智囊 / 識斷・寇恂
高峻久不下,光武遣寇恂奉璽書往降之。恂至,峻第遣軍師皇甫文出謁,辭禮不屈,恂怒,請誅之。諸將皆諫,恂不聽,遂斬之。遣其副歸,告曰:「軍師無禮,已戮之矣。欲降即降,不則固守!」峻恐,即日開城門降,諸將皆賀,因曰:「敢問殺其使而降其城,何也?」恂曰:「皇甫文,峻之腹心,其所取計者也,今來辭意不屈,必無降心。全之則文得其計,殺之則峻亡其膽,是以降耳。〕〔馮述評〕唐僖宗幸蜀,懼南蠻為梗,許以婚姻。蠻王命宰相趙隆眉、楊奇鯤、段義宗來朝行在,且迎公主。高太尉駢自淮南飛章云:「南蠻心膂,唯此數人,請止而鴆之。」迄僖宗還京,南方無虞,此亦寇恂之餘智也。
新字:高峻久不下,光武遣寇恂奉璽書往降之。恂至,峻第遣軍師皇甫文出謁,辞礼不屈,恂怒,請誅之。諸将皆諫,恂不聴,遂斬之。遣其副帰,告曰:「軍師無礼,已戮之矣。欲降即降,不則固守!」峻恐,即日開城門降,諸将皆賀,因曰:「敢問殺其使而降其城,何也?」恂曰:「皇甫文,峻之腹心,其所取計者也,今来辞意不屈,必無降心。全之則文得其計,殺之則峻亡其胆,是以降耳。〕〔馮述評〕唐僖宗幸蜀,懼南蠻為梗,許以婚姻。蠻王命宰相趙隆眉、楊奇鯤、段義宗来朝行在,且迎公主。高太尉駢自淮南飛章云:「南蠻心膂,唯此数人,請止而鴆之。」迄僖宗還京,南方無虞,此亦寇恂之余智也。
書き下し
高峻久しく下らず。光武、寇恂を遣わして璽書を奉じて往きてこれを降さしむ。恂至るに、峻はただ軍師の皇甫文を遣わして出謁せしむ。辞礼屈せず、恂怒りて、誅せんことを請う。諸将みな諫むるも、恂聴かず、遂にこれを斬る。其の副を遣わして帰らしめ、告げて曰く、「軍師無礼なれば、已にこれを戮せり。降らんと欲せば即ち降れ、然らずんば固く守れ」と。峻恐れ、即日城門を開きて降る。諸将みな賀し、因りて曰く、「敢えて問う、其の使いを殺して其の城を降すは、何ぞや」と。恂曰く、「皇甫文は、峻の腹心にして、其の計を取る所の者なり。今来たりて辞意屈せず、必ず降る心無し。これを全うせば則ち文はその計を得、これを殺せば則ち峻その胆を亡う。是を以て降れるのみ。〔馮述評〕唐の僖宗、蜀に幸し、南蛮の梗を為すを懼れ、許すに婚姻を以てす。蛮王、宰相の趙隆眉・楊奇鯤・段義宗に命じて行在に来朝し、且つ公主を迎えしむ。高太尉の駢、淮南より飛章して云う、「南蛮の心膂は、唯だ此の数人のみ。請う止めて鴆せよ」と。僖宗の京に還るに迄るまで、南方に虞れ無し。此れも亦た寇恂の余智なり。
現代語訳
高峻はいつまでも降伏しませんでした。光武帝は寇恂に璽書を持たせて遣わし、降伏させようとしました。寇恂が着くと、高峻はただ軍師の皇甫文を出して面会させました。その言葉も礼も屈しない態度で、寇恂は怒って、斬ることを願い出ました。諸将はみな諫めましたが、寇恂は聞かず、とうとう斬りました。その副使を帰らせて告げさせました。「軍師が無礼だったので、すでに殺した。降りたいなら降れ、そうでなければ固く守れ。」高峻はおそれ、その日のうちに城門を開いて降りました。諸将はみな祝って尋ねました。「うかがいますが、使者を殺して城を降したのはなぜですか。」寇恂は言いました。「皇甫文は高峻の腹心で、高峻が策を取っていた相手だ。今、来て言葉が屈しなかったのは、降る気がまったくない証拠だ。生かして帰せば皇甫文は策を立てるだろうし、殺せば高峻は肝をつぶす。だから降ったのだ。〔馮述評〕唐の僖宗が蜀に行幸したとき、南蛮が妨げとなることを恐れ、婚姻を許す約束をしました。蛮王は宰相の趙隆眉、楊奇鯤、段義宗に命じて行在所に来朝させ、公主を迎えさせました。太尉の高駢が淮南から急ぎの上奏をして言いました。「南蛮の中枢はこの数人だけです。どうか留めて毒殺してください。」僖宗が都に帰るまで、南方に憂いはありませんでした。これも寇恂のあとに残った智恵です。
解説
この章句が説くこと
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。
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