智囊 / 委蛇・許武
陽羨人許武,嘗舉孝廉,仕通顯;而二弟晏、普未達。武欲令成名,一日謂二弟曰:「禮有分異之義,請與弟析資,可乎?」於是括財產三分之,武自取肥田廣宅,奴婢強者,而推其薄劣者與弟。時鄉人盡稱二弟克讓,而鄙武貪;晏、普竟用是名顯,並選舉。久之,武乃會宗親,告之曰:「吾為兄不肖,盜聲竊位。二弟年長,未沾榮祿,所以向求分財,自取大譏,為二弟地耳。今吾意已遂,其悉均前產。」遂出所贏,盡推二弟。〔評〕讓財猶易,讓名更難。
新字:陽羨人許武,嘗舉孝廉,仕通顕;而二弟晏、普未達。武欲令成名,一日謂二弟曰:「礼有分異之義,請与弟析資,可乎?」於是括財産三分之,武自取肥田広宅,奴婢強者,而推其薄劣者与弟。時郷人尽称二弟克譲,而鄙武貪;晏、普竟用是名顕,並選舉。久之,武乃会宗親,告之曰:「吾為兄不肖,盗声窃位。二弟年長,未沾栄禄,所以向求分財,自取大譏,為二弟地耳。今吾意已遂,其悉均前産。」遂出所贏,尽推二弟。〔評〕譲財猶易,譲名更難。
書き下し
陽羨の人・許武、嘗て孝廉に挙げられ、仕えて通顕なり。而るに二弟の晏・普は未だ達せず。武、成名せしめんと欲し、一日、二弟に謂いて曰く、「礼に分異の義有り。請う、弟と資を析かん。可なるか」と。是に於いて財産を括りて之を三分す。武、自ら肥田・広宅・奴婢の強き者を取り、其の薄劣なる者を弟に推す。時に郷人みな二弟の克く譲るを称え、武の貪なるを鄙しむ。晏・普は竟に是の名を用て顕れ、并びに選挙せらる。久しくして、武、乃ち宗親を会し、之に告げて曰く、「吾、兄と為りて不肖、声を盗み位を窃む。二弟、年長じて、未だ栄禄に沾わず。向に分財を求め、自ら大譏を取りしは、二弟の為に地するのみ。今、吾が意已に遂げり。其れ悉く前産を均しくせん」と。遂に贏る所を出し、尽く二弟に推す。〔評〕財を譲るは猶お易し、名を譲るは更に難し。
現代語訳
陽羨の人の許武は、かつて孝廉に推挙され、仕官して高い地位に就きました。しかし二人の弟の許晏と許普はまだ出世していませんでした。許武は弟たちに名を成させたいと思い、ある日、二人の弟に言いました。「礼には分家の理があります。どうか弟たちと財産を分けたいが、どうだろうか。」そこで財産をまとめて三つに分けました。許武は自分で肥えた田、広い家、強い奴婢を取り、痩せた田や劣る者を弟たちに与えました。そのとき郷里の人々はみな二人の弟が譲る心を持つことを称え、許武が貪欲であることを軽蔑しました。許晏と許普は結局この名声によって世に知られ、ともに推挙されました。しばらくして、許武は一族の者を集めて告げました。「私は兄として不肖で、名声を盗み地位を奪った。二人の弟は年を重ねても栄誉も俸禄も得ていなかった。先に財産分けを求め、自ら大きな批判を受けたのは、二人の弟のためにしたことにすぎない。いま私の望みはすでに遂げられた。以前の財産をすべて均等に分けよう。」そして余った分を出して、すべて二人の弟に譲りました。〔評〕財産を譲るのはまだ易しいが、名を譲るのはさらに難しい。
解説
この章句が説くこと
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説苑・復恩北郭騒踵いで晏子に見えて曰く、「窃かに先生の義を悦び、願はくは母を養ふ所以を乞はん」と。晏子人をして倉粟府金を分ちて之を遺らしむ、金を辞して粟を受く。間有りて、晏子景公に疑はれ、出奔す、北郭子其の友を召して之に告げて曰く、「吾晏子の義を悦びて嘗て母を養ふ所以を乞ひし者なり。吾之を聞く、其の親を養ふ者は、身其の難に更る、と。今晏子疑はる、吾将に身を以て之を白さんとす」と。遂に公庭に造りて復する者を求めて曰く、「晏子は天下の賢者なり、今斉国を去らば、斉国必ず侵されん、方に必ず国の侵さるるを見んとせば、若かず先に死して頸を絶ちて以て晏子を白すに」と。逡巡して退き、因りて自殺するなり。公之を聞きて大いに駭き、馳に乗じて自ら晏子を追ひ、之に国郊に及び、請ひて之を反す、晏子已むを得ずして之に反る、北郭子の死を以て己を白すを聞き、太息して歎じて曰く、「嬰不肖にして、罪過固に其の所なり、而れども士身を以て之を明らかにす、哀しいかな」と。
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説苑・立節晋の驪姫太子申生を献公に譖す。献公将に之を殺さんとす。公子重耳申生に謂いて曰わく、「此を為す者は子の罪に非ざるなり、子胡ぞ辞を進めざる、之を辞せば必ず罪を免れん」と。申生曰わく、「不可なり。我之を辞せば、驪姫必ず罪有らん。吾が君老いたり、驪姫微くんば寝ねて席に安んぜず、食して味を甘しとせず、如何ぞ吾が君をして恨みを以て終わらしめんや」と。重耳曰わく、「辞せずんば則ち速やかに去るに若かず」と。申生曰わく、「不可なり。去りて此を免るるは、是れ吾が君を悪しむなり。夫れ父の過を彰らかにして美を諸侯に取るは、孰か肯えて之を納れんや。入りては宗に困しみ、出でては逃に困しむ、是れ吾が悪を重ぬるなり。吾之を聞く、忠は君を暴かず、智は悪を重ねず、勇は死を逃れずと。是くの如き者は、吾身を以て之に当たらん」と。遂に剣に伏して死す。君子之を聞きて曰わく、「天命なるかな世子」と。詩に曰わく、「萋として斐たり、是の貝錦を成す。彼の人を譖る者、亦已に太甚し」と。
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『春秋左氏伝』荘公三十年・三十一年 子文、家を毀つ三十年春、王虢公に命じて樊皮を討たしむ。夏四月丙辰、虢公樊に入り、樊仲皮を執へ、京師に歸る。楚の公子元鄭を伐つより歸りて、王宮に處る。鬭射師諫むれば、則ち執へて之を梏す。秋、申公鬭班子元を殺す。鬭穀於菟令尹と爲り、自ら其の家を毀ちて以って楚國の難を紓ぶ。冬、魯の濟に遇ふ、山戎を謀るなり。其の燕を病ましむるを以っての故なり。三十一年夏六月、齊侯來たりて戎の捷を獻ず、禮に非ざるなり。凡そ諸侯四夷の功有れば、則ち王に獻じ、王以って夷を警む。中國には則ち否ず。諸侯相俘を遺らず。
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説苑・復恩呉起魏の将と為り、中山を攻む、軍人に疽を病む者有り、呉子自ら其の膿を吮ふ、其の母之を泣く、旁人曰く、「将軍而の子に於て是くの如し、尚ほ何為れぞ泣くや」と。対へて曰く、「呉子此の子の父の創を吮ひて之を注水の戦に殺せり、戦ひて踵を旋らさずして死せり、今又之を吮ふ、安んぞ是の子の何くにか戦ひて死せんかを知らんや、是を以て之を哭するなり」と。
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説苑・君道邾の文公繹に徙らんことを卜す。史曰く、「民に利あるも君に利あらず」と。君曰く、「苟くも民に利あらば、寡人の利なり。天烝民を生じて之に君を樹つるは、以て之を利するなり。民既に利あらば、孤必ず与らん」と。侍者曰く、「命長かるべきなり、君胡ぞ為さざる」と。君曰く、「命は民を牧するに在り、死の短長は時なり。民苟くも利あらば、吉孰か大ならん」と。遂に繹に徙る。
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