、項羽虜にせしに、高祖の求め切ならざる故、項羽つひに太公をかへす。明の英宗を、北狄にいけどり行きしを、其子宣宗、はじめ郞王と稱せしが、父とらはれとなり給ひし後、帝位につきて、其父をはるかに尊んで太皇帝と稱す。宣宗、北狄に父を乞はず、父とらはれとなり給ひしこと、何ともなげなりしかば、北土に英宗をとらへ置きても益なき故、北虜つひに英宗をおくりかへせり。是、高祖、宣宗の心は、不孝によれるか、知るべからず。其計はよし。父を敵生どり行きしを追ひかけ、父も敵も打亡ぼしたる事ありとなん。後世の人評して、或は褒め或はそしる。其時父をきらず、只父のあとを堅固に領し、兵勢をつよくふるひなば、敵はおのづから其威に服し、其父を生どりてとぢこめ置きても、益なきことを知りて、其父を、此方より求めずして送りかへすべきに、年わかき人は、俄の事にて其思慮なく、又、古のふみを見ず、高祖、宣宗の行ひしことを知らず。

新字:一漢高祖の父太公を、項羽虜にせしに、高祖の求め切ならざる故、項羽つひに太公をかへす。明の英宗を、北狄にいけどり行きしを、其子宣宗、はじめ郎王と称せしが、父とらはれとなり給ひし後、帝位につきて、其父をはるかに尊んで太皇帝と称す。宣宗、北狄に父を乞はず、父とらはれとなり給ひしこと、何ともなげなりしかば、北土に英宗をとらへ置きても益なき故、北虜つひに英宗をおくりかへせり。是、高祖、宣宗の心は、不孝によれるか、知るべからず。其計はよし。父を敵生どり行きしを追ひかけ、父も敵も打亡ぼしたる事ありとなん。後世の人評して、或は褒め或はそしる。其時父をきらず、只父のあとを堅固に領し、兵勢をつよくふるひなば、敵はおのづから其威に服し、其父を生どりてとぢこめ置きても、益なきことを知りて、其父を、此方より求めずして送りかへすべきに、年わかき人は、俄の事にて其思慮なく、又、古のふみを見ず、高祖、宣宗の行ひしことを知らず。

書き下し

一漢高祖の父太公を、項羽虜にせしに、高祖の求め切ならざる故、項羽つひに太公をかへす。明の英宗を、北狄にいけどり行きしを、其子宣宗、はじめ郎王と称せしが、父とらはれとなり給ひし後、帝位につきて、其父をはるかに尊んで太皇帝と称す。宣宗、北狄に父を乞はず、父とらはれとなり給ひしこと、何ともなげなりしかば、北土に英宗をとらへ置きても益なき故、北虜つひに英宗をおくりかへせり。是、高祖、宣宗の心は、不孝によれるか、知るべからず。其計はよし。父を敵生どり行きしを追ひかけ、父も敵も打亡ぼしたる事ありとなん。後世の人評して、或は褒め或はそしる。其時父をきらず、只父のあとを堅固に領し、兵勢をつよくふるひなば、敵はおのづから其威に服し、其父を生どりてとぢこめ置きても、益なきことを知りて、其父を、此方より求めずして送りかへすべきに、年わかき人は、俄の事にて其思慮なく、又、古のふみを見ず、高祖、宣宗の行ひしことを知らず。

現代語訳

漢の高祖の父太公を項羽が捕虜にしたとき、高祖が返還を強く求めなかったので、項羽はついに太公を返しました。明の英宗を北方の異民族が生け捕りにして連れ去ったとき、その子の宣宗は、はじめ郕王と称していましたが、父が捕らわれとなった後に帝位につき、その父をはるかに尊んで太上皇帝と称しました。宣宗は北狄に父を返せと求めず、父が捕らわれたことを何とも思わないふうであったので、北方で英宗を捕らえておいても益がないとして、北狄はついに英宗を送り返しました。高祖や宣宗の心は、不孝から出たものかどうかは分かりません。しかしその計略はよかった。父を敵が生け捕りにして連れ去ったのを追いかけ、父も敵も討ち滅ぼしてしまったことがあったといいます。後世の人はこれを評して、ほめる者もそしる者もいます。そのとき父を斬らずに、ただ父の領地を堅固に治め、兵の勢いを強く振るっていれば、敵は自然にその威に服し、その父を生け捕りにして閉じ込めておいても益がないことを知って、こちらから求めなくても送り返してきたはずなのに、年若い人はとっさのことでその思慮がなく、また古い書物を見ておらず、高祖や宣宗の行ったことを知らなかったのです。

解説

身内を人質に取られたとき、焦って相手の言いなりになるより、自分の側を固めて人質の価値をなくすほうがよいという、冷徹な計略論です。項羽が劉邦の父を返した話は『史記』に見えます。明の話は1449年の土木の変で、史実では英宗の後を継いだのは弟の郕王(景泰帝)で、益軒の記述には人名の混同があります。要点は、古の例を知っていれば、とっさの場面でも正しい判断ができたということです。危機の時ほど経験や歴史に学んだ知恵がものを言うのです。

この章句が説くこと

計略歴史判断危機読書

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