智囊 / 權奇・王敬則
王敬則嘗任南沙縣。時方兵荒,縣有劫賊,群聚匿山中,為民患,官捕之不得。敬則遣人致劫帥曰:「若能自出首,當為申白,請盟之廟神,定無負。」蓋縣有廟神,甚酷烈,鄉民多信之,故云,劫帥許之,即設宴廟中致帥。帥至,即席收之,曰:「吾業啟神矣。若負誓,當還神十牛。」遂殺十牛享神,而竟斬帥,賊遂散。
新字:王敬則嘗任南沙県。時方兵荒,県有劫賊,群聚匿山中,為民患,官捕之不得。敬則遣人致劫帥曰:「若能自出首,当為申白,請盟之廟神,定無負。」蓋県有廟神,甚酷烈,郷民多信之,故云,劫帥許之,即設宴廟中致帥。帥至,即席収之,曰:「吾業啓神矣。若負誓,当還神十牛。」遂殺十牛享神,而竟斬帥,賊遂散。
書き下し
王敬則、嘗て南沙県に任ず。時に方に兵荒なり。県に劫賊有り、群聚して山中に匿れ、民の患いと為り、官、捕えて得ず。敬則、人をして劫帥に致して曰く、「若し能く自ら出首せば、当に為に申白すべし。請う、之を廟神に盟わん、定めて負く無し」と。蓋し県に廟神有り、甚だ酷烈にして、郷民多く之を信ず、故に云う。劫帥、之を許し、即ち宴を廟中に設けて帥を致す。帥至り、即ち席にて之を収む。曰く、「吾、業に神に啓せり。若し誓いに負かば、当に神に十牛を還すべし」と。遂に十牛を殺して神を享し、而して竟に帥を斬る。賊、遂に散ず。
現代語訳
王敬則がかつて南沙県の長官を務めたとき、ちょうど戦乱と飢饉の時期だった。県には強盗の集団がおり、群れをなして山中に隠れ、民の災いとなっていたが、役所は捕らえられなかった。王敬則は人を遣わして強盗の頭領に伝えた、「もし自分から出頭するなら、あなたのために弁明してやろう。廟の神に誓おう。決して裏切らない」と。この県には廟の神があり、たいへん霊験が厳しく、郷の民の多くが信じていたので、こう言ったのである。頭領はこれを承知し、廟の中に宴席を設けて頭領を招いた。頭領が来ると、その席で捕らえた。そして言った、「私はすでに神に申し上げた。もし誓いに背いたなら、神に十頭の牛を返そう」と。こうして十頭の牛を殺して神に供え、結局頭領を斬った。賊はそのまま散った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』詰奸・王浟北斉の王浟、定州刺史と為る。人の黒牛を盗まるる有り、背上に毛有り。韋道建曰く、「王浟は賊を捉うるに獲ざる無し。此を得なば、神と為すべし」と。浟乃ち詐りて上符を為り、甚だ急なるが若くし、牛皮を市わしめ、価値を倍酬す。牛主をして之を認めしめ、因りて其の盗を獲たり。定州に老母有り、姓は王、孤独なり。菜を種うること二畝、数ば偸まる。浟乃ち人をして密かに往きて菜の葉に字を書かしむ。明日、市中に葉を看るに字有り、賊を獲たり。爾後、境内に盗無し。
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『智囊』通簡・蒲宗孟・吳育賊は梁山濼に依り、県官に長梯を用いて蒲葦の間を窺う者有り。蒲恭敏は鄆州に知たり、令を下して禁ず、「小舟に乗りて濼中に出入りするを得る毋れ」と。賊は既に食を絶たれ、遂に散じ去る。呉正粛公は蔡州に知たり。蔡は故より盗多し。公は令に按じて民の為に伍保を立て、其の法を簡にす。民は之を便安とし、盗賊は為に息む。京師に妖賊の确山に聚まると告ぐる者有り、上は中貴人を遣わして馳せて蔡に至らしめ、名を以て捕らうる者十人あり。使者は兵を得て往きて取らんと欲す。公曰く、「使者は兵を借りて威を立てんと欲するか、抑も妖人を取りて以て還報せんとするか」と。使者曰く、「妖人を得んと欲するのみ」と。公曰く、「吾れ此に在り、不敏と雖も、然れども千人を境内に聚むるを、安んぞ知らざるを得ん。今、兵を以て往かば、是れ其の乱を為すを趣かすなり。此れ郷人の相い聚まりて仏事を為し、以て銭財を利するに過ぎず。手ずから召せば即ち致すべし」と。乃ち使者を館し、日々与に酒を飲み、密かに人を遣わして十人を召せば、皆な至る。京師に送りて鞫実し、告ぐる者は誣を以て罪を得たり。
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『智囊』詰奸・王世貞王世貞、兵を青州に備う。部民の雷齢、盗を捕うるを以て莱・濰の間に横す。海道の宋、之を購めること急にして遁れ、以て世貞に属す。世貞、其の処を得、方に掩取せんと欲して、微しく其の語を王捕尉に露わす。還り報ずれば又遁れたり。世貞陽りて曰く、「之を置け」と。又旬月にして、王尉、他盗を擒え得たり。世貞、其の齢の力と為るを知り、忽ち左右を屏けて王尉を召して之を詰す。「若、奈何ぞ雷齢を匿す。往に階下に立ちて捕齢を聞く者、汝に非ずや」と。王驚き謝し、飛騎を以て齢を取りて自ら贖わんことを願う。俄かにして齢至る。世貞曰く、「汝、当に死すべし。然れども汝能く善む所の某某の盗を執え来たらば、汝は生きん」と。而して王尉をして与に倶にせしむれば、果たして盗を得たり。世貞、遂に宋に言いて之を寛くす。官校、七盗を捕らうるに、其の一を逸す。盗首、妄りに逸せし者の姓名を言う。俄かにして一人を縛りて至り、冤を称す。乃ち盗首を庭下に置くこと差や遠からしめ、而して縛られし者を呼びて階上に跪かしむ。其の足に絲履を躡き、盗は数ば後ろより窺う。世貞、密かに一隸を呼び、縛られし者の首を蒙わしめ、隸をして之に肖しめ、而して其の履を易えて入らしむ。盗は其の易うるを知らず、即ち絲履の者を指す。世貞大いに笑いて曰く、「爾、乃ち吾が隸を以て盗と為すか」と。即ち縛られし者を釈く。
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『智囊』通簡・薛長孺・王鬷薛長孺は漢州の通判たり。戍卒、営門を閉ざし、火を放ち人を殺し、知州、兵馬監押を謀殺せんとす。来りて告ぐる者有るも、知州、監押は皆な敢えて出でず。長孺は身を挺して営を出で、之に諭して曰く、「汝輩は皆な父母妻子有り。何の故に此の事を為す。然れども与り謀らざる者は、各々一辺に在れ」と。是に於いて敢えて動かず、唯だ本謀の者八人のみ門を突きて出で、諸県に散ず。村野に捕獲す。時に謂う、長孺に非ざれば則ち一城の人は塗炭せんと。鈐轄司は敢えて以て聞せず、遂に賞に及ばず。長孺は簡粛公の姪なり。王忠穆公鬷は益州に知たり。会々戍卒に夜に営を焚きて督軍校を為して乱を為す者有り。鬷は潜かに兵を遣わして其の営を環らし、令を下して曰く、「乱せざる者は皆な欠手して門を出でよ。問う所無し」と。是に於いて衆は皆な出づ。軍校をして乱卒を指さしめ、十余人を得て之を戮す。旦に及びて人皆な知らず。其の政を為すや大体にして、苛察を為さず。蜀人は之を愛す。
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『智囊』小慧・某秀才・定遠弓箭手王卞は軍中に宴を置く。一角抵夫の甚だ魁岸にして大力を負う者有り、諸健卒と較うるに、悉く敵せず。坐間の一秀才は自ら能く之に勝つと言い、乃ち左指を以て略ぼ展ぶるに、魁岸の者は輒ち倒る、卞は以て神と為し、其の故を叩く。秀才云う、「此の人は醬を怕る、預め之を同伴より得たり、先に廚に入り、少許の醬を求め得て、彼の見れば輒ち倒るるのみ」と。濠州定遠県の一弓手は善く矛を用う。有偸も亦た此の技に精にして、毎に与に生死を決せんと欲す。一日、弓手は事に因りて村に至り、偸の適ま市に在りて飲むに値い、勢い避くべからず、遂に矛を曳きて闘う。観る者は堵の如し。久しくして、各ず未だ進むこと能わず、弓手は忽ち偸に謂いて曰く、「尉至れり、我と汝は皆な健者なり、汝は敢えて我と尉の前に生死を決せんや」と。偸曰く、「諾」と。弓手は声に応じて之を刺して斃す、蓋し其の隙に乗ずるなり。又た人の曾て強寇に遇う有り、闘い方に刃を接するに、寇は先に水を含みて口に満たし、忽ち其の面に噀く、其の人は愕然とし、刃は已に胸に揕さる。後に一壮士の復た寇と遇う有り、已に先に噀水の事を知り、寇は復た之を用い、反って刺す所と為る。
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