智囊 / 謬數・張良
〔述評〕左執殤中,右執鬼方,正以格稱說古今之輩。夫英明莫過於高皇,何待稱說古今而後知太子之不可易哉!稱說古今,必曰某聖而治,某昏而亂。夫治亂未見徵,而使人主去聖而居昏,誰能甘之?此叔孫太傅所以窘於儒術也!四老人為太子來,天下莫不為太子死,而治亂之徵,已惕惕於高皇之心矣。為天下者不顧家,尚能惜趙王母子乎?王弇州猶疑此漢庭之四皓,非商山之四皓。毋論坐子房以欺君之罪,而高皇之目亦太眊矣!夫唯義能不為高皇臣者,義必能不辭太子之招。別傳稱子房辟谷後,從四皓於商山,仙去。則四皓與子房自是一流人物,相契已久。使子房不出佐漢,則四皓中亦必有顯者,固非藏拙山林,匏落樗朽可方也。太子定,而後漢之宗社固,而後子房報漢之局終,而後商山偕隱之志可遂,則四皓不獨為太子來,亦且為子房來矣。嗚呼,千古高人,豈書生可循規而度,操尺而量者哉!
新字:〔述評〕左執殤中,右執鬼方,正以格称説古今之輩。夫英明莫過於高皇,何待称説古今而後知太子之不可易哉!称説古今,必曰某聖而治,某昏而乱。夫治乱未見徴,而使人主去聖而居昏,誰能甘之?此叔孫太傅所以窘於儒術也!四老人為太子来,天下莫不為太子死,而治乱之徴,已惕惕於高皇之心矣。為天下者不顧家,尚能惜趙王母子乎?王弇州猶疑此漢庭之四皓,非商山之四皓。毋論坐子房以欺君之罪,而高皇之目亦太眊矣!夫唯義能不為高皇臣者,義必能不辞太子之招。別伝称子房辟谷後,従四皓於商山,仙去。則四皓与子房自是一流人物,相契已久。使子房不出佐漢,則四皓中亦必有顕者,固非蔵拙山林,匏落樗朽可方也。太子定,而後漢之宗社固,而後子房報漢之局終,而後商山偕隠之志可遂,則四皓不独為太子来,亦且為子房来矣。嗚呼,千古高人,豈書生可循規而度,操尺而量者哉!
書き下し
〔述評〕左に殤中を執り、右に鬼方を執るとは、正に古今を称説するの輩を格する所以なり。夫れ英明は高皇に過ぐるは莫し。何ぞ古今を称説するを待ちて而る後に太子の易うべからざるを知らんや。古今を称説すれば、必ず曰く、某は聖にして治まり、某は昏くして乱ると。夫れ治乱は未だ徴を見ざるに、人主をして聖を去りて昏に居らしむ。誰か能く甘んぜん。此れ叔孫太傅の儒術に窘しむ所以なり。四老人は太子の為に来たり、天下は太子の為に死せざる莫し。而して治乱の徴、已に高皇の心に惕惕たり。天下を為む者は家を顧みず、尚お能く趙王母子を惜しまんや。王弇州は猶お此れ漢庭の四皓にして、商山の四皓に非ざるを疑う。毋論、子房を坐するに君を欺くの罪を以てするは、高皇の目も亦太だ眊なり。夫れ唯だ義として高皇の臣たらざる能う者は、義として必ず太子の招きを辞せず。別伝に称す、子房辟穀の後、四皓に商山に従い、仙去すと。則ち四皓と子房は自ら是れ一流の人物にして、相い契ること已に久し。子房をして出でて漢を佐けざらしめば、則ち四皓中にも亦必ず顕る者有らん。固より山林に拙を蔵し、匏落樗朽の方ぶべきに非ず。太子定まりて、而る後に漢の宗社固く、而る後に子房の漢に報ゆるの局終わり、而る後に商山に偕に隠るるの志遂ぐべし。則ち四皓は独り太子の為に来たるのみならず、亦且つ子房の為に来たるなり。嗚呼、千古の高人は、豈に書生の規に循いて度り、尺を操りて量る所ならんや。
現代語訳
〔述評〕「左に殤中を執り、右に鬼方を執る」とは、まさに古今の事例を並べて説く連中を戒めた言葉である。英明さにおいて高祖に及ぶ者はない。どうして古今の例を説かれるのを待って、太子を替えてはならないと知ることがあろうか。古今を説けば、必ず「某は聖で国が治まり、某は暗愚で国が乱れた」と言う。しかし治乱の兆しがまだ見えていないのに、君主に聖を捨て暗愚に身を置けと言って、誰が甘んじて受けようか。これが叔孫通が儒術の議論でゆきづまった理由である。四人の老人は太子のために来、天下は太子のために死のうとしないことはない。こうして治乱の兆しが、すでに高祖の心を震わせたのである。天下を治める者は家を顧みないというのに、なお趙王母子を惜しむことがあろうか。王世貞は、これを漢の朝廷の四皓であって商山の四皓ではないのではと疑った。それは張良に君を欺いた罪を負わせることになるのは言うまでもなく、高祖の目もずいぶん曇っていたことになる。そもそも義として高祖の臣にならずにいられる者は、義として太子の招きを断らないであろう。別伝には、張良が穀物を断って後、四皓に従って商山に入り、仙人になったと言う。四皓と張良はもともと同じ種類の人物で、すでに久しく気が合っていたのである。もし張良が出て漢を助けなかったなら、四皓の中にも必ず世に出る者がいたであろう。山林に身を隠し、役立たずの瓢箪や枯れた樗のような存在と並べられるものではない。太子が定まってこそ漢の宗廟社稷が固まり、張良が漢に報いる仕事が終わり、商山に共に隠れる志も遂げられる。すると四皓は太子のためだけでなく、張良のためにも来たのである。ああ、千古の高人は、書生が規則に従って推し量り、物差しで測れる相手ではない。
解説
この章句が説くこと
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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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『洗心洞箚記』卷下・第七十九條或ひと梁恵王曰く寡人の国に於けるやの章の義を問ふ。曰く、恵王の尽心と、後章の其の心を尽くす者は其の性を知るなりの尽心とは、字同じくして旨異なり。如し先づ之を弁ぜずして、一章の義を解すれば、則ち無数の言語を費して、天理人欲、終に分暁なること能はざるなり。夫れ恵王の尽心は、即ち人心を尽くす者なり。人心は、便ち是れ人欲にして不仁なり。恵王の戦を好むの心は、乃ち人欲の中尤も不仁なる者なり。人欲の中尤も不仁なるの心を尽くして、飢民を転遷し以て其の多少を計較す。要するに一身を肥やして独楽を極めんと欲する者なり。盗賊の心と奚を以て異ならんや。是の故に終に其の民を糜爛し子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。是れ皆自ら人心を尽くす上より来る。然らば則ち人心を尽くすは、断絶せざるべからざるなり。
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史記 高祖本紀趙王敖を廃して宣平侯と為す。是の歳、貴族の楚の昭・屈・景・懐、斉の田氏を関中に徙す。未央宮成る。高祖大いに諸侯群臣を朝し、未央の前殿に置酒す。高祖玉卮を奉じ、起ちて太上皇の為に寿して、曰く、「始め大人常に臣を以て無頼にして、産業を治むる能はず、仲の力むるに如かずと為す。今某の業の就る所仲に孰与(いづれ)ぞ多き。」と。殿上の群臣皆万歳を呼び、大いに笑ひて楽しみと為す。十年十月、淮南王黥布・梁王彭越・燕王盧綰・荊王劉賈・楚王劉交・斉王劉肥・長沙王呉芮皆来りて長楽宮に朝す。春夏事無し。七月、太上皇櫟陽宮に崩ず。楚王・梁王皆来りて葬を送る。櫟陽の囚を赦す。酈邑を更命して新豊と曰ふ。八月、趙の相国陳豨代の地に反す。上曰く、「豨嘗て吾が使と為り、甚だ信有り。代の地は吾の急とする所なり、故に豨を封じて列侯と為し、相国を以て代を守らしむ、今乃ち王黄等と代の地を劫掠す。代の地の吏民は罪有るに非ざるなり。其れ代の吏民を赦せ。」と。九月、上自ら東のかた往きて之を撃つ。邯鄲に至り、上喜びて曰く、「豨南のかた邯鄲に拠りて漳水を阻てず、吾其の能く為す無きを知る。」と。豨の将皆故の賈人なりと聞き、上曰く、「吾之に与ふる所以を知る。」と。乃ち多く金を以て豨の将に啗はす、豨の将多く降る者あり。十一年、高祖邯鄲に在りて豨等を誅すること未だ畢らず、豨の将侯敞万余人を将ゐて游行し、王黄曲逆に軍し、張春河を渡りて聊城を撃つ。漢将軍郭蒙をして斉の将と撃たしめ、大いに之を破る。太尉周勃太原より道して入り、代の地を定む。馬邑に至る、馬邑下らず、即ち攻めて之を残す。豨の将趙利東垣を守る、高祖之を攻むるも、下らず。月余にして、卒高祖を罵る、高祖怒る。城降る、罵る者を出だして之を斬らしめ、罵らざる者は之を原(ゆる)す。
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