智囊 / 委蛇・廉范
廉范,字叔度。永平初,隴西太守鄧融辟范為功曹。會融為州所舉案,范知事譴難解,欲以權相濟,乃托病求去。融不達其意,大恨之。范乃東至洛陽,變姓名求代遷尉獄卒。未幾,融果徵下獄。范遂得衛侍左右,盡心護視。融怪其貌類范,而殊不意,乃謂曰:「卿何似我故功曹?」范訶之曰:「君困厄,瞀亂耶?」後融釋係出,病因,范隨養視;及死,送喪至南陽,葬畢而去,終不言姓名。〔評〕一辟之感,屈身求濟。士之於知己,甚矣哉!
新字:廉范,字叔度。永平初,隴西太守鄧融辟范為功曹。会融為州所舉案,范知事譴難解,欲以権相済,乃托病求去。融不達其意,大恨之。范乃東至洛陽,変姓名求代遷尉獄卒。未幾,融果徴下獄。范遂得衛侍左右,尽心護視。融怪其貌類范,而殊不意,乃謂曰:「卿何似我故功曹?」范訶之曰:「君困厄,瞀乱耶?」後融釈係出,病因,范随養視;及死,送喪至南陽,葬畢而去,終不言姓名。〔評〕一辟之感,屈身求済。士之於知己,甚矣哉!
書き下し
廉范、字は叔度。永平の初め、隴西太守の鄧融、范を辟して功曹と為す。会ま融、州の挙ぐる所の案となり、范、事の譴め解き難きを知り、権を以て相い済わんと欲し、乃ち病に托して去らんことを求む。融、其の意に達せず、大いに之を恨む。范、乃ち東のかた洛陽に至り、姓名を変えて、遷尉の獄卒に代わらんことを求む。未だ幾ならずして、融は果たして徴されて獄に下る。范、遂に左右に衛侍することを得て、心を尽くして護視す。融、其の貌の范に類するを怪しむも、殊に意とせず、乃ち謂いて曰く、「卿は何ぞ我が故の功曹に似たるや」と。范これを訶して曰く、「君、困厄して、瞀乱せしか」と。後、融、釈かれて係を出づ。病みて困しむ。范は随って養視す。死するに及び、喪を送りて南陽に至り、葬り畢りて去り、終に姓名を言わず。〔評〕一たび辟かるるの感に、身を屈して済わんことを求む。士の知己に於けるや、甚しいかな。
現代語訳
廉范は、字を叔度といいます。永平の初め、隴西太守の鄧融が廉范を召し抱えて功曹にしました。たまたま鄧融が州から糾弾される事件が起こり、廉范は、この事件のとがめが解きがたいと知り、権謀をもって救おうと考え、病気を理由に辞職を願い出ました。鄧融はその意図を理解せず、大いに恨みました。廉范は東の洛陽に行き、姓名を変えて、遷尉の獄卒の代わりになることを求めました。まもなく、鄧融は予想どおり召喚されて獄に下されました。廉范はそばに仕えることができ、心を尽くして世話をしました。鄧融は、その顔が昔の廉范に似ていることを不思議に思いましたが、特に気にせず、言いました。「あなたはどうして、私の昔の功曹に似ているのか。」廉范はこれを叱って言いました。「あなたは困窮して、頭が混乱されたのですか。」のちに鄧融は釈放され、病気で苦しみました。廉范はそばで看病しました。死去すると、葬列を送って南陽に至り、埋葬が終わると去り、ついに姓名を明かしませんでした。〔評〕一度召し抱えられた恩に感じて、身を屈して助けようとした。士が自分を知る者に対する思いは、なんと深いことか。
解説
この章句が説くこと
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『徂徠先生答問書』卷中其子細は身を我身と不存候事は妾婦の道にて候。女は人に身を任せ候ものなるが故、己が了簡を出さず、夫に打任せ候事に候。臣は君の命をうけて、其職分をわが身の事と存じ務むる事に候。若己が存念に合不申、わが了簡に落不申事なれば、其職を辞し候事は、不忠に成候を恐れ候故に候。身を我物と不存候はゞ、わが了簡を出さず、いかやう共主君の心まかせに可仕候。しかれば君一人にて候。臣ありても臣なきがごとくに候。臣は君の助にて、使ひものにては無御座候を、奴僕を使ふごとくに思召候上の過より起りて、聖人の道には背き申候事に候。君の上にてはまかすとまかせざるとの違に候。臣の上にては、わが身の事と存候と不存候との違に候。君の思召次第にて、此方よりはいろはぬ事と存候は、上下心を二つにすると申物に候。是皆忠の字の義理分れ不申候より起り申候。能々御勘弁あるべき事と存候。以上。
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