智囊 / 靈變・徐文貞・王守仁
守仁有侍兒,年十四矣,知佐等謀,夜入帳中告公,公大驚,達旦不寐,使人告蘇、受:「毋信讒言,我必不殺若等。」受疑懼未決,言「來見時必陳兵衛。」公許之,受復言:「軍門左右祗候,須盡易以田州人,不易即不見。」公不得已,又許之。蘇、受入軍門,兵衛充斥,郡人大恐,公數之,論杖一百,蘇、受不免甲而杖,杖人又田州人也,由是安然受杖而出,諸蠻咸帖。〔按〕龍光,字沖虛,吉水人,以縣丞致仕。王公督軍虔南日,辟為參謀。宸濠之變,公易舟南趨吉安,光實贊之,一切籌畫,多出自光。後九年,田州之役,公復檄光以從,卒定諸蠻,亦異人也。陳眉公惜其功賞廢閣,為之立傳。
新字:守仁有侍児,年十四矣,知佐等謀,夜入帳中告公,公大驚,達旦不寐,使人告蘇、受:「毋信讒言,我必不殺若等。」受疑懼未決,言「来見時必陳兵衛。」公許之,受復言:「軍門左右祗候,須尽易以田州人,不易即不見。」公不得已,又許之。蘇、受入軍門,兵衛充斥,郡人大恐,公数之,論杖一百,蘇、受不免甲而杖,杖人又田州人也,由是安然受杖而出,諸蠻咸帖。〔按〕竜光,字沖虚,吉水人,以県丞致仕。王公督軍虔南日,辟為参謀。宸濠之変,公易舟南趨吉安,光実賛之,一切籌画,多出自光。後九年,田州之役,公復檄光以従,卒定諸蠻,亦異人也。陳眉公惜其功賞廃閣,為之立伝。
書き下し
守仁に侍児有り、年十四なり。佐らの謀を知り、夜に帳中に入りて公に告ぐ。公は大いに驚き、旦に達るまで寐ねず、人をして蘇、受に告げしむ、「讒言を信ずる毋かれ、我は必ず若らを殺さず」と。受は疑い懼れて未だ決せず、言う、「来り見ゆる時には必ず兵衛を陳ねん」と。公は之を許す。受は復た言う、「軍門の左右の祗候は、須らく尽く田州の人に易うべし。易えずんば即ち見ず」と。公は已むを得ず、又た之を許す。蘇、受は軍門に入る。兵衛は充斥し、郡人は大いに恐る。公は之を数め、論じて杖百とす。蘇、受は甲を免れずして杖たる。杖つ人も又た田州の人なり。是れに由りて安然として杖を受けて出で、諸蛮は咸な帖す。〔按〕龍光、字は沖虚、吉水の人、県丞を以て致仕す。王公の虔南に督軍せし日、辟して参謀と為す。宸濠の変に、公は舟を易えて南のかた吉安に趨く。光は実に之を贊し、一切の籌畫は多く光に出づ。後九年、田州の役に、公は復た光を檄して以て従わしめ、卒に諸蛮を定む。亦た異人なり。陳眉公は其の功賞の廃閣するを惜しみ、為に伝を立つ。
現代語訳
守仁には侍女がいて、十四歳だった。王佐らの企てを知り、夜に帳の中へ入って公に告げた。公は大いに驚き、夜明けまで眠らず、人を遣わして蘇と受に告げさせた。「讒言を信じてはならない。私は決してお前たちを殺さない」。受は疑い恐れて決めかね、言った。「お会いするときには、必ず武装した護衛を並べさせてください」。公はこれを許した。受はさらに言った。「軍門の左右の護衛は、すべて田州の人に替えてください。替えなければ会いません」。公はやむを得ず、これも許した。蘇と受は軍門に入った。兵の護衛があふれ、郡の人々は大いに恐れた。公は二人の罪を数え上げ、杖百の刑を言い渡した。蘇と受は鎧を脱がないまま杖打ちを受けた。杖を打つ者も田州の人だった。こうして安心して杖を受けて退出し、諸蛮はみな服した。〔按〕龍光、字は沖虚は吉水の人で、県丞として退職していた。王公が虔南で軍を督していたとき、招いて参謀にした。宸濠の乱では、公は舟を乗り換えて南の吉安へ向かい、光はこれを助け、すべての策略の多くは光から出た。その後九年たって田州の戦いのとき、公はまた光を呼んで従わせ、ついに諸蛮を平定した。これも非凡な人物である。陳眉公は、その功績や褒賞が棚上げにされたことを惜しみ、伝を立てた。
解説
この章句が説くこと
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