智囊 / 遠猶・富弼・范仲淹
富鄭公為樞密使,值英宗即位,頒賜大臣。已拜受,又例外特賜。鄭公力辭,東朝遣小黃門諭公曰:「此出上例外之賜。」公曰:「大臣例外受賜,萬一人主例外作事,何以止之?」辭不受。劫盜張海將過高郵,知軍晁仲約度不能御,諭軍中富民出金帛牛酒迎勞之。事聞,朝廷大怒,富弼議欲誅仲約。仲淹曰:「郡縣兵械足以戰守,遇賊不御,而反賂之,法在必誅;今高郵無兵與械,且小民之情,醵出財物而免於殺掠,必喜。戮之,非法意也。」仁宗乃釋之。弼慍曰:「方欲舉法,而多方阻撓,何以整眾?」仲淹密告之曰:「祖宗以來,未嘗輕殺臣下。此盛德事,奈何欲輕壞之?他日手滑,恐吾輩亦未可保。」弼不謂然。及二人出按邊,弼自河北還,及國門,不得入,未測朝廷意,比夜彷徨繞牀,歎曰:「范六丈聖人也。」
新字:富鄭公為枢密使,値英宗即位,頒賜大臣。已拝受,又例外特賜。鄭公力辞,東朝遣小黄門諭公曰:「此出上例外之賜。」公曰:「大臣例外受賜,万一人主例外作事,何以止之?」辞不受。劫盗張海将過高郵,知軍晁仲約度不能御,諭軍中富民出金帛牛酒迎労之。事聞,朝廷大怒,富弼議欲誅仲約。仲淹曰:「郡県兵械足以戦守,遇賊不御,而反賂之,法在必誅;今高郵無兵与械,且小民之情,醵出財物而免於殺掠,必喜。戮之,非法意也。」仁宗乃釈之。弼慍曰:「方欲舉法,而多方阻撓,何以整衆?」仲淹密告之曰:「祖宗以来,未嘗軽殺臣下。此盛徳事,奈何欲軽壊之?他日手滑,恐吾輩亦未可保。」弼不謂然。及二人出按辺,弼自河北還,及国門,不得入,未測朝廷意,比夜彷徨繞牀,嘆曰:「范六丈聖人也。」
書き下し
富鄭公、枢密使たり、英宗の即位に値い、大臣に頒賜す。已に拝受せしに、又例外に特賜あり。鄭公力めて辞す。東朝、小黄門をして公に諭さしめて曰く、「此れ上の例外の賜に出づ」と。公曰く、「大臣例外に賜を受けば、万一人主例外に事を作さば、何を以て之を止めん」と。辞して受けず。劫盗張海、将に高郵を過ぎんとす。知軍晁仲約、御ぐこと能わずと度り、軍中の富民に諭して金帛牛酒を出して迎労せしむ。事聞し、朝廷大いに怒り、富弼、仲約を誅せんことを議す。仲淹曰く、「郡県の兵械、以て戦守するに足れるに、賊に遇いて御がず、反って之に賂するは、法として必ず誅すべし。今高郵は兵と械と無く、且つ小民の情は、醵出して財物もて殺掠を免るれば、必ず喜ぶ。之を戮するは、法意に非ざるなり」と。仁宗乃ち之を釈す。弼慍りて曰く、「方に法を挙げんと欲するに、多方に阻撓す、何を以て衆を整えん」と。仲淹密かに之に告げて曰く、「祖宗以来、未だ嘗て軽々しく臣下を殺さず。此れ盛徳の事なり。奈何ぞ軽々しく之を壊さんと欲するや。他日手滑らば、恐らくは吾が輩も亦未だ保つべからず」と。弼謂わず。二人出でて辺を按ずるに及び、弼河北より還り、国門に及ぶも入るを得ず、未だ朝廷の意を測らず、夜に比び牀を繞りて彷徨し、歎じて曰く、「范六丈は聖人なり」と。
現代語訳
富弼(富鄭公)が枢密使で、英宗が即位したとき、大臣たちに褒美が配られた。すでに受け取ったあとで、さらに規定外の特別な賜り物があった。富弼は強く辞退した。皇太后が小役人を遣わして告げた。「これは陛下からの規定外の賜り物です」。富弼は言った。「大臣が規定外の賜り物を受けたら、万一、君主が規定外のことをしたときに、どうして止められるでしょうか」。そして受けなかった。強盗の張海が高郵を通過しようとした。知軍の晁仲約は防げないと判断し、軍中の富豪に言い含めて金品や牛、酒を出させ、盗賊を出迎えて労った。事が朝廷に伝わると、大いに怒り、富弼は晁仲約を処刑するよう提案した。范仲淹は言った。「郡県に兵器があって戦えるのに、賊に遭っても防がず、かえって賄賂を贈ったのなら、法として必ず処刑すべきです。しかし高郵には兵も武器もなく、庶民の気持ちとしては、金を出し合って殺されたり略奪されたりせずに済むなら、きっと喜ぶでしょう。処刑するのは法の趣旨に合いません」。仁宗は晁仲約を釈放した。富弼は怒って言った。「法を行おうとしているのに、あれこれ妨げるとは、どうやって皆を引き締めるのか」。范仲淹は密かに告げた。「祖先以来、軽々しく臣下を殺したことはない。これは盛大な徳だ。どうして軽々しく壊そうとするのか。いつか手慣れて癖になれば、私たちも身を保てなくなるかもしれない」。富弼は同意しなかった。二人が辺境の視察に出たあと、富弼は河北から帰ったが、都の門に着いても入れず、朝廷の意向が分からず、夜に寝台の周りを歩き回って嘆いた。「范六丈は聖人だ」。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢命を知る者は天を怨みず、己を知る者は人を怨みず。人にして愛せざれば則ち仁なる能わず、佞にして巧ならざれば則ち信なる能わず。善を言うに身に及ぶ毋かれ、惡を言うに人に及ぶ毋かれ。上清くして欲無ければ、則ち下正しくして民樸なり。來事は追うべきなり、往事は及ぶべからず。思慮の心無ければ則ち達せず、談說の辭無ければ則ち樂しからず。
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史記 蒙恬列伝趙高は、諸趙の疏遠の属なり。趙高の昆弟数人、皆隠宮に生まれ、其の母刑僇せられ、世世卑賤なり。秦王、高の彊力にして獄法に通ずるを聞き、挙げて以て中車府令と為す。高既に私かに公子胡亥に事へ、之に決獄を喩す。高大罪有り。秦王蒙毅をして法もて之を治めしむ。毅敢て法を阿らず、高の罪死に当つとし、其の宦籍を除く。帝、高の事に敦きを以て、之を赦し、其の官爵を復す。始皇天下に游ばんと欲し、九原に道して、直ちに甘泉に抵らんとし、乃ち蒙恬をして道を通ぜしむ。九原より甘泉に抵るまで、山を塹り谷を堙むること、千八百里。道未だ就らず。始皇の三十七年冬、行きて出でて会稽に游び、海上に并ひて、北のかた瑯邪に走る。道にて病み、蒙毅をして還りて山川に禱らしむ。未だ反らず。始皇沙丘に至りて崩ず。之を秘し、群臣知る莫し。是の時丞相李斯・公子胡亥・中車府令趙高常に従ふ。高雅より胡亥に幸せられ、之を立てんと欲す。又蒙毅の法もて之を治めて己の為にせざるを怨む。因りて賊心有り、乃ち丞相李斯・公子胡亥と陰謀し、胡亥を立てて太子と為す。太子已に立ち、使者を遣はして罪を以て公子扶蘇・蒙恬に死を賜ふ。扶蘇已に死す。蒙恬疑ひて復た之を請ふ。使者蒙恬を以て吏に属し、更めて置く。胡亥、李斯の舎人を以て護軍と為す。使者還りて報ず。胡亥已に扶蘇の死を聞き、即ち蒙恬を釈さんと欲す。趙高、蒙氏の復た貴くして事を用ひんことを恐れ、之を怨む。毅還りて至る。趙高因りて胡亥の為に忠計すると為し、以て蒙氏を滅ぼさんと欲し、乃ち言ひて曰く、「臣聞く、先帝賢を挙げて太子を立てんと欲すること久し。而るに毅諫めて曰く『不可なり』と。若し賢を知りて俞ほ立てずんば、則ち是れ不忠にして主を惑はすなり。臣の愚意を以てすれば、之を誅するに若かず」と。胡亥聴きて蒙毅を代に系ぐ。前に已に蒙恬を陽周に囚ふ。喪咸陽に至り、已に葬り、太子立ちて二世皇帝と為る。而して趙高親近し、日夜蒙氏を毀悪し、其の罪過を求め、之を挙劾す。
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『臣軌』卷上 公正章人を理むるの道は万端なるも、之を行う所以は一に在り。一とは何ぞや。公のみ。唯だ公心のみ以て国を奉ず可く、唯だ公心のみ以て家を理む可し。公道行わるれば、則ち神明労せずして邪自ずから息み、私道行わるれば、則ち刑罰繁くして邪禁ぜられず。故に公の道為るや、言甚だ少なくして用甚だ博し。夫れ心なる者は、神明の主、万理の統なり。動きて正を失わざれば、天地も感ず可し、而るを況んや人に於いてをや。故に古の君子は、先ず其の心を正す。
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『呻吟語』外篇・治道・公正の二字公正の二字は是れ世界を撐持し底る。這の二字沒し了はれば、便ち天を塌さん。
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