智囊 / 謬數・晏嬰・東方朔
武帝好方士,使求神仙、不死之藥。東方朔乃進曰:「陛下所使取者,皆天下之藥,不能使人不死;唯天上藥,能使人不死。」上曰:「天何可上?」朔對曰:「臣能上天。」上知其謾詫,欲極其語,即使朔上天取藥。朔既辭去,出殿門,復還曰:「今臣上天似謾詫者,願得一人為信。」上即遣方士與俱,期三十日而返。朔既行,日過諸侯傳飲,期且盡,無上天意,方士屢趨之,朔曰:「神鬼之事難豫言,當有神來迎我。」於是方士晝寢,良久,朔遽覺之曰:「呼君極久不應,我今者屬從天上來。」方士大驚,具以聞,上以為面欺,詔下朔獄,朔啼曰:「朔頃幾死者再。」上曰:「何也?」朔對曰:「天帝問臣:『下方人何衣?』臣朔曰:『衣蟲。』『蟲何若?』臣朔曰:「蟲喙髯髯類馬,色邠邠類虎。』天公大怒,以臣為謾言,使使下問,還報曰:『有之,厥名蠶。』天公乃出臣。今陛下苛以臣為詐,願使人上天問之。』上大笑曰:「善。齊人多詐,欲以喻我止方士也。」由是罷諸方士不用。
新字:武帝好方士,使求神仙、不死之薬。東方朔乃進曰:「陛下所使取者,皆天下之薬,不能使人不死;唯天上薬,能使人不死。」上曰:「天何可上?」朔対曰:「臣能上天。」上知其謾詫,欲極其語,即使朔上天取薬。朔既辞去,出殿門,復還曰:「今臣上天似謾詫者,願得一人為信。」上即遣方士与倶,期三十日而返。朔既行,日過諸侯伝飲,期且尽,無上天意,方士屡趨之,朔曰:「神鬼之事難予言,当有神来迎我。」於是方士昼寝,良久,朔遽覚之曰:「呼君極久不応,我今者属従天上来。」方士大驚,具以聞,上以為面欺,詔下朔獄,朔啼曰:「朔頃幾死者再。」上曰:「何也?」朔対曰:「天帝問臣:『下方人何衣?』臣朔曰:『衣虫。』『虫何若?』臣朔曰:「虫喙髯髯類馬,色邠邠類虎。』天公大怒,以臣為謾言,使使下問,還報曰:『有之,厥名蠶。』天公乃出臣。今陛下苛以臣為詐,願使人上天問之。』上大笑曰:「善。斉人多詐,欲以喩我止方士也。」由是罷諸方士不用。
書き下し
武帝は方士を好み、神仙・不死の薬を求めしむ。東方朔乃ち進みて曰く、「陛下の使いして取らしむる所は、皆天下の薬にして、人をして死せざらしむる能わず。唯だ天上の薬のみ、能く人をして死せざらしむ」と。上曰く、「天は何ぞ上るべけんや」と。朔対えて曰く、「臣は能く天に上る」と。上、其の謾詫なるを知り、其の語を極めんと欲し、即ち朔をして天に上りて薬を取らしむ。朔既に辞し去り、殿門を出で、復た還りて曰く、「今、臣の天に上るは謾詫者に似たり。願わくは一人を得て信と為さん」と。上即ち方士を遣わして与に倶にし、三十日を期して返らしむ。朔既に行き、日に諸侯を過りて伝飲す。期且に尽きんとするも、天に上る意無し。方士屡々之を趨す。朔曰く、「神鬼の事は豫め言い難し。当に神の来りて我を迎うる有るべし」と。是に於いて方士昼寝す。良久しくして朔遽かに之を覚まして曰く、「君を呼ぶこと極めて久しきも応えず。我、今者天上より従り属せり」と。方士大いに驚き、具に以て聞す。上は面欺なりと以為い、詔して朔を獄に下す。朔啼きて曰く、「朔、頃に幾ど死すること再びなり」と。上曰く、「何ぞや」と。朔対えて曰く、「天帝、臣に問う、『下方の人は何をか衣る』と。臣朔曰く、『蟲を衣る』と。『蟲は何若』と。臣朔曰く、『蟲の喙は髯髯として馬に類し、色は邠邠として虎に類す』と。天公大いに怒り、臣を以て謾言と為し、使いをして下りて問わしむ。還りて報ず、『之有り。厥の名を蚕と曰う』と。天公乃ち臣を出だせり。今陛下、苟くも臣を以て詐と為さば、願わくは人をして天に上りて之を問わしめよ」と。上大いに笑いて曰く、「善し。斉人は多詐なり。以て我に喩え、方士を止めしめんと欲するなり」と。是に由りて諸方士を罷め用いず。
現代語訳
武帝は方士を好み、神仙や不死の薬を探させていた。東方朔が進み出て言った。「陛下が探させておられるのは、みな地上の薬で、人を死なないようにはできません。ただ天上の薬だけが、人を不死にできます」。武帝は「天にどうして登れるのか」と言った。朔は「私は天に登れます」と答えた。武帝は法螺だと知っていたが、とことん言わせようとして、朔に天に登って薬を取らせることにした。朔は辞去して宮殿の門を出たが、また戻って言った。「いま私が天に登ると言うのは、嘘つきのようです。どうか証人を一人つけてください」。武帝はすぐに方士を同行させ、三十日で戻るよう期限を決めた。朔は出発すると、毎日諸侯の家に立ち寄って酒を飲んだ。期限が尽きようとしても天に登る気配はなく、方士が何度も催促した。朔は「神や鬼のことは前もって言えない。神が迎えに来るはずだ」と言った。そこで方士は昼寝をした。しばらくして朔が急に起こして言った。「君を呼ぶこと久しいが返事がなかった。私はいま天上から帰ってきたところだ」。方士は大いに驚き、詳しく報告した。武帝は面と向かって欺いたとし、詔して朔を獄に下した。朔は泣いて言った。「私はさきほど、ほとんど二度死ぬところでした」。武帝が「どういうことだ」と尋ねると、朔は答えた。「天帝が私に『下界の人は何を着ているか』と尋ねました。私は『虫を着ています』と答えました。『虫とはどんなものか』と問われ、『虫の口はふさふさして馬に似、色はまだらで虎に似ています』と答えました。天公は大いに怒り、私が作り話をしたとして、使者を下界に遣わして確かめさせました。使者は戻って『ございます。その名は蚕です』と報告しました。それで天公は私を出してくれたのです。いま陛下がもし私を嘘つきだとお疑いなら、どうか人を天に登らせてお尋ねください」。武帝は大笑いして言った。「よろしい。斉の人は嘘が多い。私にたとえて方士を止めさせようとしたのだな」。これ以降、方士たちは罷免され用いられなくなった。
解説
この章句が説くこと
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史記 滑稽列伝左右の群臣の事に習ひ経術に通ずる者に問ふも、能く知る莫し。詔して東方朔をして之を視しむ。朔曰く、「臣之を知る。願はくは美酒粱飯を賜ひて大いに臣に飱せしめよ。臣乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。已にして又曰く、「某所に公田・魚池・蒲葦数頃有り。陛下以て臣に賜はば、臣朔乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。是に於いて朔乃ち肯へて言ひて曰く、「所謂騶牙なる者なり。遠方当に来たりて義に帰すべくして、騶牙先づ見る。其の歯は前後一の若く、斉等にして牙無し。故に之を騶牙と謂ふ」と。其の後一歳所にして、匈奴の混邪王果たして十万の衆を将ゐて来たりて漢に降る。乃ち復た東方生に銭財を賜ふこと甚だ多し。老に至り、朔且に死せんとする時、諫めて曰く、「詩に云ふ、『営営たる青蠅、蕃に止まる。愷悌の君子、讒言を信ずる無かれ。讒言極まり罔く、交々四国を乱す』と。願はくは陛下巧佞を遠ざけ、讒言を退けよ」と。帝曰く、「今顧みるに東方朔多く善言するか」と。之を怪しむ。居ること幾何も無く、朔果たして病みて死す。伝に曰く、「鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言ふや善し」と。此の謂ひなり。武帝の時、大将軍衛青なる者は衛后の兄なり。封ぜられて長平侯と為る。軍に従ひて匈奴を撃ち、余吾水の上に至りて還る。斬首捕虜し、功有りて来たり帰る。詔して金千斤を賜ふ。将軍宮門を出づるに、斉人東郭先生、方士を以て公車に待詔し、道に当たりて衛将軍の車を遮り、拝謁して曰く、「願はくは事を白さん」と。将軍車を前に止む。東郭先生、車に旁(そ)ひて言ひて曰く、「王夫人新たに上に幸を得たるも、家貧し。今将軍金千斤を得たり。誠に其の半ばを以て王夫人の親に賜はば、人主之を聞きて必ず喜ばん。此れ所謂奇策便計なり」と。衛将軍之に謝して曰く、「先生幸ひに之に告ぐるに便計を以てす。請ふ、教へを奉ぜん」と。是に於いて衛将軍乃ち五百金を以て王夫人の親の寿と為す。王夫人以て武帝に聞す。帝曰く、「大将軍は此を為すを知らず」と。
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史記 滑稽列伝公車令両人共に持して其の書を挙げ、僅然として能く之に勝ふ。人主上方より之を読み、止まれば、輒ち其の処を乙す。之を読むこと二月にして乃ち尽く。詔して拝して以て郎と為し、常に側に在りて侍中す。数々召されて前に至りて談語し、人主未だ嘗て説ばずんばあらず。時に詔して之に食を前に賜ふ。飯已(を)はれば、尽く其の余肉を懐にして持ち去り、衣尽く汚る。数々縑帛を賜へば、檐掲して去る。徒だ賜ふ所の銭帛を用ひて、少婦を長安の中の好女に取る。率ね婦を取ること一歳所にして即ち棄て去り、更に婦を取る。賜ふ所の銭財は尽く之を女子に索(つく)す。人主の左右の諸郎、半ば之を狂人と呼ぶ。人主之を聞きて曰く、「朔をして事に在りて是の行ひを為す無からしめば、若等安くんぞ能く之に及ばんや」と。朔、其の子を任じて郎と為し、又侍謁者と為し、常に節を持して出使せしむ。朔、殿中を行くに、郎之に謂ひて曰く、「人皆先生を以て狂と為す」と。朔曰く、「朔等の如きは、所謂世を朝廷の間に避くる者なり。古の人は乃ち世を深山の中に避く」と。時に坐席の中にて酒酣なるに、地に拠りて歌ひて曰く、「俗に陸沈し、世を金馬門に避く。宮殿の中にも以て世を避け身を全うす可し。何ぞ必ずしも深山の中、蒿廬の下ならん」と。金馬門は宦者署の門なり。門の傍らに銅馬有り、故に之を謂ひて金馬門と曰ふ。時に宮下の博士諸先生を会聚して与に論議するに、共に之を難じて曰く、「蘇秦・張儀は一たび万乗の主に当たりて、卿相の位に都(を)り、沢後世に及ぶ。今、子大夫は先王の術を修め、聖人の義を慕ひ、詩書百家の言を諷誦すること、勝げて数ふ可からず。竹帛に著はし、自ら以て海内無双と為す。即ち博聞弁智と謂ふ可し。然るに力を悉くし忠を尽くして以て聖帝に事へ、日を曠しくし久しきを持すること数十年、官は侍郎に過ぎず、位は執戟に過ぎず。意ふに尚ほ遺行有るか。其の故は何ぞや」と。東方生曰く、「是れ固より子の能く備ふる所に非ざるなり。
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『智囊』善言・東方朔武帝の乳母嘗て外にて事を犯す、帝憲を申べんと欲す。乳母東方朔に求む。朔曰く、「此れ唇舌の争う所に非ず。爾必ず済わんことを望まば、将に去らんとする時、但だ当に屡しば帝を顧みるべし、慎んで言うこと勿かれ。此れ或いは万一冀うべきのみ」と。乳母既に至り、朔も亦た側に侍す、因りて之に謂いて曰く、「汝は癡なるのみ。帝今已に長ず、豈に復た汝の乳哺に頼りて活きんや」と。帝淒然とし、即ち敕して罪を免ず。
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史記 孝武本紀少君上に言ひて曰く、「灶を祠れば則ち物を致し、物を致せば而ち丹沙化して黄金と為す可し、黄金成りて以て飲食の器と為せば則ち寿を益し、寿を益せば而ち海中蓬萊の僊者見る可し、之を見て封禅を以てすれば則ち死せず、黄帝是なり。臣嘗て海上に游び、安期生を見る、臣に棗を食らはす、大なること瓜のごとし」と。是に於て天子始めて親ら灶を祠り、方士を遣りて海に入りて蓬萊安期生の属を求む。
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戦国策・有獻不死之藥於荊王者不死の薬を荊王に献ずる者有り、謁者操りて以て入る。中射の士問いて曰く、「食らうべきか。」曰く、「可なり。」因りて奪いて之を食らう。王怒り、人をして中射の士を殺さしむ。中射の士、人をして王に説かしめて曰く、「臣謁者に問うに、謁者食らうべしと曰う、臣故に之を食らえり。是れ臣に罪無くして、罪謁者に在るなり。且つ客不死の薬を献じ、臣之を食らいて王臣を殺さば、是れ死薬なり。王罪無きの臣を殺さば、人の王を欺くを明らかにするなり。」王乃ち殺さず。
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史記 滑稽列伝之に安くにか計策を受けたるを問ふ。対へて曰く、「之を待詔の者東郭先生に受く」と。詔して東郭先生を召し、拝して以て郡都尉と為す。東郭先生、久しく公車に待詔し、貧困饑寒にして、衣敝れ、履完からず。雪中を行くに、履上有りて下無く、足尽く地を践む。道中の人之を笑ふ。東郭先生之に応へて曰く、「誰か能く履きて雪中を行き、人をして之を視しむるに、其の上は履なるも、其の履の下の処は乃ち人の足に似たる者あらんや」と。其の拝せられて二千石と為るに及び、青緺を佩びて宮門を出で、行きて主人に謝す。故に以て官を同じくして待詔せし所の者、等比して都門の外に祖道す。道路に栄華あり、名を当世に立つ。此れ所謂褐を衣て宝を懐く者なり。其の貧困の時に当たりては、人省視する莫し。其の貴きに至るや、乃ち争ひて之に附く。諺に曰く、「馬を相するに之を痩に失ひ、士を相するに之を貧に失ふ」と。其れ此の謂ひか。王夫人病甚だし。人主至りて自ら往きて之に問ひて曰く、「子当に王と為るべし。安くにか之を置かんと欲する」と。対へて曰く、「願はくは洛陽に居らしめん」と。人主曰く、「不可なり。洛陽には武庫・敖倉有り、関口に当たり、天下の咽喉なり。先帝より以来、伝へて為に王を置かず。然れども関東の国は斉より大なるは莫し。以て斉王と為す可し」と。王夫人手を以て頭を撃ち、幸甚と呼ぶ。王夫人死す。号して斉王の太后薨ずと曰ふ。昔者、斉王、淳于髡をして鵠を楚に献ぜしむ。邑門を出で、道にて其の鵠を飛ばし、徒だ空籠を掲げ、詐を造り辞を成し、往きて楚王に見えて曰く、「斉王、臣をして来たりて鵠を献ぜしむ。水上を過ぎるに、鵠の渇くに忍びず、出だして之に飲ましむるに、我を去りて飛び亡ぐ。吾、腹を刺し頸を絞りて死なんと欲す。人の吾が王を議して、鳥獣の故を以て士をして自ら傷殺せしむと為さんことを恐る。鵠は毛物にして相類する者多し。吾買ひて之に代へんと欲すれども、是れ信ならずして吾が王を欺くなり。他国に赴きて奔亡せんと欲すれども、吾が両主の使ひの通ぜざるを痛む。故に来たりて過ちに服し、叩頭して罪を大王に受く」と。
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