智囊 / 謬數・梁儲
正德中,秦藩請益封陝之邊地。朱寧、江彬輩皆受賂,許之。上促大學士草制。楊廷和、蔣冕私念,草制,恐為後虞;否,則忤上意,俱引疾。獨梁儲承命草之曰:「昔太祖著令曰:『此土不畀藩封。』非吝也,念此地廣且饒,藩封得之,多蓄士馬,必富而驕,奸人誘為不軌,不利社稷。今王懇請畀地與王。王得地,毋收聚奸人,毋多養士馬,毋聽狂人導為不軌,震及邊方,危我社稷。是時雖欲保親親,不可得已,王慎之,勿忽。」上覽制,駭曰:「若是可虞,其勿與。」事遂寢。〔評〕英明之主,不可明以是非角,而未始不可明以利害奪。此與子房招四皓同一機軸。
新字:正徳中,秦藩請益封陝之辺地。朱寧、江彬輩皆受賂,許之。上促大学士草制。楊廷和、蒋冕私念,草制,恐為後虞;否,則忤上意,倶引疾。独梁儲承命草之曰:「昔太祖著令曰:『此土不畀藩封。』非吝也,念此地広且饒,藩封得之,多蓄士馬,必富而驕,奸人誘為不軌,不利社稷。今王懇請畀地与王。王得地,毋収聚奸人,毋多養士馬,毋聴狂人導為不軌,震及辺方,危我社稷。是時雖欲保親親,不可得已,王慎之,勿忽。」上覧制,駭曰:「若是可虞,其勿与。」事遂寝。〔評〕英明之主,不可明以是非角,而未始不可明以利害奪。此与子房招四皓同一機軸。
書き下し
正徳中、秦藩、陝の辺地に封を益さんと請う。朱寧・江彬の輩皆賂を受け、これを許す。上、大学士に制を草するを促す。楊廷和・蔣冕は私に念う、制を草すれば後の虞と為らんことを恐れ、否ざれば則ち上の意に忤う。俱に疾を引く。独り梁儲のみ命を承けて之を草して曰く、「昔、太祖令を著して曰く、『此の土は藩封に畀えず』と。吝しむに非ざるなり。念うに此の地は広く且つ饒かにして、藩封これを得れば、多く士馬を蓄え、必ず富みて驕り、奸人誘いて不軌を為さん。社稷に利あらず。今、王は懇ろに地を畀えんことを請う。王、地を得ば、奸人を収聚する毋く、多く士馬を養う毋く、狂人の導きて不軌を為すを聴く毋く、震いて辺方に及び、我が社稷を危うくする毋かれ。是の時、親親を保たんと欲すと雖も、得べからざらん。王これを慎みて忽せにする勿かれ」と。上、制を覧て駭きて曰く、「是の若く虞るべくば、其れ与うる勿かれ」と。事遂に寝む。〔評〕英明の主は、明らかに是非を以て角うべからず。而れども未だ始めより明らかに利害を以て奪うべからざるにあらず。此れ子房の四皓を招くと同じ機軸なり。
現代語訳
正徳年間、秦王の藩が陝西の辺境の地に領地を加えることを願い出た。朱寧・江彬らは賄賂を受け、これを許可した。皇帝は大学士に詔書の起草を急がせた。楊廷和と蔣冕はひそかに考えた。起草すれば後で禍のもとになるだろうし、起草しなければ皇帝の意に逆らう。二人とも病気を理由に引きこもった。ただ梁儲だけが命を受けて起草し、こう書いた。「昔、太祖は法令を定めて『この土地は藩封に与えない』と言われた。惜しまれたからではない。思うにこの地は広くて豊かで、藩王がこれを得れば、多くの兵馬を蓄え、必ず富んで驕り、悪人に誘われて謀反を企てるだろう。それは国家のためにならない。いま王は懇ろに地を与えるよう請うている。王がもし地を得たなら、悪人を集めず、多くの兵馬を養わず、狂人の導きで謀反を起こさず、辺境を揺るがして我が国家を危うくしてはならない。そのときは、親族を保ちたくても保てなくなるであろう。王はこれを慎み、おろそかにしてはならない」。皇帝は詔書を見て驚き、「これほど心配なことなら、与えてはならない」と言った。こうして事は取りやめになった。〔評〕英明な君主には、是非を明らかにして争ってはならない。しかし利害を明らかに示して考えを変えさせることは、できないわけではない。これは張良が四皓を招いたのと同じ手法である。
解説
この章句が説くこと
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