智囊 / 委蛇・楊一清
楊文襄一清,與內臣張永同提兵討安化王,楊在軍中語及逆瑾事。因以危言動永,即於袖中出二疏,一言平賊事,一言內變事,囑永曰:「公班師入京見上,先進寧夏疏,上必就公問,公詭言請屏人語,乃進內變疏。」永曰:「即不濟,奈何?」公曰:「他人言,濟不濟未可知,公言必濟。顧公言時,須有端緒,萬一不信公,公可頓首請上即時召瑾,沒其兵器,勸上登城驗之:『若無反狀,殺奴喂狗』。又頓首哭泣,上必大怒瑾。瑾誅,公大用,盡矯其所為。呂強、張承業,與公千載三人耳。但須得請即行事,勿緩頃刻。」永勃然作曰:「老奴何惜餘年報主乎?」已而永入見,如公策,事果濟。瑾初縛時,得旨降南京奉御,瑾上白帖,乞一二敝衣蓋體,上憐之,令與故衣百件。永懼,謀之內閣,令科道劾瑾,劾中多波及阿瑾諸臣。永持疏至左順門,謂諸言官曰:「瑾用事時,我輩亦不敢言,況爾兩班官;今罪止瑾一人,勿動搖人情也!可領此疏去,急易疏進。」此疏入,瑾遂正法,止連及文臣張綵一人、武臣楊玉等六人而已。〔評〕除瑾除彬,多借張永之力。若全仗外庭,斷不濟事!永不欲旁及多人,更有識見,然非楊文襄智出永上,永亦不為之用。吁!此文襄所以稱「智囊」也!
新字:楊文襄一清,与内臣張永同提兵討安化王,楊在軍中語及逆瑾事。因以危言動永,即於袖中出二疏,一言平賊事,一言内変事,囑永曰:「公班師入京見上,先進寧夏疏,上必就公問,公詭言請屏人語,乃進内変疏。」永曰:「即不済,奈何?」公曰:「他人言,済不済未可知,公言必済。顧公言時,須有端緒,万一不信公,公可頓首請上即時召瑾,没其兵器,勧上登城験之:『若無反状,殺奴喂狗』。又頓首哭泣,上必大怒瑾。瑾誅,公大用,尽矯其所為。呂強、張承業,与公千載三人耳。但須得請即行事,勿緩頃刻。」永勃然作曰:「老奴何惜余年報主乎?」已而永入見,如公策,事果済。瑾初縛時,得旨降南京奉御,瑾上白帖,乞一二敝衣蓋体,上憐之,令与故衣百件。永懼,謀之内閣,令科道劾瑾,劾中多波及阿瑾諸臣。永持疏至左順門,謂諸言官曰:「瑾用事時,我輩亦不敢言,況爾両班官;今罪止瑾一人,勿動揺人情也!可領此疏去,急易疏進。」此疏入,瑾遂正法,止連及文臣張綵一人、武臣楊玉等六人而已。〔評〕除瑾除彬,多借張永之力。若全仗外庭,断不済事!永不欲旁及多人,更有識見,然非楊文襄智出永上,永亦不為之用。吁!此文襄所以称「智嚢」也!
書き下し
楊文襄一清、内臣の張永と同に兵を提げて安化王を討つ。楊、軍中に在りて逆瑾の事に語り及ぶ。因りて危言を以て永を動かし、即ち袖中より二疏を出す。一は平賊の事を言い、一は内変の事を言う。永に嘱して曰く、「公、班師して京に入りて上に見えん。先ず寧夏の疏を進めよ。上必ず公に就きて問わん。公、詭りて人を屏けて語らんことを請い、乃ち内変の疏を進めよ」と。永曰く、「即し済らずんば、奈何せん」と。公曰く、「他人の言なれば、済ると済らざると未だ知るべからず。公の言なれば必ず済る。顧うに公の言う時には、須く端緒有るべし。万一公を信ぜずんば、公は頓首して上に即時に瑾を召し、其の兵器を没し、上に登城して之を験せんことを勧むべし。『若し反状無くんば、奴を殺して犬に喂らわん』と。又た頓首し哭泣せよ。上必ず大いに瑾に怒らん。瑾誅せられ、公は大いに用いられ、尽く其の所為を矯めん。呂強・張承業と、公とは千載に三人のみ。但だ請を得れば即ち事を行い、頃刻も緩むること勿かれ」と。永、勃然として作ちて曰く、「老奴、何ぞ余年を惜しみて主に報いざらんや」と。已にして永入見し、公の策の如くして、事果して済る。瑾の初めて縛せらるるや、旨を得て南京奉御に降さる。瑾、白帖を上りて、一二の敝衣もて体を蓋わんことを乞う。上これを憐れみ、故衣百件を与えしむ。永は懼れ、内閣に謀り、科道をして瑾を劾せしむ。劾中に多く瑾に阿りし諸臣に波及す。永、疏を持して左順門に至り、諸言官に謂いて曰く、「瑾の用事する時、我が輩も亦た敢えて言わず。況んや爾ら両班の官をや。今、罪は瑾一人に止まる。人情を動揺すること勿かれ。此の疏を領して去り、急ぎ疏を易えて進めよ」と。此の疏入りて、瑾遂に正法せられ、止だ文臣の張綵一人、武臣の楊玉ら六人に連及せしのみ。〔評〕瑾を除き彬を除くは、多く張永の力を借る。若し全く外廷に仗らば、断じて済らず。永の旁く多人に及ぼすを欲せざるは、更に識見有り。然れども楊文襄の智、永の上に出ずるに非ざれば、永も亦た之が用を為さず。吁、此れ文襄の「智囊」と称せらるる所以なり。
現代語訳
楊一清は、宦官の張永とともに軍を率いて安化王を討ちました。楊一清は軍中で、逆臣の劉瑾のことに話が及ぶと、きわどい言葉で張永の心を動かし、袖の中から二通の上奏文を出しました。一つは賊を平定したことを述べ、もう一つは内部の変事のことを述べていました。張永に言い含めました。「あなたは軍を引き上げて都に入り、陛下に拝謁してください。まず寧夏の上奏を差し出しなさい。陛下はきっとあなたに尋ねるでしょう。そのとき、偽って人払いを請い、内部の変事の上奏を差し出しなさい。」張永は言いました。「もしうまくいかなかったらどうする。」楊一清は言いました。「他の人の言葉なら、うまくいくかどうか分かりません。あなたの言葉なら必ず成功します。ただあなたが話すときは、筋道を立てなければなりません。万一あなたを信じなければ、頭を地につけて、陛下に今すぐ劉瑾を召して、その武器を取り上げ、城に登って確かめるよう勧めなさい。『もし反逆の形跡がなければ、この奴を殺して犬に食わせてください』と。さらに頭を地につけて泣きなさい。陛下は必ず劉瑾に大いに怒るでしょう。劉瑾が誅せられ、あなたは大いに用いられて、すべてのしわざを正すでしょう。呂強、張承業、そしてあなたとで、千年の間に三人だけです。ただ、承認を得たらすぐ事を行い、一刻も遅らせないでください。」張永は勃然と立ち上がって言いました。「この老いぼれは、残りの年を惜しんで主君に報いないことなどあろうか。」やがて張永は参内して拝謁し、楊一清の策どおりにして、事は果たして成功しました。劉瑾が縛られた初め、詔を得て南京奉御に降格されました。劉瑾は書状を上り、一、二着の破れた衣で体を覆うことを願いました。帝はこれを憐れんで、古着百着を与えさせました。張永はおそれ、内閣に相談して、科道官に劉瑾を弾劾させました。弾劾文には、劉瑾に迎合した多くの臣が波及しました。張永は上奏文を持って左順門に行き、諸言官に言いました。「劉瑾が権勢を振るっていたとき、我々も敢えて言わなかった。まして君たち両班の官は言うまでもない。いま罪は劉瑾一人に止める。人心を動揺させるな。この上奏文を受け取って帰り、急ぎ書き換えて差し出せ。」この上奏文が入って、劉瑾はついに処刑され、連座したのは文臣の張綵一人、武臣の楊玉ら六人だけでした。〔評〕劉瑾を除き、彬を除いたのは、多くは張永の力を借りた。もしすべて外廷の官僚に頼っていたら、断じて成功しなかっただろう。張永が広く多くの人に及ぼすことを望まなかったのは、さらに識見がある。しかし、楊一清の智が張永より上でなければ、張永も用をなさなかっただろう。ああ、これが楊一清が「智囊」と称される理由である。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・楊一清西番は故より馬に饒かにして、中国の茶に仰給して飲み、疾を療す。祖制は蜀の茶を以て番馬に易う。久しくして寝弛し、茶は多く闌出し、奸人の利と為り、而して番馬は時に至らず。楊文襄、乃ち太僕・宛馬の官を重ねて行うことを請い、而して私通の禁を厳にし、尽く茶の利を官に籠め、以て諸番を報致す。番馬大いに集まり、而して屯牧の政修まる。〔馮述評〕其の陝西を撫するや、則ち城を平虜・紅古の二地に創り、以て固原の援と為し、垣を築きて河に瀕し、以て靖虜を捍ぐ。其の安化を討つや、則ち張永に策を授けて以て逆瑾を誅す。出でては将、入りては相、謀りて酬いざる無し。当時、公を目して「智囊」と為し、之を姚崇に比するは、虚ならざるなり。
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『智囊』權奇・楊暄土木の変、内侍の喜寧は本は胡種なり。太上に虜中に従い、数々虜を導きて入寇せしめ、以て和議を敗る。上これを患う。袁彬、太上に言い、寧を遣わして宣府の参将楊俊に命を伝え、春衣を索めしめ、因りて軍士の高磐をして与に俱にせしむ。彬、木を刻みて書を蔵し、磐の髀の間に係け、以て俊に示し、因りてその来るに俾いてこれを執えしむ。俊既に書を得て、寧と城下に飲む。磐、寧を抱きて大呼す。俊の従兵、遂に寧を縛して京に解き、処するに極刑を以てす。是に於て虜は嚮導を失い、兵を厭い、遂に返蹕を許す。按ずるに、彬は虜中に周旋し、英廟と起処を同にし、その力を宣ぶること最も多し。而して寧を誅するは尤も要著と為す。亦た寧武子の亜なり。
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『智囊』迎刃・李賢・王瓊法司奏す、石亨ら既に誅せられ、其の党にして奪門の功を冒して官に升る者数千人、倶に合に査究すべしと。上は李賢を召して曰く、「此の事は人心を驚動するを恐る」と。賢曰く、「朝廷は自首を許して罪を免ぜしむれば、事は方に妥なり」と。是に於いて功を冒す者四千余人、尽く首して改正す。武宗の南巡より還るに、弥留に当たりて、楊石斎は已に江彬を擒えんと計を定む。然れども彬の領する所の辺兵数千人は、彬の爪牙たる者にして、皆な勁卒なり。其の倉卒に変を為さんことを恐れ、計の出ずる所無く、因りて王晋渓に謀る。晋渓曰く、「当に其の扈従南巡の功を録し、通州に至りて賞を聴かしむべし」と。是に於いて辺兵は尽く出で、彬は遂に擒えらる。
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『智囊』迎刃・張濬叛将范瓊は兵を擁して上流に拠り、之を召せども来たらず、来たれども又た兵を釈くことを肯んぜず、中外洶洶たり。張忠献は劉子羽と密かに謀りて之を誅さんとす。一日、張俊を遣わして千人を以て江を渡らしむること、他盗を捕らうるが若し。因りて瓊を召し、俊及び劉光世は都堂に詣りて事を計り、為に飲食を設く。食らい已りて相顧み、未だ発せず。子羽は廡下に坐し、瓊の覚りて事中ごろに変ぜんことを恐れ、遽かに黄紙を取り、之を執りて趨り前み、挙げて以て瓊に麾して曰く、「下れ。敕有り、将軍は大理に詣りて対を置くべし」と。瓊は愕きて為す所を知らず。子羽は左右を顧み、擁して輿中に置き、俊の兵を以て衛送して獄に下す。光世をして出でて其の衆を撫でしめ、且つ曰く、「誅する所は止だ瓊のみ。汝らは固より天子の自ら将いる兵なり」と。衆は皆な刀を投じて曰く、「諾」と。悉く麾して他の軍に隷し、頃刻にして定まる。瓊は誅に伏す。
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