智囊 / 委蛇・郭崇韜・宋太祖
郭崇韜素廉,自從入洛,始受四方賂遺,故人、子弟或以為言,崇韜曰:「吾位兼將相,祿賜巨萬,豈少此耶,今藩鎮諸侯多梁舊將,皆主上斬袪,射鉤之人,若一切拒之,能無疑駭?」明年,天子有事南郊,崇韜悉獻所藏,以佐賞給。南唐主以銀五萬兩遣趙普,普以白宋主,主曰:「此不可不受,但以書答謝,少賂其使者可也。」普辭,宋主曰:「大國之體,不可自為削弱,當使之弗測。」及從善來朝,常賜外密齎白金,如遺普之數。唐君臣皆震駭,服宋主之偉度。〔評〕賂遺無可受之理,然廉士或始辭而終受,而明主亦或教其臣以受,全要看他既受後作用如何,便見英雄權略。三代以下將相,大抵皆權略之雄耳!
新字:郭崇韜素廉,自従入洛,始受四方賂遺,故人、子弟或以為言,崇韜曰:「吾位兼将相,禄賜巨万,豈少此耶,今藩鎮諸侯多梁旧将,皆主上斬袪,射鉤之人,若一切拒之,能無疑駭?」明年,天子有事南郊,崇韜悉献所蔵,以佐賞給。南唐主以銀五万両遣趙普,普以白宋主,主曰:「此不可不受,但以書答謝,少賂其使者可也。」普辞,宋主曰:「大国之体,不可自為削弱,当使之弗測。」及従善来朝,常賜外密齎白金,如遺普之数。唐君臣皆震駭,服宋主之偉度。〔評〕賂遺無可受之理,然廉士或始辞而終受,而明主亦或教其臣以受,全要看他既受後作用如何,便見英雄権略。三代以下将相,大抵皆権略之雄耳!
書き下し
郭崇韜は素より廉なり。洛に入りて自り、始めて四方の賂遺を受く。故人・子弟或いは以て言を為す。崇韜曰く、「吾が位は将相を兼ね、禄賜は巨万、豈に此を少しとせんや。今、藩鎮の諸侯は梁の旧将多く、皆主上の袪を斬り、鉤を射るの人なり。若し一切これを拒まば、能く疑駭無からんや」と。明年、天子南郊に事有り、崇韜は悉く蔵する所を献じ、以て賞給を佐く。南唐主、銀五万両を以て趙普に遣る。普以て宋主に白す。主曰く、「此れ受けざるべからず。但だ書を以て答謝し、少しく其の使者に賂えば可なり」と。普辞す。宋主曰く、「大国の体、自ら削弱を為すべからず。当に之をして測らざらしむべし」と。従善の来朝するに及び、常賜の外に密かに白金を齎し、普に遺りし数の如くす。唐の君臣皆震駭し、宋主の偉度に服す。〔評〕賂遺は受くべきの理無し。然れども廉士は或いは始め辞して終に受け、而して明主も亦或いは其の臣に教えて以て受けしむ。全て既に受けて後の作用の如何を看て、便ち英雄の権略を見る。三代以下の将相は、大抵皆権略の雄のみ。
現代語訳
郭崇韜はもともと清廉であった。洛陽に入ってから、初めて各地からの贈り物を受けるようになった。旧友や子弟がそれを言うと、崇韜は言った。「私の地位は将軍と宰相を兼ね、俸禄や賜り物は莫大だ。どうしてこれが足りないことがあろう。いま藩鎮の諸侯は梁の旧将が多く、みな主上に袖を斬り、帯留めを射た者たちだ。すべて拒絶すれば、疑われ恐れられずにすむだろうか」。翌年、天子が南郊で祭祀を行うとき、崇韜は蓄えていた物をすべて献上し、褒賞の費用の助けとした。南唐の君主が銀五万両を趙普に贈った。趙普はこれを宋の太祖に報告した。太祖は「これは受けなければならない。ただ書状で礼を述べ、使者に少し贈り物をすればよい」と言った。趙普が辞退すると、太祖は「大国の体面として、自分から弱みを見せてはならない。相手に底を測らせないようにすべきだ」と言った。李従善が来朝すると、通常の下賜品のほかにひそかに白金を持たせ、趙普に贈られた額と同じにした。南唐の君臣はみな驚き恐れ、宋の太祖の度量の大きさに感服した。〔評〕賄賂は受けてよい理由はない。しかし清廉な人も、初めは辞して結局は受けることがあり、名君もまた臣下に受け取らせることがある。要は受け取った後にどう使うかを見るのであり、そこに英雄の権略が現れる。三代以後の将相は、おおむね権略に優れた者にすぎない。
解説
この章句が説くこと
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