智囊 / 迎刃・張濬
叛將范瓊擁兵據上流,召之不來,來又不肯釋兵,中外洶洶。張忠獻與劉子羽密謀誅之。一日遣張俊以千人渡江,若捕他盜者。因召瓊,俊及劉光世詣都堂計事,為設飲食。食已,相顧未發。子羽坐廡下,恐瓊覺事中變,遽取黃紙,執之趨前,舉以麾瓊曰:「下!有敕,將軍可詣大理置對。」瓊愕不知所為。子羽顧左右,擁置輿中,以俊兵衛送獄,使光世出撫其眾,且曰:「所誅止瓊,汝等固天子自將之兵也。」眾皆投刀曰:「諾。」悉麾隸他軍,頃刻而定。瓊伏誅。
新字:叛将范瓊擁兵拠上流,召之不来,来又不肯釈兵,中外洶洶。張忠献与劉子羽密謀誅之。一日遣張俊以千人渡江,若捕他盗者。因召瓊,俊及劉光世詣都堂計事,為設飲食。食已,相顧未発。子羽坐廡下,恐瓊覚事中変,遽取黄紙,執之趨前,舉以麾瓊曰:「下!有勅,将軍可詣大理置対。」瓊愕不知所為。子羽顧左右,擁置輿中,以俊兵衛送獄,使光世出撫其衆,且曰:「所誅止瓊,汝等固天子自将之兵也。」衆皆投刀曰:「諾。」悉麾隸他軍,頃刻而定。瓊伏誅。
書き下し
叛将范瓊は兵を擁して上流に拠り、之を召せども来たらず、来たれども又た兵を釈くことを肯んぜず、中外洶洶たり。張忠献は劉子羽と密かに謀りて之を誅さんとす。一日、張俊を遣わして千人を以て江を渡らしむること、他盗を捕らうるが若し。因りて瓊を召し、俊及び劉光世は都堂に詣りて事を計り、為に飲食を設く。食らい已りて相顧み、未だ発せず。子羽は廡下に坐し、瓊の覚りて事中ごろに変ぜんことを恐れ、遽かに黄紙を取り、之を執りて趨り前み、挙げて以て瓊に麾して曰く、「下れ。敕有り、将軍は大理に詣りて対を置くべし」と。瓊は愕きて為す所を知らず。子羽は左右を顧み、擁して輿中に置き、俊の兵を以て衛送して獄に下す。光世をして出でて其の衆を撫でしめ、且つ曰く、「誅する所は止だ瓊のみ。汝らは固より天子の自ら将いる兵なり」と。衆は皆な刀を投じて曰く、「諾」と。悉く麾して他の軍に隷し、頃刻にして定まる。瓊は誅に伏す。
現代語訳
反逆の将、范瓊は兵を擁して長江の上流に拠り、召しても来ず、来ても兵を手放そうとせず、内外が騒然としていた。張忠献(張浚)は劉子羽とひそかに謀って彼を誅殺しようとした。ある日、張俊に千人を率いて長江を渡らせ、他の盗賊を捕らえに行くように見せかけた。そのうえで瓊を召し、張俊と劉光世は都堂に行って相談し、彼らのために食事を設けた。食べ終わって互いに見合ったが、まだ決行しなかった。子羽は廊下の下に座り、瓊が気づいて事が途中で変わることを恐れ、急に黄色い紙を手に取り、それを持って進み出て、瓊に向かって掲げて言った。「下がれ。勅命がある。将軍は大理寺に行って取り調べを受けよ」。瓊は驚いてなすすべがなかった。子羽は左右を見て、取り囲んで輿の中に置かせ、張俊の兵に護送させて獄に下した。劉光世を出して瓊の兵たちを慰撫させ、こう言わせた。「誅するのは瓊だけだ。お前たちはもとより天子が自ら率いる兵である」。兵たちは皆、刀を投げて言った。「承知しました」。全員を他の軍に配属し直し、瞬く間に事は平定した。瓊は誅に服した。
解説
この章句が説くこと
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