都鄙問答 / 卷之一・武士ノ道ヲ問ノ段
或問曰、我世忰、今度武家方ヘ奉公ニ出シ申候、士ノ道、如何申シキカセ然ベク候ヤ、答、我農圃ニ生レ、武ノ事委カラズトイヘドモ、書物ニテ見タル上ヲ以テ告ベシ、先君ニ事ル者ハ、凡テ臣ト云、臣ハ牽ナリト註シ、心常ニ君ニ牽ルヽナリ、又世間、君ヨリ奉祿ヲ得ガ爲ニ、牽ルヽ如クニ見ユル者アリ、子曰、鄙夫可與事君也與哉、其未得之也、患得之、旣得之患失之、苟患失之、無所不至矣ト、毫釐ホドモ、祿ヲノゾムニ心アラバ、君ヲ害フ本トナルベシ、古ヨリ不忠ヲナス者ハ、祿ヲ貪ル心ヨリナス所ナリ、臣ノ君ニ牽レシ道ヲ見トナラバ、舜ノ堯王ニ事、伊尹ノ湯王太甲ニ事、周公旦ハ武王成王ニ事ヘ玉フヲ見ベシ、今君ニ仕ル者モ、欲心ヲ離レ、古人ヲ見テ法ヲ取ベシ、其外般ノ王子比干、コレ等ノ旁ハ、皆義ヲ盡テ、心常ニ君ニ牽レ玉ヒ、今ニ至テ臣ヲ正ス法トナリ玉フ、
新字:或問曰、我世忰、今度武家方ヘ奉公ニ出シ申候、士ノ道、如何申シキカセ然ベク候ヤ、答、我農圃ニ生レ、武ノ事委カラズトイヘドモ、書物ニテ見タル上ヲ以テ告ベシ、先君ニ事ル者ハ、凡テ臣ト云、臣ハ牽ナリト註シ、心常ニ君ニ牽ルヽナリ、又世間、君ヨリ奉禄ヲ得ガ為ニ、牽ルヽ如クニ見ユル者アリ、子曰、鄙夫可与事君也与哉、其未得之也、患得之、既得之患失之、苟患失之、無所不至矣ト、毫釐ホドモ、禄ヲノゾムニ心アラバ、君ヲ害フ本トナルベシ、古ヨリ不忠ヲナス者ハ、禄ヲ貪ル心ヨリナス所ナリ、臣ノ君ニ牽レシ道ヲ見トナラバ、舜ノ堯王ニ事、伊尹ノ湯王太甲ニ事、周公旦ハ武王成王ニ事ヘ玉フヲ見ベシ、今君ニ仕ル者モ、欲心ヲ離レ、古人ヲ見テ法ヲ取ベシ、其外般ノ王子比干、コレ等ノ旁ハ、皆義ヲ尽テ、心常ニ君ニ牽レ玉ヒ、今ニ至テ臣ヲ正ス法トナリ玉フ、
書き下し
或ひと問ひて曰く、我が世忰、今度武家方へ奉公に出だし申し候。士の道、如何申しきかせ然るべく候や。答ふ、我農圃に生まれ、武の事委しからずといへども、書物にて見たる上を以て告ぐべし。先づ君に事ふる者は、凡て臣と云ふ。臣は牽なりと註し、心常に君に牽かるるなり。又世間、君より奉禄を得んが為に、牽かるる如くに見ゆる者あり。子曰く、鄙夫は与に君に事ふべけんや。其の未だ之を得ざるや、之を得んことを患ふ。既に之を得れば之を失はんことを患ふ。苟くも之を失はんことを患ふれば、至らざる所無し、と。毫釐ほども、禄をのぞむに心あらば、君を害ふ本となるべし。古より不忠をなす者は、禄を貪る心よりなす所なり。臣の君に牽かれし道を見んとならば、舜の堯王に事へ、伊尹の湯王太甲に事へ、周公旦は武王成王に事へ玉ふを見るべし。今君に仕ふる者も、欲心を離れ、古人を見て法を取るべし。其の外般の王子比干、これ等の旁は、皆義を尽くして、心常に君に牽かれ玉ひ、今に至りて臣を正す法となり玉ふ。
現代語訳
ある人が尋ねました。「わが息子をこのたび武家へ奉公に出すことになりました。武士の道をどのように言い聞かせればよいでしょうか。」梅岩は答えました。「私は農家の生まれで武家のことは詳しくありませんが、書物で読んだところをお伝えしましょう。まず、主君に仕える者はすべて臣と呼びます。臣とは牽く、つまり引かれるという意味だと注にあり、心がいつも主君に引かれている者のことです。ところが世の中には、主君から禄をもらうために引かれているように見える者がいます。孔子は『つまらない人間とは一緒に主君に仕えられようか。まだ手に入れないうちは手に入れようと心配し、手に入れれば失うことを心配する。失うことを心配しはじめれば、どんなことでもやりかねない』と言いました。ほんのわずかでも禄を望む心があれば、それが主君を害する元になります。昔から不忠をする者は、禄を貪る心からするのです。臣が主君に引かれた道を見たいなら、舜が堯に仕え、伊尹が湯王と太甲に仕え、周公旦が武王と成王に仕えた姿を見なさい。今主君に仕える者も欲心を離れ、昔の人を手本にすべきです。ほかにも殷の王子比干のような人々は、みな義を尽くして心がいつも主君に引かれ、今に至るまで臣の手本となっています。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』魯問魯君の嬖人、死す。魯君、之が為に誄す。魯人、因りて説びて之を用う。子墨子、之を聞きて曰く、「誄なる者は、死人の志を道うなり。今、説びて之を用うるに因るは、是れ猶お來首を以て服に從うがごときなり」と。魯陽文君、子墨子に謂いて曰く、「我に忠臣を語る者有り。之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぎ、處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ず。忠臣と謂う可きか」と。子墨子曰く、「之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぐは、是れ景に似たり。處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ずるは、是れ響に似たり。君、将た何をか景と響とに得んや。翟の所謂る忠臣なる者を以てせば、上に過ち有れば則ち之を微にして以て諌め、己に善有れば則ち之を上に訪ねて、敢えて以て外に告ぐる無く、其の邪を匡して其の善に入り、尚びて下に比する無く、美善を上に在らしめて怨讐を下に在らしめ、安樂を上に在らしめて憂慼を臣に在らしむ。此れ翟の忠臣と謂う者なり」と。
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『武士道』第九章 忠節・支那は孝を本とし日本は忠を本とす此れと等しく、日本人の懐抱する如き忠節は、国を異にして之を頌するものの、ほとんど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の観念の非なるが故にあらずして、却つて彼れにありては既に之を忘却せるが故にして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは、他国の未だ容易に企及する能はざるものあるが為なるなからんか。グリフィス氏が、支那に在りては孔教は孝を以て百行の基と為し、日本に在りては忠を以て本と為す、と説けるは真に然り。予は今ここに、読者の或は吃驚酸鼻すべきを顧みず、シェイクスピアの所謂『落魄の主君に仕へて艱苦をつぶさにし』、以て『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。其物語は、我国史を飾れる清廉高義の人格、菅原道真を寓せるものなり。
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葉隠・聞書第一主君さえ大切に仕り候えば、親も悦び、仏神も納受(のうじゅ)あるべしと存じ候。此方(こなた)は主を思うより外のこと知らず、志(こころざし)つのり候えば、不断(ふだん)御身辺(ごしんぺん)に気を附け、片時も離れ申さず候。又、女は第一に夫を主君の如く存ずべき事である。
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『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
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葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
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『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。