智囊 / 識斷・王安石・毛澄
荊公裁損宗室恩數,宗子相率馬首陳狀,云:「均是宗廟子孫,那得不看祖宗面?」荊公厲聲曰:「祖宗親亦變祧,何況賢輩!」〔馮評〕荊公議論皆偏。只此一語,可定萬世宗藩之案。太倉毛文簡公。嘉靖初,上議選婚,錦衣衛千戶女與焉。內侍並皇親邵蕙俱得重賂,咸屬意。公在左順門厲聲曰:「衛千戶是衛太監家人,不知自姓,何以登玉牒?此事禮部不敢擔當,汝曹自為之!」眾議遂息。
新字:荊公裁損宗室恩数,宗子相率馬首陳状,云:「均是宗廟子孫,那得不看祖宗面?」荊公厲声曰:「祖宗親亦変祧,何況賢輩!」〔馮評〕荊公議論皆偏。只此一語,可定万世宗藩之案。太倉毛文簡公。嘉靖初,上議選婚,錦衣衛千戸女与焉。内侍並皇親邵蕙倶得重賂,咸属意。公在左順門厲声曰:「衛千戸是衛太監家人,不知自姓,何以登玉牒?此事礼部不敢担当,汝曹自為之!」衆議遂息。
書き下し
荊公、宗室の恩数を裁損す。宗子相率いて馬首に状を陳べて云う、「均しく是れ宗廟の子孫なり。那ぞ祖宗の面を看ざるを得んや」と。荊公、声を厲しくして曰く、「祖宗の親も亦た祧に遷る。何ぞ況んや賢輩をや」と。〔馮評〕荊公の議論はみな偏なり。只だ此の一語のみは、万世の宗藩の案を定むべし。太倉の毛文簡公、嘉靖の初め、上、婚を選ぶことを議す。錦衣衛千戸の女、与る。内侍並びに皇親の邵蕙、俱に重賂を得て、咸な意を属す。公、左順門に在りて、声を厲しくして曰く、「衛千戸は是れ衛太監の家人なり。自ら姓を知らず、何を以て玉牒に登らんや。此の事、礼部敢えて担当せず。汝曹自ら之を為せ」と。衆議遂に息む。
現代語訳
王安石が皇族への恩給を削減しようとすると、皇族の子弟たちが連れ立って馬の前で訴え出ました。「同じ宗廟の子孫です。どうして祖先のお顔を立てないのですか。」王安石は声を厳しくして言いました。「祖先の親でさえ、世代が離れれば祖廟から遷されます。まして、あなたがたのような者などなおさらです。」〔馮評〕王安石の議論はどれも偏っている。ただこの一言だけは、永遠の皇族に関する案を定めるに足りる。太倉の毛文簡公は、嘉靖の初め、帝の婚姻の相手を選ぶことが議論されたとき、錦衣衛千戸の娘が候補に挙がりました。宦官たちと外戚の邵蕙は、いずれも大きな賄賂を受け取り、みな賛成していました。毛公は左順門で声を厳しくして言いました。「衛千戸は衛太監の家人である。自らの姓も知らない者が、どうして皇室の系譜に載れようか。この件は礼部としては担当できない。おまえたちが自分でやるがよい。」皆の議論はこうしてやみました。
解説
この章句が説くこと
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
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