智囊 / 識斷・種世衡・韓浩
種世衡既城寬州,苦無泉。鑿地百五十尺,見石,工徒拱手曰:「是不可井矣!」世衡曰:「過石而下,將無泉邪?爾其屑而出之,凡一畚,償爾一金!」復致力,過石數重,泉果沛然,朝廷因署為清澗城。夏侯惇守濮陽,呂布遣將偽降,徑劫質惇,責取貨寶。諸將皆束手,韓浩獨勒兵屯營門外,敕諸將案甲毋動。諸營定,遂入詣惇所,叱劫質者曰:「若等兇頑,敢劫我大將軍,乃復望生耶?吾受命討賊,寧能以一將軍故縱若?」因涕泣謂惇曰:「當奈國法何?」促召兵擊劫質者,劫質者惶遽,叩頭乞貲物。浩竟捽出斬之,惇得免。曹公聞而善之,因著令,自今若有劫質者,必並擊,勿顧質,由是劫質者遂絕。
新字:種世衡既城寛州,苦無泉。鑿地百五十尺,見石,工徒拱手曰:「是不可井矣!」世衡曰:「過石而下,将無泉邪?爾其屑而出之,凡一畚,償爾一金!」復致力,過石数重,泉果沛然,朝廷因署為清澗城。夏侯惇守濮陽,呂布遣将偽降,径劫質惇,責取貨宝。諸将皆束手,韓浩独勒兵屯営門外,勅諸将案甲毋動。諸営定,遂入詣惇所,叱劫質者曰:「若等兇頑,敢劫我大将軍,乃復望生耶?吾受命討賊,寧能以一将軍故縦若?」因涕泣謂惇曰:「当奈国法何?」促召兵撃劫質者,劫質者惶遽,叩頭乞貲物。浩竟捽出斬之,惇得免。曹公聞而善之,因著令,自今若有劫質者,必並撃,勿顧質,由是劫質者遂絶。
書き下し
種世衡、既に寛州に城き、泉無きに苦しむ。地を鑿つこと百五十尺、石を見る。工徒手を拱きて曰く、「是れ井すべからず」と。世衡曰く、「石を過ぎて下らば、将に泉無からんや。爾、其れ屑にして出せ。凡そ一畚ごとに、爾に一金を償わん」と。復た力を致し、石を過ぐること数重、泉果たして沛然たり。朝廷因りて署して清澗城と為す。夏侯惇、濮陽を守る。呂布、将を遣わして偽り降らしめ、径ちに惇を劫して質とし、貨宝を責め取る。諸将みな手を束ぬ。韓浩独り兵を勒して営門の外に屯し、諸将に敕して甲を案じて動くこと毋からしむ。諸営定まり、遂に入りて惇の所に詣り、劫質者を叱して曰く、「若等凶頑、敢えて我が大将軍を劫す。乃ち復た生を望まんか。吾、命を受けて賊を討つ。寧んぞ一将軍の故を以て若を縦さんや」と。因りて涕泣して惇に謂う、「当に国法を奈何せんとする」と。促して兵を召して劫質者を撃たしむ。劫質者惶遽し、叩頭して貲物を乞う。浩、竟に捽り出して斬り、惇、免るるを得たり。曹公聞きてこれを善しとし、因りて令を著す、「今より若し劫質者有らば、必ず並びに撃ち、質を顧みること勿かれ」と。是に由りて劫質者遂に絶えたり。
現代語訳
種世衡は寛州に城を築いたものの、水が出ずに困っていました。地面を百五十尺掘ったところで岩に当たりました。人夫たちは手をこまねいて言いました。「これでは井戸は掘れません。」世衡は言いました。「岩を越えて下に掘れば、水が出ないということがあるか。おまえたち、岩を砕いて運び出せ。もっこ一杯ごとに一金を払う。」人々はまた力を尽くし、岩の層を何重も越えると、ついに水がこんこんと湧きました。朝廷はこの城を清澗城と名づけました。また、夏侯惇が濮陽を守っていたときのことです。呂布が部下を遣わして偽って降伏させ、そのまま夏侯惇を人質に取って、財宝を要求しました。諸将はみな手出しできません。韓浩だけが兵をまとめて営門の外に陣取り、諸将に命じて武具を抑えて動かないようにさせました。諸営が静まると、入って夏侯惇のところへ行き、人質をとった者を叱って言いました。「おまえたちは凶悪頑迷で、よくも我らの大将軍を人質に取った。まだ生き延びられると思うのか。私は命を受けて賊を討つ者だ。一人の将軍のために、おまえたちを見逃すことなどできるか。」そして夏侯惇に涙ながらに言いました。「国法をどうしたらよいのでしょう。」兵を急がせて呼び、人質をとった者を撃たせました。人質をとった者はあわてふためき、叩頭して財物を差し出して許しを乞いました。韓浩はついに引きずり出して斬り、夏侯惇は助かりました。曹操はこれを聞いて称え、そこで命令を出しました。「今後、人質をとる者がいたら、必ずみなで撃て。人質のことは気にするな。」こうして人質をとる者は絶えました。
解説
この章句が説くこと
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