智囊 / 遠猶・宋太祖
一旦以黃袍加汝身,雖欲不為,不可得也。」守信等乃皆頓首,泣曰:「臣等愚不及此,唯陛下哀憐,指示可生之路。」上曰:「人生如白駒過隙,所欲富貴者,不過多得金錢,厚自娛樂,使子孫無貧乏耳,汝曹何不釋去兵權,擇便好田宅市之,為子孫立永久之業,多置歌兒舞女,日飲酒相歡,以終其天年。君臣之間,兩無猜嫌,不亦善乎?」皆再拜曰:「陛下念臣及此,所謂生死而肉骨也。」明日皆稱疾,請解兵權。〔馮述評〕或謂宋之弱,由削節鎮之權故。夫節鎮之強,非宋強也。強幹弱枝,自是立國大體。二百年弊穴,談笑革之。終宋世無強臣之患,豈非轉天移日手段?若非君臣偷安,力主和議,則寇準、李綱、趙鼎諸人用之有餘,安在為弱乎?熙寧中,作坊以門巷委狹,請直而寬廣之。神宗以太祖創始,當有遠慮,不許。既而眾工作苦,持兵奪門,欲出為亂,一老卒閉而拒之,遂不得出,捕之皆獲。
新字:一旦以黄袍加汝身,雖欲不為,不可得也。」守信等乃皆頓首,泣曰:「臣等愚不及此,唯陛下哀憐,指示可生之路。」上曰:「人生如白駒過隙,所欲富貴者,不過多得金銭,厚自娯楽,使子孫無貧乏耳,汝曹何不釈去兵権,択便好田宅市之,為子孫立永久之業,多置歌児舞女,日飲酒相歓,以終其天年。君臣之間,両無猜嫌,不亦善乎?」皆再拝曰:「陛下念臣及此,所謂生死而肉骨也。」明日皆称疾,請解兵権。〔馮述評〕或謂宋之弱,由削節鎮之権故。夫節鎮之強,非宋強也。強幹弱枝,自是立国大体。二百年弊穴,談笑革之。終宋世無強臣之患,豈非転天移日手段?若非君臣偸安,力主和議,則寇準、李綱、趙鼎諸人用之有余,安在為弱乎?熙寧中,作坊以門巷委狭,請直而寛広之。神宗以太祖創始,当有遠慮,不許。既而衆工作苦,持兵奪門,欲出為乱,一老卒閉而拒之,遂不得出,捕之皆獲。
書き下し
一旦、黄袍を汝が身に加えば、為さざらんと欲すと雖も、得べからず」と。守信ら乃ち皆な頓首し、泣きて曰く、「臣ら愚にして此に及ばず。唯だ陛下哀憐し、生くべき路を指示せよ」と。上曰く、「人生は白駒の隙を過ぐるが如し。富貴を欲する所の者は、金銭を多く得て、厚く自ら娯しみ、子孫をして貧乏無からしむるに過ぎざるのみ。汝が曹、何ぞ兵権を釈き去り、便好なる田宅を擇びて之を市い、子孫の為に永久の業を立て、歌児舞女を多く置き、日びに酒を飲みて相い歓び、以て其の天年を終えざる。君臣の間、両つながら猜嫌無きは、亦た善からずや」と。皆な再拝して曰く、「陛下、臣に念い及ぶこと此の如し。所謂生死にして肉骨なり」と。明日、皆な疾と称して、兵権を解かんことを請う。〔馮述評〕或いは謂う、宋の弱きは節鎮の権を削りしに由ると。夫れ節鎮の強きは、宋の強きに非ざるなり。強幹弱枝は、自ずから是れ立国の大体なり。二百年の弊穴を、談笑して之を革む。宋世を終うるまで強臣の患無きは、豈に転天移日の手段に非ずや。若し君臣偷安して、力めて和議を主とせずんば、寇準・李綱・趙鼎の諸人、之を用いて余り有り、安んぞ弱きと為さんや。熙寧中、作坊は門巷の委狭なるを以て、請いて直にして寛広にせんとす。神宗は太祖の創始、当に遠慮有るべしとして、許さず。既にして衆工の作苦し、兵を持して門を奪い、出でて乱を為さんと欲す。一老卒、閉ざして之を拒み、遂に出づるを得ず、捕らえて皆な獲らる。
現代語訳
ある朝、黄袍を(配下が)お前の身にかけたなら、そうしたくなくても、拒むことはできないのだ。」守信らはそこで皆、頭を床につけ、泣いて言いました。「私どもは愚かで、そこまで思い及びませんでした。どうか陛下、哀れんで、生きる道をお示しください。」皇帝は言いました。「人生は白い駒が隙間を駆け抜けるように短い。富貴を望む者も、金銭をたくさん得て、手厚く自分を楽しませ、子孫に貧しさのないようにするにすぎない。お前たちはどうして兵権を手放して、良い田畑や屋敷を買い、子孫のために永く続く産業を築き、歌い女や舞い女を多く置いて、毎日酒を飲み喜びあって、天寿を全うしないのか。君臣のあいだに互いに疑いや嫌悪がないのも、よいことではないか。」皆は再拝して言いました。「陛下が私どものことをここまで思ってくださるのは、まさに死んだ者を生き返らせ、骨に肉をつけてくださるようなものです。」翌日、皆が病気と称して、兵権を返上したいと願い出ました。〔馮夢龍の評〕ある人は、宋が弱かったのは節度使の権限を削ったからだと言います。しかし節度使が強かったのは、宋が強かったことではありません。幹を強くして枝を弱くするのは、もともと国を立てる大原則です。二百年来の弊害を、談笑のなかで改めました。宋の世が終わるまで強大な臣下の患いがなかったのは、天を転じ日を移すような手腕ではありませんか。もし君臣が安逸をむさぼって、和議を主としなかったなら、寇準、李綱、趙鼎といった人々を用いれば十分で、どうして弱いと言えましょう。熙寧年間、作坊(工房)の門と路地が狭いことを理由に、まっすぐで広くしたいと願い出ました。神宗は、太祖が創った制度には深い考えがあるはずだとして、許しませんでした。その後、多くの職人が労役に苦しみ、武器を持って門を奪い、外に出て乱を起こそうとしました。一人の老兵が門を閉ざして防ぎ、ついに出られず、全員捕らえられました。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』前集巻一・趙普語未だ畢らざるに、上曰く、卿復た言う勿かれ、吾れ已に諭れりと。頃くして上、晚朝に因りて故人の石守信・王審琦等と飲む。酒酣にして、上左右を屏けて謂いて曰く、我れ爾曹の力に非ずんば、此に至るを得ず。汝の徳を念うこと窮まり已む無し。然れども天子為るも亦た大いに艱難にして、殊に節度使為るの樂しみに若かず。吾れ今、終夕未だ嘗て敢えて安んじて枕して卧せざるなり。守信等皆な曰く、何の故ぞ。上曰く、是れ知り難からず。此の位に居る者、誰か之を為さんと欲せざらん。守信等皆な惶恐頓首して曰く、陛下何為れぞ此の言を出だす。今、天命已に定まる。誰か敢えて異心有らん。上曰く、然らず。汝曹心無しと雖も、其れ汝が麾下の人、富貴を欲する者を如何せん。一旦、黄袍を以て汝が身に加えば、汝為さざらんと欲すと雖も、得可からざるなり。皆な頓首涕泣して曰く、臣等愚かにして此に及ばず。惟だ陛下哀憐して、生く可きの塗を指示せよ。上曰く、人生は白駒の隙を過ぐるが如し。好んで富貴を為す所以の者は、多く金錢を積み、厚く自ら娱樂し、子孫をして貧乏無からしめんと欲するに過ぎざるのみ。汝曹何ぞ兵權を釋き去り、便好の田宅を擇びて之を市い、子孫の為に永久の業を立て、多く歌兒舞女を置き、日々に酒を飲みて相い歡び、以て其の天年を終えざる。君臣の間、兩つながら猜嫌無く、上下相い安んずるは、亦た善からずや。皆な再拜謝して曰く、陛下臣を念うこと此に及ぶは、所謂る死を生かして骨を肉づくるなり。明日皆な疾と稱して軍權を解かんことを請う。上之を許す。皆な散官を以て第に就く。慰撫賜賚する所以の者甚だ厚く、與に婚姻を結び、更めて制し易き者を置きて親軍を主らしむ。其の後又た轉運使・通判を置きて諸道の錢榖を主らしめ、天下の精兵を收選して以て宿衛に備う。而して諸功臣も亦た善終を以てし、子孫富貴にして、今に迄るまで絶えず。
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『智囊』遠猶・宋太祖初め、太祖、趙普に謂いて曰く、「唐季より以来数十年、帝王は凡そ十たび姓を易え、兵革息まず。其の故は何ぞや」と。普曰く、「節鎮太だ重く、君弱く臣強きに由る。今、唯だ稍や其の権を奪い、其の銭穀を制し、其の精兵を収めば、則ち天下自ずから安らかならん」と。語未だ畢わらざるに、上曰く、「卿、言う勿かれ。我已に諭れり」と。〔辺批、聡明〕頃之くして、上は故人の石守信らと飲む。酒酣にして、左右を屏け、謂いて曰く、「我は爾曹の力に非ずんば、此に至るを得ず。汝が徳を念うこと、窮まり有る無し。然れども天子と為るも亦た大いに艱難にして、殊に節度使たるの楽しみに若かず。吾、今、終夕未だ嘗て枕を安んじて臥せず」と。守信ら曰く、「何の故ぞ」と。上曰く、「是れ知り難からず。此の位に居る者、誰か之を為さんと欲せざらん」と。守信ら皆な惶恐して頓首し、曰く、「陛下、何為れぞ此の言を出だす」と。上曰く、「然らず。汝が曹、心無しと雖も、其の麾下の人の富貴を欲するを如何せん。
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『智囊』權奇・宋太祖芸祖、既に杯酒もて諸将の兵権を釈き、又た其の蓄うる所の貲らざるを慮り、人ごとに地一方を賜いて第を蓋てしむ。費す所は皆な数万。又た嘗て宴を賜い、酒酣にして、乃ち各人の子弟一人に宣して扶けて帰らしむ。太祖、送りて殿門に至り、其の子弟に謂いて曰く、「汝の父は各おの朝廷に十万緡を許せり」と。諸節度使、醒めて、帰りし所以を問い、上の前に礼を失わざりしやと。子弟、各おの緡の事を以て対う。疑うらくは酔中に真に是の言有りしやと。翌日、各おの表を以て進むること数の如し。
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『宋名臣言行録』前集巻一・趙普太祖既に天下を得、李筠・李重進を誅す。普を召して問いて曰く、天下、唐の季より以來、數十年の間、帝王凡そ十姓を易え、兵革息まず、蒼生塗地す。其の故は何ぞや。吾れ天下の兵を息め、國家の為に長久の計を建てんと欲す。其の道は何如。普曰く、陛下の言、此に及ぶは、天地人神の福なり。唐の季より以來、戰鬭息まず、國家安からざる者は、其の故は它に非ず、節鎮太だ重く、君弱く臣強きのみ。今、之を治むる所以は它の竒巧無し。惟だ稍く其の權を奪い、其の錢榖を制し、其の精兵を收めば、則ち天下自ら安からん。
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『宋名臣言行録』前集巻一・趙普太祖既に韓王の謀を納れ、數々使者を遣わして分かちて諸道に詣らしめ、精兵を選擇す。凡そ其の材力伎藝、人に過ぐる者有らば、皆な收めて禁軍に補い、之を京師に聚めて以て宿衛に備う。其の粮賜を厚くし、居常躬ら按閲訓練す。皆な一以て百に當たる。諸鎮皆な自ら兵力の精鋭、京師の敵に非ざるを知り、敢えて異心有る者莫し。我が太祖の能く幹を強くし枝を弱くし、治を未だ亂れざるに制せしに由る故なり。
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