智囊 / 權奇・宋太祖
藝祖既以杯酒釋諸將兵權,又慮其所蓄不貲,每人賜地一方蓋第,所費皆數萬,又嘗賜宴,酒酣,乃宣各人子弟一人扶歸,太祖送至殿門,謂其子弟曰:「汝父各許朝廷十萬緡矣。」諸節度使醒,問所以歸,不失禮於上前否?子弟各以緡事對,疑醉中真有是言,翌日,各以表進如數。
新字:芸祖既以杯酒釈諸将兵権,又慮其所蓄不貲,毎人賜地一方蓋第,所費皆数万,又嘗賜宴,酒酣,乃宣各人子弟一人扶帰,太祖送至殿門,謂其子弟曰:「汝父各許朝廷十万緡矣。」諸節度使醒,問所以帰,不失礼於上前否?子弟各以緡事対,疑酔中真有是言,翌日,各以表進如数。
書き下し
芸祖、既に杯酒もて諸将の兵権を釈き、又た其の蓄うる所の貲らざるを慮り、人ごとに地一方を賜いて第を蓋てしむ。費す所は皆な数万。又た嘗て宴を賜い、酒酣にして、乃ち各人の子弟一人に宣して扶けて帰らしむ。太祖、送りて殿門に至り、其の子弟に謂いて曰く、「汝の父は各おの朝廷に十万緡を許せり」と。諸節度使、醒めて、帰りし所以を問い、上の前に礼を失わざりしやと。子弟、各おの緡の事を以て対う。疑うらくは酔中に真に是の言有りしやと。翌日、各おの表を以て進むること数の如し。
現代語訳
太祖(宋の趙匡胤)は、杯酒の席で諸将の兵権を解いた後、さらに彼らの蓄えが少なくないことを気にかけ、一人ずつに土地を一区画与えて邸宅を建てさせた。その費用はいずれも数万に及んだ。またある時、宴を賜り、酒がたけなわになると、それぞれの子弟を一人ずつ呼んで、父を支えて帰らせた。太祖は殿門まで送り、その子弟たちに言った、「お前たちの父は、それぞれ朝廷に十万緡を献上すると約束したぞ」と。節度使たちは酔いが醒めると、どうやって帰ったか、天子の前で礼を失しなかったかを尋ねた。子弟たちは、それぞれ緡のことを答えた。酔っていて本当にそんなことを言ったのかと疑った。翌日、みなそれぞれ上表して、約束どおりの額を献上した。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』遠猶・宋太祖初め、太祖、趙普に謂いて曰く、「唐季より以来数十年、帝王は凡そ十たび姓を易え、兵革息まず。其の故は何ぞや」と。普曰く、「節鎮太だ重く、君弱く臣強きに由る。今、唯だ稍や其の権を奪い、其の銭穀を制し、其の精兵を収めば、則ち天下自ずから安らかならん」と。語未だ畢わらざるに、上曰く、「卿、言う勿かれ。我已に諭れり」と。〔辺批、聡明〕頃之くして、上は故人の石守信らと飲む。酒酣にして、左右を屏け、謂いて曰く、「我は爾曹の力に非ずんば、此に至るを得ず。汝が徳を念うこと、窮まり有る無し。然れども天子と為るも亦た大いに艱難にして、殊に節度使たるの楽しみに若かず。吾、今、終夕未だ嘗て枕を安んじて臥せず」と。守信ら曰く、「何の故ぞ」と。上曰く、「是れ知り難からず。此の位に居る者、誰か之を為さんと欲せざらん」と。守信ら皆な惶恐して頓首し、曰く、「陛下、何為れぞ此の言を出だす」と。上曰く、「然らず。汝が曹、心無しと雖も、其の麾下の人の富貴を欲するを如何せん。
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『智囊』遠猶・宋太祖一旦、黄袍を汝が身に加えば、為さざらんと欲すと雖も、得べからず」と。守信ら乃ち皆な頓首し、泣きて曰く、「臣ら愚にして此に及ばず。唯だ陛下哀憐し、生くべき路を指示せよ」と。上曰く、「人生は白駒の隙を過ぐるが如し。富貴を欲する所の者は、金銭を多く得て、厚く自ら娯しみ、子孫をして貧乏無からしむるに過ぎざるのみ。汝が曹、何ぞ兵権を釈き去り、便好なる田宅を擇びて之を市い、子孫の為に永久の業を立て、歌児舞女を多く置き、日びに酒を飲みて相い歓び、以て其の天年を終えざる。君臣の間、両つながら猜嫌無きは、亦た善からずや」と。皆な再拝して曰く、「陛下、臣に念い及ぶこと此の如し。所謂生死にして肉骨なり」と。明日、皆な疾と称して、兵権を解かんことを請う。〔馮述評〕或いは謂う、宋の弱きは節鎮の権を削りしに由ると。夫れ節鎮の強きは、宋の強きに非ざるなり。強幹弱枝は、自ずから是れ立国の大体なり。二百年の弊穴を、談笑して之を革む。宋世を終うるまで強臣の患無きは、豈に転天移日の手段に非ずや。若し君臣偷安して、力めて和議を主とせずんば、寇準・李綱・趙鼎の諸人、之を用いて余り有り、安んぞ弱きと為さんや。熙寧中、作坊は門巷の委狭なるを以て、請いて直にして寛広にせんとす。神宗は太祖の創始、当に遠慮有るべしとして、許さず。既にして衆工の作苦し、兵を持して門を奪い、出でて乱を為さんと欲す。一老卒、閉ざして之を拒み、遂に出づるを得ず、捕らえて皆な獲らる。
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『宋名臣言行録』前集巻一・趙普語未だ畢らざるに、上曰く、卿復た言う勿かれ、吾れ已に諭れりと。頃くして上、晚朝に因りて故人の石守信・王審琦等と飲む。酒酣にして、上左右を屏けて謂いて曰く、我れ爾曹の力に非ずんば、此に至るを得ず。汝の徳を念うこと窮まり已む無し。然れども天子為るも亦た大いに艱難にして、殊に節度使為るの樂しみに若かず。吾れ今、終夕未だ嘗て敢えて安んじて枕して卧せざるなり。守信等皆な曰く、何の故ぞ。上曰く、是れ知り難からず。此の位に居る者、誰か之を為さんと欲せざらん。守信等皆な惶恐頓首して曰く、陛下何為れぞ此の言を出だす。今、天命已に定まる。誰か敢えて異心有らん。上曰く、然らず。汝曹心無しと雖も、其れ汝が麾下の人、富貴を欲する者を如何せん。一旦、黄袍を以て汝が身に加えば、汝為さざらんと欲すと雖も、得可からざるなり。皆な頓首涕泣して曰く、臣等愚かにして此に及ばず。惟だ陛下哀憐して、生く可きの塗を指示せよ。上曰く、人生は白駒の隙を過ぐるが如し。好んで富貴を為す所以の者は、多く金錢を積み、厚く自ら娱樂し、子孫をして貧乏無からしめんと欲するに過ぎざるのみ。汝曹何ぞ兵權を釋き去り、便好の田宅を擇びて之を市い、子孫の為に永久の業を立て、多く歌兒舞女を置き、日々に酒を飲みて相い歡び、以て其の天年を終えざる。君臣の間、兩つながら猜嫌無く、上下相い安んずるは、亦た善からずや。皆な再拜謝して曰く、陛下臣を念うこと此に及ぶは、所謂る死を生かして骨を肉づくるなり。明日皆な疾と稱して軍權を解かんことを請う。上之を許す。皆な散官を以て第に就く。慰撫賜賚する所以の者甚だ厚く、與に婚姻を結び、更めて制し易き者を置きて親軍を主らしむ。其の後又た轉運使・通判を置きて諸道の錢榖を主らしめ、天下の精兵を收選して以て宿衛に備う。而して諸功臣も亦た善終を以てし、子孫富貴にして、今に迄るまで絶えず。
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『智囊』迎刃・宋太祖・曹彬唐主、太祖の威名を畏れ、間を周主に用う。使を遣わして太祖に書を遺り、餽るに白金三千を以てす。太祖は悉く之を内府に輸し、間は乃ち行われず。周は閤門使曹彬をして兵器を以て呉越に賜わしむ。事畢われば亟やかに返り、餽遺を受けず。呉越の人は軽舟を以て追いて之に与え、数四に至る。彬曰く、「吾は終に受けず、是れ名を窃むなり」と。尽く其の数を籍し、帰りて之を献ず。後、世宗の命を奉じ、始めて拝受し、尽く以て親識に散じ、家に留まる者無し。〔馮述評〕受けざれば、中朝の大なるを見せず。直ちに受くれば、又た臣子の公に非ず。受けて之を献ずるは、最も体を得たり。
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『智囊』見大・曹彬・竇儀宋の太祖、始め周の世宗に澶州に事うるに、曹彬は世宗の親吏として、茶酒を掌る。太祖、嘗て従りて酒を求む。彬曰く、「此は官酒なり、相い与うべからず」と。自ら酒を沽いて以てこれに飲ましむ。太祖の即位するに及び、群臣に語りて曰く、「世宗の吏にして其の主を欺かざる者は、独り曹彬のみ」と。是に由りて腹心を委ぬ。太祖、滁州を下すに、世宗は竇儀に命じてその帑蔵を籍せしむ。数日に至り、太祖は親吏に命じて蔵絹を取らしむ。儀曰く、「公は初めて城を下し、傾蔵してこれを取ると雖も、誰か敢えて言う者あらん。今既に籍有り、即ち官物たり。詔旨に非ずんば得べからず」と。後、太祖は屡ば儀の守る有るを称し、以て相と為さんと欲す。
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