智囊 / 識斷・祝知府
南昌祝守以廉能名。寧府有鶴,為民犬咋死,府卒訟之云:「鶴有金牌,乃出御賜。」祝公判云:「鶴帶金牌,犬不識字;禽獸相傷,豈乾人事?」竟縱其人。又兩家牛鬥,一牛死,判云:「兩牛相爭,一死一生;死者同享,生者同耕。」
新字:南昌祝守以廉能名。寧府有鶴,為民犬咋死,府卒訟之云:「鶴有金牌,乃出御賜。」祝公判云:「鶴帯金牌,犬不識字;禽獣相傷,豈乾人事?」竟縦其人。又両家牛鬥,一牛死,判云:「両牛相争,一死一生;死者同享,生者同耕。」
書き下し
南昌の祝守、廉能を以て名あり。寧府に鶴有り、民の犬の為に咋み死せらる。府卒これを訟えて云う、「鶴に金牌有り、乃ち御賜に出づ」と。祝公判じて云う、「鶴は金牌を帯ぶるも、犬は字を識らず。禽獣相い傷つくは、豈に人事に干らんや」と。竟に其の人を縦つ。又た両家の牛闘い、一牛死す。判じて云う、「両牛相い争い、一は死し一は生く。死せる者は同に享け、生ける者は同に耕せ」と。
現代語訳
南昌の知府・祝氏は、清廉で有能なことで知られていました。寧王の屋敷に鶴がいて、民の飼い犬にかみ殺されました。王府の兵がこれを訴えて言いました。「鶴は金の札を付けており、皇帝からの賜り物です。」祝公は判決を下して言いました。「鶴は金の札を付けていても、犬は字を読めない。鳥と獣が傷つけ合うのは、人間の事柄とは関係ない。」そのまま飼い主を許しました。また、二軒の家の牛が闘い、一頭が死にました。判決は次のとおりです。「二頭の牛が争い、一頭は死に一頭は生きた。死んだ牛は共に分け、生きた牛は共に耕せ。」
解説
祝知府の判決は、皇室ゆかりの権威をたてにとる訴えを、犬は字を読めないという一言で笑いに変えて退けました。権力者の名を出された事案でも、事実の因果と責任の範囲を冷静に見極めたのです。二つ目の牛の判決は、被害者も加害者も損失を分け合う形で、対立を最小化しています。現代の管理職も、権威や肩書に頼った苦情に対して、事実に基づいて責任範囲を切り分け、かつ当事者双方の損失を折半する形で収めることが、紛争の長期化を防ぐのに役立ちます。機知のある一言は、緊張した場の解決にも効きます。
この章句が説くこと
鶴に金牌犬は字を識らず禽獣牛闘判決公平
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