史記 / 孝武本紀
少君上に言ひて曰、灶を祠れば則ち物を致し、物を致せば而ち丹沙化して黄金と為す可し、黄金成りて以て飲食の器と為せば則ち寿を益し、寿を益せば而ち海中蓬萊の僊者見る可し、之を見て封禅を以てすれば則ち死せず、黄帝是なりと。臣嘗て海上に游び、安期生を見る、臣に棗を食らはす、大なること瓜のごとしと。是に於て天子始めて親ら灶を祠り、方士を遣りて海に入りて蓬萊安期生の属を求む。
書き下し
少君上に言ひて曰く、「灶を祠れば則ち物を致し、物を致せば而ち丹沙化して黄金と為す可し、黄金成りて以て飲食の器と為せば則ち寿を益し、寿を益せば而ち海中蓬萊の僊者見る可し、之を見て封禅を以てすれば則ち死せず、黄帝是なり。臣嘗て海上に游び、安期生を見る、臣に棗を食らはす、大なること瓜のごとし」と。是に於て天子始めて親ら灶を祠り、方士を遣りて海に入りて蓬萊安期生の属を求む。
現代語訳
「もっともらしい話を連鎖させ、確かめようのない証言を添える——それが人を欺く常套手段だ」——武帝を欺いた方士・李少君の、巧みな話術を描いた一段です。武帝の前に現れた方士(呪術師)の李少君は、皇帝の「不老不死」への願望につけ込んで、こう吹き込みました。「かまど(灶)の神を祀れば、(不思議な)物を招き寄せられます。物を招き寄せれば、丹砂を、黄金に変えられます。その黄金で、飲食の器を作れば、寿命が延びます。寿命が延びれば、海の彼方の蓬萊島に住む、仙人に、会えるようになります。その仙人に会って、封禅の儀式を行えば、不死になれるのです。かの黄帝が、まさにそうでした」と。一つ一つは怪しくとも、「AすればB、BすればC……」と、もっともらしい理屈を、次々に連鎖させて、最後に「不死」という、あり得ない結論へと、導いていったのです。しかも、彼は、こう付け加えました。「私はかつて、海辺を旅したとき、(伝説の仙人)安期生に会いました。彼は私に、瓜ほどもある、大きな棗を、食べさせてくれたのです」と。自分だけが見たという、確かめようのない、都合のよい体験談(証言)を添えて、話に真実味を持たせたのです。そして武帝は、これをすっかり信じ込み、自ら、かまどを祀り、方士を海へ派遣して、仙人を探させるという、途方もないことを始めてしまいました。ここに、欺瞞を見抜くことについての教訓があります。第一に、人を欺く常套手段は、一つ一つは怪しくとも、「AすればB、BすればC」と、もっともらしい理屈を、次々に連鎖させて、(本来あり得ない)結論へと、導いていくものだということ。一見、筋が通っているように見えるが、その連鎖の、どこか一つでも、根拠がなければ、全体が崩れる。話の各段階を、冷静に検証する目が要る。第二に、そうした話には、しばしば、「自分だけが見た」「確かに効いた」という、確かめようのない、都合のよい証言(体験談)が、添えられるということ。検証できない証言を、真実の証拠と、思い込んではならない。第三に、あり得ないほど、うまい話(不死、一攫千金)ほど、疑ってかかること。組織や商いで、もっともらしい理屈の連鎖に惑わされず各段階を検証すること、確かめようのない都合のよい証言を証拠と思い込まないこと、そしてあり得ないほどうまい話を疑うこと——李少君の話術は、欺瞞を見抜く目の大切さを教えます。