智囊 / 經務・楊一清
西番故饒馬,而仰給中國茶飲療疾。祖制以蜀茶易番馬,久而寢弛,茶多闌出,為奸人利,而番馬不時至。楊文襄乃請重行太僕宛馬之官,而嚴私通禁,盡籠茶利於官,以報致諸番。番馬大集,而屯牧之政修。〔馮述評〕其撫陝西,則創城平虜、紅古二地,以為固原援。築垣瀕河,以捍靖虜。其討安化,則授張永策以誅逆瑾。出將入相,謀無不酬,當時目公為「智囊」,又比之姚崇,不虛也!
新字:西番故饒馬,而仰給中国茶飲療疾。祖制以蜀茶易番馬,久而寝弛,茶多闌出,為奸人利,而番馬不時至。楊文襄乃請重行太僕宛馬之官,而厳私通禁,尽籠茶利於官,以報致諸番。番馬大集,而屯牧之政修。〔馮述評〕其撫陝西,則創城平虜、紅古二地,以為固原援。築垣瀕河,以捍靖虜。其討安化,則授張永策以誅逆瑾。出将入相,謀無不酬,当時目公為「智嚢」,又比之姚崇,不虚也!
書き下し
西番は故より馬に饒かにして、中国の茶に仰給して飲み、疾を療す。祖制は蜀の茶を以て番馬に易う。久しくして寝弛し、茶は多く闌出し、奸人の利と為り、而して番馬は時に至らず。楊文襄、乃ち太僕・宛馬の官を重ねて行うことを請い、而して私通の禁を厳にし、尽く茶の利を官に籠め、以て諸番を報致す。番馬大いに集まり、而して屯牧の政修まる。〔馮述評〕其の陝西を撫するや、則ち城を平虜・紅古の二地に創り、以て固原の援と為し、垣を築きて河に瀕し、以て靖虜を捍ぐ。其の安化を討つや、則ち張永に策を授けて以て逆瑾を誅す。出でては将、入りては相、謀りて酬いざる無し。当時、公を目して「智囊」と為し、之を姚崇に比するは、虚ならざるなり。
現代語訳
西方の異民族の地はもともと馬が豊富で、彼らは中国の茶に頼って飲み、病を治していた。祖法では蜀の茶を番馬と交換した。長い年月で制度が緩み、茶は多く密かに持ち出され、悪人の利益となり、番馬は時に入ってこなくなった。楊一清は、太僕寺と宛馬の官を改めて機能させることを願い出て、私的な取引の禁令を厳しくし、茶の利益をすべて官に集めて、それによって諸番を呼び寄せた。番馬は大いに集まり、屯田と牧畜の政治が整った。〔馮夢龍の評〕楊一清は陝西を治めた時、平虜・紅古の二地に城を築き、固原の援護とし、河沿いに垣を築いて靖虜を防いだ。安化王を討った時は、張永に策を授けて逆賊の劉瑾を誅した。外に出れば将軍、内に入れば宰相となり、謀って成功しないことはなかった。当時の人が彼を「智囊」と見なし、唐の姚崇に比べたのは、嘘ではない。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』遠猶・張詠張忠定、崇陽県に知たり。民は茶を以て業と為す。公曰く、「茶の利は厚し、官将に之を榷せんとす。早く自ら異にするに若かず」と。命じて茶を抜きて桑を植えしむ。民以て苦しと為す。其の後、茶を榷するに、他県は皆な業を失い、而して崇陽の桑は皆已に成り、絹を為すこと歳に百万匹。民公の恵みを思い、廟を立てて之に報ず。〔馮述評〕文温州林、永嘉に官たりし時、其の地に美梨を産す。持ちて中官に献ずる者有り、中官は民をして納めて以て貢に充てしむ。公曰く、「梨の民を利すること幾何ぞ。歳ごとに例と為さば、其の害大なり」と。悉く其の樹を伐らしむ。中官怒りて之を譖す。会たま卓異に薦められて免るるを得たり。近年、虎丘の茶も亦僧の害する所と為り、僧も亦樹を伐りて以て之を絶つ。嗚呼、中官は道うに足らず。人の牧と為りて民をして樹を伐りて以て害を避けしむるに至る、此の情、念わざるべけんや。〔馮注:林は、衡山先生の父なり。〕《泉南雑誌》に云う、泉の地は甘蔗を出し、糖を為して利厚し。往往にして稲田を改めて蔗を種うる者有り。故に稲米益々乏しく、皆な浙直の海販に仰給す。茲の土に蒞む者は、当に法を設けて之を禁ずべし。驟かには情ならざるに似たるも、恵後は甚だ溥し、と。
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『智囊』委蛇・楊一清楊文襄一清、内臣の張永と同に兵を提げて安化王を討つ。楊、軍中に在りて逆瑾の事に語り及ぶ。因りて危言を以て永を動かし、即ち袖中より二疏を出す。一は平賊の事を言い、一は内変の事を言う。永に嘱して曰く、「公、班師して京に入りて上に見えん。先ず寧夏の疏を進めよ。上必ず公に就きて問わん。公、詭りて人を屏けて語らんことを請い、乃ち内変の疏を進めよ」と。永曰く、「即し済らずんば、奈何せん」と。公曰く、「他人の言なれば、済ると済らざると未だ知るべからず。公の言なれば必ず済る。顧うに公の言う時には、須く端緒有るべし。万一公を信ぜずんば、公は頓首して上に即時に瑾を召し、其の兵器を没し、上に登城して之を験せんことを勧むべし。『若し反状無くんば、奴を殺して犬に喂らわん』と。又た頓首し哭泣せよ。上必ず大いに瑾に怒らん。瑾誅せられ、公は大いに用いられ、尽く其の所為を矯めん。呂強・張承業と、公とは千載に三人のみ。但だ請を得れば即ち事を行い、頃刻も緩むること勿かれ」と。永、勃然として作ちて曰く、「老奴、何ぞ余年を惜しみて主に報いざらんや」と。已にして永入見し、公の策の如くして、事果して済る。瑾の初めて縛せらるるや、旨を得て南京奉御に降さる。瑾、白帖を上りて、一二の敝衣もて体を蓋わんことを乞う。上これを憐れみ、故衣百件を与えしむ。永は懼れ、内閣に謀り、科道をして瑾を劾せしむ。劾中に多く瑾に阿りし諸臣に波及す。永、疏を持して左順門に至り、諸言官に謂いて曰く、「瑾の用事する時、我が輩も亦た敢えて言わず。況んや爾ら両班の官をや。今、罪は瑾一人に止まる。人情を動揺すること勿かれ。此の疏を領して去り、急ぎ疏を易えて進めよ」と。此の疏入りて、瑾遂に正法せられ、止だ文臣の張綵一人、武臣の楊玉ら六人に連及せしのみ。〔評〕瑾を除き彬を除くは、多く張永の力を借る。若し全く外廷に仗らば、断じて済らず。永の旁く多人に及ぼすを欲せざるは、更に識見有り。然れども楊文襄の智、永の上に出ずるに非ざれば、永も亦た之が用を為さず。吁、此れ文襄の「智囊」と称せらるる所以なり。
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『智囊』辯才・楊善又其の計に従い、已に薬を取り来たる。天下より三十万の有力にして能く射る者を選び、演習せしめ、曾て罪人を将て試験す。又一人策を献じて云う、『如今、火槍を放つ者は、三四層有りと雖も、彼は放ち了りて又薬を装するを見て、便ち馬を放ちて来たり衝踩す。若し大様の両頭銃を做り、鉄弾子数個を装し、毒薬を擦上し、四層に排し、馬の来たるを候ちて斉しく発せば、俱に肚を打ち穿たん』と。曾て三百歩の外を試験するに皆然り。計を献ずる者は皆、官を升せられ賞を加えられ、天下の智謀有る者之を聞き、皆来たらざる莫し。操練する所の軍馬も又精鋭なり。惜しむべし無用なるを」。虜人曰く、「如何ぞ無用なる」。善曰く、「若し両家和を講ぜば、何をか用いん」。虜人、言を聞き、潜かに往きて報知す。次日、善、営に至り、也先に見ゆ。問う、「汝は是れ何の官ぞ」。曰く、「都御史なり」。曰く、「両家の和好すること許多の年、今番、如何ぞ我が使臣を拘留し、我が馬価を減じ、与うる所の段匹は、一匹を剪りて両匹と為し、我が使臣を館中に閉じて放ち出さざる。這等の計較、如何」。善曰く、「比先、汝が父の使臣を差わして馬を進むるは、三十余人に過ぎず。討む所の物件は、十に二三を与うるも、也た計較無く、一向に和好せり。
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『智囊』權奇・楊璡楊璡、丹徒の知県を授かる。会たま中使、浙に如き、至る所、守令を縛して舟中に置き、賂を得て始めて釈く。将に丹徒に至らんとす。璡、善く泅ぐ者二人を選び、耆老の衣冠を著せしめ、先に馳せて以て迎えしむ。中使、怒りて曰く、「令は安くにか在る。汝、敢えて来たりて我に謁するか」と。左右に令して之を執らしむ。二人、即ち江中に躍り入り、潜遁して去る。璡、徐に至り、紿きて曰く、「聞くならく、公、二人を江中に駆りて溺死せしむと。方今、聖明の世、法令は森厳なり。人命を如何せん」と。中使、懼れ、礼謝して去る。他所を歴ると雖も、亦た復た放恣せずと云う。
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『智囊』辯才・楊善汝、今差わし来たる使臣は、多きこと三千余人に至る。皇帝に一見すれば、每人便ち織金の衣服一套を賞し、十数歳の孩児と雖も、也た一般に賞賜し、殿上に筵宴す。何が為ぞ。只だ是れ官人の面上を好看ならしめんと要するなり。回るに臨みては、又賞宴を加え、人を差わして送り去らしむ。何ぞ曾て拘留せん。或いは是れ帯び来たる小廝、中国に到りて奸を為し盗を為し、使臣の知るを懼怕して、小路より逃げ去り、或いは虎狼に遇い、或いは別処に投ぜん。中国は他を留めて何をか用いん。若し馬価を減ずる一節は、亦た故有り。先次、官人の家書一封、使臣王喜に著して中国の某人に送らしむ。会たま喜在らず、誤りて呉良に著して収めしめ、朝廷に進む。後に某人、朝廷の疑怪を怕れ、乃ち権臣に結び、因りて説く、『這番の進馬は、正経の頭目に係らず、如何ぞ一般に賞せん』と。此れを以て馬価を減ず。某人の使臣を送り去るに及び、反って是れ呉良の詭計の減ずる所と説く。意は官人の呉良を殺害せんことを欲す。想わざりき果たして其の計に中たるとは」。也先曰く、「者」。胡語の「者」は、然りの詞なり。又、鍋を買う一節を説く、「此の鍋は広東に出で、京師に到るまで万余里、一鍋は絹二匹に売る。使臣去りて買うに、只だ一匹を与う。此れを以て争鬥し、鍋を売る者は門を閉ざして売らず。皇帝如何ぞ得て知らん。譬えば南朝の人、使臣に馬を買わんと問うに、価少なければ便ち肯えて売らざるが如し。豈に是れ官人の吩咐して他をして来たらしむるならんや」。
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『智囊』辯才・楊善而して中朝の諸臣は、一は虜の欺きを受けんことを恐れ、二は嗣立者の意に払わんことを恐れ、相い顧みて推諉して敢えて任ずる莫し。善、義、心に激し、慨然として往かんことを請う。尺帛半鏹をも費やさず、単辞にして完璧なり。此れ又豈に廝養卒の敢えて望む所ならんや。土木は是れ一時の誤陥にして、晋・宋の削弱するとは同じからず。而して也先の名を好むは、又胡・劉・女直の残暴無忌なるの比に非ず。其の強勢も亦た遠く逮ばず。所以に楊善の言入り易し。晋・宋の往時に在らしめば、百の楊善と雖も、喙を置く所無からん。然れども爾の時、印累累、綬若若たるに、慨然として往かんことを請うは、独り一都御史のみ。即し善の口舌無くも、独り善の心肝無からんや。
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