春秋左氏伝 / 僖公三十三年 冀缺、相待すること賓の如し
八月,戊子,晉侯敗狄于箕。郤缺獲白狄子。先軫曰:匹夫逞志於君而無討,敢不自討乎?免冑入狄師,死焉。狄人歸其元,面如生。初,臼季使過冀,見冀缺耨,其妻饁之。敬,相待如賓。與之歸,言諸文公曰:「敬,德之聚也!能敬必有德。德以治民,君請用之!臣聞之,出門如賓,承事如祭,仁之則也。」公曰:「其父有罪,可乎?」對曰:「舜之罪也,殛鯀,其舉也興禹。管敬仲,桓之賊也,實相以濟。康誥曰:『父不慈,子不祗,兄不友,弟不共,不相及也。』《詩》曰:『采葑采菲,無以下體。』君取節焉可也!」文公以為下軍大夫。反自箕,襄公以三命命先且居將中軍,以再命命先茅之縣賞胥臣,曰:「舉郤缺,子之功也。」以一命命郤缺為卿,復與之冀,亦未有軍行。冬,公如齊,朝,且弔有狄師也。反,薨于小寢,即安也。
新字:八月,戊子,晋侯敗狄于箕。郤欠獲白狄子。先軫曰:匹夫逞志於君而無討,敢不自討乎?免冑入狄師,死焉。狄人帰其元,面如生。初,臼季使過冀,見冀欠耨,其妻饁之。敬,相待如賓。与之帰,言諸文公曰:「敬,徳之聚也!能敬必有徳。徳以治民,君請用之!臣聞之,出門如賓,承事如祭,仁之則也。」公曰:「其父有罪,可乎?」対曰:「舜之罪也,殛鯀,其舉也興禹。管敬仲,桓之賊也,実相以済。康誥曰:『父不慈,子不祗,兄不友,弟不共,不相及也。』《詩》曰:『采葑采菲,無以下体。』君取節焉可也!」文公以為下軍大夫。反自箕,襄公以三命命先且居将中軍,以再命命先茅之県賞胥臣,曰:「舉郤欠,子之功也。」以一命命郤欠為卿,復与之冀,亦未有軍行。冬,公如斉,朝,且弔有狄師也。反,薨于小寝,即安也。
書き下し
八月、戊子、晉侯狄を箕に敗る。郤缺白狄子を獲たり。先軫曰く、匹夫志を君に逞しうして討無し、敢へて自ら討たざらんや、と。冑を免ぎて狄の師に入り、焉に死す。狄人其の元を歸す。面生けるが如し。初め、臼季使して冀を過ぎ、冀缺の耨(くさぎ)るを見る。其の妻之に饁(かれひ)す。敬して、相待すること賓の如し。之と與に歸り、諸を文公に言ひて曰く、「敬は、德の聚なり。能く敬すれば必ず德有り。德は以って民を治む。君請ふ之を用ゐよ。臣之を聞く、門を出づるは賓の如くし、事を承くるは祭の如くするは、仁の則なり、と」。公曰く、「其の父罪有り、可ならんや」と。對へて曰く、「舜の罪するや、鯀を殛し、其の舉ぐるや禹を興す。管敬仲は、桓の賊なり、實に相として以って濟す。康誥に曰く、『父慈ならず、子祗(つつし)まず、兄友ならず、弟共(うやうや)しからざるも、相及ばず』と。《詩》に曰く、『葑を采り菲を采る、下體を以ってすること無かれ』と。君節を取りて可なり」と。文公以って下軍の大夫と為す。箕より反り、襄公三命を以って先且居に命じて中軍に將たらしめ、再命を以って先茅の縣を以って胥臣を賞せしめて曰く、「郤缺を舉げしは、子の功なり」と。一命を以って郤缺に命じて卿と為し、復た之に冀を與ふ。亦た未だ軍行有らず。冬、公齊に如きて朝し、且つ狄の師有るを弔ふ。反りて小寢に薨ず、安きに即けばなり。
現代語訳
八月戊子の日、晋侯(襄公)は箕で狄を破った。郤缺が白狄の君を捕らえた。先軫は言った。「一介の男(私)が君に向かって感情をほしいままにしたのに、罰を受けていない。自分で自分を罰さずにいられようか」。そして兜を脱いで狄の軍に突入し、戦死した。狄の人々は先軫の首を晋に返したが、その顔は生きているかのようであった。これより前、臼季(胥臣)が使者として冀を通りかかったとき、冀缺(郤缺)が畑で草取りをしており、その妻が食事を運んできていた。夫婦は互いに敬い合い、客をもてなすように接していた。臼季は冀缺を連れて帰り、文公に進言して言った。「敬は徳の集まるところです。敬うことのできる者には必ず徳があります。徳によって民を治めるのです。どうか彼をお用いください。私はこう聞いております。門を出れば賓客に会うように振る舞い、仕事を受ければ祭祀を行うように慎む、これが仁の規範である、と」。文公は言った。「彼の父(郤芮)には罪がある。それでもよいのか」。臼季は答えた。「舜は罪を罰するにあたって鯀を誅しましたが、人を挙げるにあたってはその子の禹を登用しました。管敬仲(管仲)は斉の桓公の命を狙った仇でしたが、実際には宰相として桓公の覇業を成し遂げさせました。『書経』康誥に『父が慈しまず、子が慎まず、兄が友愛でなく、弟が恭しくなくとも、その罪は互いに及ばない』とあります。『詩経』には『かぶらを採り、大根を採るのに、根が悪いからといって捨ててはならない』とあります。君はその人のよいところを取ればよいのです」。文公は冀缺を下軍の大夫とした。箕から帰ると、襄公は三命の礼をもって先且居(先軫の子)を中軍の将に任じ、再命の礼をもって先茅の県を胥臣に賞として与えて言った。「郤缺を推挙したのは、そなたの功である」。一命の礼をもって郤缺を卿に任じ、再び冀の地を与えたが、軍の指揮には就かせなかった。冬、僖公は斉に行って朝見し、かつ狄の侵攻を見舞った。帰国して小寝(正殿ではない居室)で亡くなった。安楽な所に就いたのである(正寝で亡くならなかったのは礼にかなわない)。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢士、道に橫たわりて偃し、四支掩わざるは、士の過に非ず、土を有つ者の羞なり。邦君將に昌えんとすれば、天其の道を遺す。大夫將に昌えんとすれば、天其の士を遺す。庶人將に昌えんとすれば、必ず良子有り。
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
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尚書・君陳爾其れ戒めよや。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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