智囊 / 善言・東方朔
武帝乳母嘗於外犯事,帝欲申憲,乳母求東方朔。朔曰:「此非唇舌所爭,爾必望濟者,將去時,但當屢顧帝,慎勿言。此或可萬一冀耳。」乳母既至,朔亦侍側,因謂之曰:「汝癡耳。帝今已長,豈復賴汝乳哺活耶?」帝淒然,即敕免罪。
新字:武帝乳母嘗於外犯事,帝欲申憲,乳母求東方朔。朔曰:「此非唇舌所争,爾必望済者,将去時,但当屡顧帝,慎勿言。此或可万一冀耳。」乳母既至,朔亦侍側,因謂之曰:「汝痴耳。帝今已長,豈復頼汝乳哺活耶?」帝淒然,即勅免罪。
書き下し
武帝の乳母嘗て外にて事を犯す、帝憲を申べんと欲す。乳母東方朔に求む。朔曰く、「此れ唇舌の争う所に非ず。爾必ず済わんことを望まば、将に去らんとする時、但だ当に屡しば帝を顧みるべし、慎んで言うこと勿かれ。此れ或いは万一冀うべきのみ」と。乳母既に至り、朔も亦た側に侍す、因りて之に謂いて曰く、「汝は癡なるのみ。帝今已に長ず、豈に復た汝の乳哺に頼りて活きんや」と。帝淒然とし、即ち敕して罪を免ず。
現代語訳
武帝の乳母が、かつて宮外で罪を犯し、帝は法を適用して裁こうとした。乳母は東方朔に助けを求めた。朔は言った。「これは口先の弁論で争えることではありません。どうしても助かりたいなら、連れて行かれるとき、ただ何度も帝を振り返り、決して口をきかないでください。それで万に一つ望みがあるかもしれません」。乳母が御前に出ると、朔もそばに控えていて、乳母に言った。「お前は愚かだな。陛下はもうご成長なされた。今さらお前の乳に頼って生きておられると思うのか」。帝は痛ましい気持ちになり、すぐに詔を出して罪を赦した。
解説
武帝は乳母が外で犯した罪を法どおり裁こうとしていました。東方朔は、弁明は役に立たないと見抜き、乳母に黙って何度も帝を振り返らせました。そして乳母を叱る形で「陛下はもう大人で、お前の乳に頼る年ではない」と言い、帝に幼い日の恩を思い出させたのです。説得は言葉だけで行うものではなく、相手の記憶と感情を動かす場面づくりが決め手になる好例です。恩情を求める側が理屈で攻めれば、公私混同の批判を招きます。立場の弱い側の代理に立つとき、相手が自ら思い至る状況を演出する発想は、人事の裁定や事故対応の場面でも使えます。
この章句が説くこと
此非唇舌所争屡顧帝乳哺説得情理演出
関連する章句
-
史記 滑稽列伝褚先生曰く、臣、幸ひに経術を以て郎と為るを得て、而して好みて外家の伝語を読む。窃かに遜譲せず、復た故事滑稽の語六章を作り、之を左に編む。以て覧観して意を揚ぐ可く、以て後世の好事の者に示して之を読ましめ、以て心を游ばせ耳を駭かし、以て上方の太史公の三章に附益す。武帝の時、幸する所の倡、郭舎人なる者有り。言を発し辞を陳ぶること大道に合はずと雖も、然れども人主をして和説せしむ。武帝少き時、東武侯の母常に帝を養ふ。帝壮なる時、之を号して大乳母と曰ふ。率ね一月に再び朝す。朝奏入るに、詔有りて幸臣馬游卿をして帛五十匹を以て乳母に賜ひ、又飲糒飱を奉じて乳母を養はしむ。乳母上書して曰く、「某所に公田有り、願はくは之を仮倩するを得ん」と。帝曰く、「乳母之を得んと欲するか」と。以て乳母に賜ふ。乳母の言ふ所、未だ嘗て聴かれざるはあらず。詔有りて乳母をして車に乗りて馳道の中を行かしむるを得。此の時に当たりて、公卿大臣皆乳母を敬重す。乳母の家の子孫奴従の者、長安の中に横暴し、道に当たりて人の車馬を掣頓し、人の衣服を奪ふ。中に聞こゆるも、之を法に致すに忍びず。有司、乳母の家室を徙し、之を辺に処らしめんと請ふ。奏可とせらる。乳母当に入りて前に至り、面見して辞すべし。乳母先づ郭舎人に見え、為に下りて泣く。舎人曰く、「即し入りて見え辞して去らば、疾歩して数々還顧せよ」と。乳母其の言の如くし、謝して去り、疾歩して数々還顧す。郭舎人疾言して之を罵りて曰く、「咄、老女子、何ぞ疾く行かざる。陛下已に壮なり。寧ろ尚ほ汝の乳を須ちて活きんや。尚ほ何ぞ還顧する」と。是に於いて人主憐れみて之を悲しみ、乃ち詔を下して止めて乳母を徙す無からしめ、之を譖する者を罰謫す。武帝の時、斉人に東方生、名は朔なる有り。古伝の書を好み、経術を愛するを以て、多く外家の語を博観する所あり。朔初めて長安に入り、公車に至りて上書す。凡そ三千の奏牘を用ふ。
-
『智囊』謬數・晏嬰・東方朔武帝は方士を好み、神仙・不死の薬を求めしむ。東方朔乃ち進みて曰く、「陛下の使いして取らしむる所は、皆天下の薬にして、人をして死せざらしむる能わず。唯だ天上の薬のみ、能く人をして死せざらしむ」と。上曰く、「天は何ぞ上るべけんや」と。朔対えて曰く、「臣は能く天に上る」と。上、其の謾詫なるを知り、其の語を極めんと欲し、即ち朔をして天に上りて薬を取らしむ。朔既に辞し去り、殿門を出で、復た還りて曰く、「今、臣の天に上るは謾詫者に似たり。願わくは一人を得て信と為さん」と。上即ち方士を遣わして与に倶にし、三十日を期して返らしむ。朔既に行き、日に諸侯を過りて伝飲す。期且に尽きんとするも、天に上る意無し。方士屡々之を趨す。朔曰く、「神鬼の事は豫め言い難し。当に神の来りて我を迎うる有るべし」と。是に於いて方士昼寝す。良久しくして朔遽かに之を覚まして曰く、「君を呼ぶこと極めて久しきも応えず。我、今者天上より従り属せり」と。方士大いに驚き、具に以て聞す。上は面欺なりと以為い、詔して朔を獄に下す。朔啼きて曰く、「朔、頃に幾ど死すること再びなり」と。上曰く、「何ぞや」と。朔対えて曰く、「天帝、臣に問う、『下方の人は何をか衣る』と。臣朔曰く、『蟲を衣る』と。『蟲は何若』と。臣朔曰く、『蟲の喙は髯髯として馬に類し、色は邠邠として虎に類す』と。天公大いに怒り、臣を以て謾言と為し、使いをして下りて問わしむ。還りて報ず、『之有り。厥の名を蚕と曰う』と。天公乃ち臣を出だせり。今陛下、苟くも臣を以て詐と為さば、願わくは人をして天に上りて之を問わしめよ」と。上大いに笑いて曰く、「善し。斉人は多詐なり。以て我に喩え、方士を止めしめんと欲するなり」と。是に由りて諸方士を罷め用いず。
-
『智囊』敏悟・劉顯・東方朔梁の時、沙門の田を訟する有り。武帝、大いに署して曰く、「貞」と。有司、未だ弁ぜず、遍く問うも知る莫し。劉顕曰く、「貞の字の文は『与上人』なり」と。武帝、嘗て隠語を以て東方朔を召す。時に上林、棗を献ず。帝、杖を以て未央前殿を撃ちて曰く、「叱叱、先生束束」と。朔至りて曰く、「上林、棗四十九枚を献ずるか」と。朔、上の杖を以て檻を撃つを見て、両木は林と為り、上林なり。束束は棗なり、叱叱は四十九なりと。
-
『智囊』得情・於文傅於文傅、烏程県尹に遷る。富民張某の妻王、子無し。張、一妾を外に納れ、子を生むも未だ日ならずして卒す。王、妾を誘うに児を以て来たらしめ、尋いで妾を逐い、児を殺して之を焼く。文傅聞きて其の事を発し、死児の余骨を得たり。王、厚く妾の父母に賂い、隣家の児を買いて妾の生む所の児と為し、初めより死せずと言う。文傅、妾をして児を抱きて之に乳せしむるに、児啼きて受けず。妾の父母実を吐き、乃ち隣婦を呼びて至らしむるに、児之を見て、躍りて其の懐に入り、之に乳すれば即ち飲む。王遂に辜に伏す。
-
『智囊』集哲・李夫人李夫人が病篤く、上は自ら臨んで候った。夫人は被を蒙って謝して言った、「妾は久しく病に寝て、形貌は毀壊し、帝に見えるべきではありません。願わくは王と兄弟を以て托します。」上は言った、「夫人の病は甚だしく、殆ど起たぬであろう。王と兄弟を託すのは、快くないことがあろうか。」夫人は言った、「婦人は貌を修飾せねば、君父に見えません。妾は敢えて燕媠を以て帝に見えません。」上は言った、「夫人がまず一度我に見えれば、千金を加え賜い、兄弟に尊官を与えよう。」夫人は言った、「尊官は帝にあり、一見にはありません。」上がまた言い、必ず見ようとすると、夫人は遂に向きを転じて噓唏して、もはや言わなかった。ここに上は悦ばずに起った。夫人の姉妹は譲めて言った、「貴人はひとり上に一見することはできず、兄弟を属托できないのか。どうしてこのように上を恨むのか。」夫人は言った、「そもそも色を以て人に事える者は、色が衰えれば愛が弛み、愛が弛めば恩が絶えます。上が戀戀として我を思う理由は、平生の容貌だからです。今日我が毀壊すれば、必ず畏れ悪んで吐き棄てるでしょう。なお我が兄弟を追って思い、閔み録すことができましょうか。帝に見えまいとするのは、まさに深く兄弟を托そうとするためです。」夫人が卒すると、上は思念して已まなかった。
-
史記 滑稽列伝左右の群臣の事に習ひ経術に通ずる者に問ふも、能く知る莫し。詔して東方朔をして之を視しむ。朔曰く、「臣之を知る。願はくは美酒粱飯を賜ひて大いに臣に飱せしめよ。臣乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。已にして又曰く、「某所に公田・魚池・蒲葦数頃有り。陛下以て臣に賜はば、臣朔乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。是に於いて朔乃ち肯へて言ひて曰く、「所謂騶牙なる者なり。遠方当に来たりて義に帰すべくして、騶牙先づ見る。其の歯は前後一の若く、斉等にして牙無し。故に之を騶牙と謂ふ」と。其の後一歳所にして、匈奴の混邪王果たして十万の衆を将ゐて来たりて漢に降る。乃ち復た東方生に銭財を賜ふこと甚だ多し。老に至り、朔且に死せんとする時、諫めて曰く、「詩に云ふ、『営営たる青蠅、蕃に止まる。愷悌の君子、讒言を信ずる無かれ。讒言極まり罔く、交々四国を乱す』と。願はくは陛下巧佞を遠ざけ、讒言を退けよ」と。帝曰く、「今顧みるに東方朔多く善言するか」と。之を怪しむ。居ること幾何も無く、朔果たして病みて死す。伝に曰く、「鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言ふや善し」と。此の謂ひなり。武帝の時、大将軍衛青なる者は衛后の兄なり。封ぜられて長平侯と為る。軍に従ひて匈奴を撃ち、余吾水の上に至りて還る。斬首捕虜し、功有りて来たり帰る。詔して金千斤を賜ふ。将軍宮門を出づるに、斉人東郭先生、方士を以て公車に待詔し、道に当たりて衛将軍の車を遮り、拝謁して曰く、「願はくは事を白さん」と。将軍車を前に止む。東郭先生、車に旁(そ)ひて言ひて曰く、「王夫人新たに上に幸を得たるも、家貧し。今将軍金千斤を得たり。誠に其の半ばを以て王夫人の親に賜はば、人主之を聞きて必ず喜ばん。此れ所謂奇策便計なり」と。衛将軍之に謝して曰く、「先生幸ひに之に告ぐるに便計を以てす。請ふ、教へを奉ぜん」と。是に於いて衛将軍乃ち五百金を以て王夫人の親の寿と為す。王夫人以て武帝に聞す。帝曰く、「大将軍は此を為すを知らず」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る