説苑 / 說叢
士橫道而偃,四支不掩,非士之過,有土之羞也。邦君將昌,天遺其道;大夫將昌,天遺其士;庶人將昌,必有良子。
新字:士横道而偃,四支不掩,非士之過,有土之羞也。邦君将昌,天遺其道;大夫将昌,天遺其士;庶人将昌,必有良子。
書き下し
士、道に橫たわりて偃し、四支掩わざるは、士の過に非ず、土を有つ者の羞なり。邦君將に昌えんとすれば、天其の道を遺す。大夫將に昌えんとすれば、天其の士を遺す。庶人將に昌えんとすれば、必ず良子有り。
現代語訳
士(すぐれた人材)が道端に横たわって倒れ伏し、手足すら覆われないような有様であるのは、その士自身の過ちではなく、領地を治める者の恥である。国君がまさに栄えようとするときには、天はその道を授ける。大夫がまさに栄えようとするときには、天はその優れた家臣を授ける。庶民がまさに栄えようとするときには、必ず良い子孫が現れる。
解説
有能な人材が世に埋もれ困窮している状態は、その人材自身の落ち度ではなく、彼を用いるべき立場の者の責任であるという厳しい指摘から始まる章である。人材が正しく用いられ栄える兆しは、それを迎え入れる側の姿勢に天が応じる形で現れるという構造は、組織の盛衰が結局はトップの人材への向き合い方にかかっていることを示す。優秀な人が埋もれている組織を見たとき、その人材本人ではなくそれを活かせていない体制こそを問うべきだという視点は、現代の人事や経営にも重要な示唆を与える。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
人材登用責任組織の盛衰
関連する章句
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 冀缺、相待すること賓の如し八月、戊子、晉侯狄を箕に敗る。郤缺白狄子を獲たり。先軫曰く、匹夫志を君に逞しうして討無し、敢へて自ら討たざらんや、と。冑を免ぎて狄の師に入り、焉に死す。狄人其の元を歸す。面生けるが如し。初め、臼季使して冀を過ぎ、冀缺の耨(くさぎ)るを見る。其の妻之に饁(かれひ)す。敬して、相待すること賓の如し。之と與に歸り、諸を文公に言ひて曰く、「敬は、德の聚なり。能く敬すれば必ず德有り。德は以って民を治む。君請ふ之を用ゐよ。臣之を聞く、門を出づるは賓の如くし、事を承くるは祭の如くするは、仁の則なり、と」。公曰く、「其の父罪有り、可ならんや」と。對へて曰く、「舜の罪するや、鯀を殛し、其の舉ぐるや禹を興す。管敬仲は、桓の賊なり、實に相として以って濟す。康誥に曰く、『父慈ならず、子祗(つつし)まず、兄友ならず、弟共(うやうや)しからざるも、相及ばず』と。《詩》に曰く、『葑を采り菲を采る、下體を以ってすること無かれ』と。君節を取りて可なり」と。文公以って下軍の大夫と為す。箕より反り、襄公三命を以って先且居に命じて中軍に將たらしめ、再命を以って先茅の縣を以って胥臣を賞せしめて曰く、「郤缺を舉げしは、子の功なり」と。一命を以って郤缺に命じて卿と為し、復た之に冀を與ふ。亦た未だ軍行有らず。冬、公齊に如きて朝し、且つ狄の師有るを弔ふ。反りて小寢に薨ず、安きに即けばなり。
-
『智囊』識斷・王素初め、原州の蒋偕、議を建てて大虫巉堡を築かんとし、宣撫使の王素これを聴く。役未だ具わざるに、敵、間を伺いて要撃し、成すを得ず。偕懼れ、来りて死に帰す。王素曰く、「若し偕を罪せば、乃ち是れ敵の計に堕つるなり」と。偕を責めて力を畢くして自ら効さしむ。総管の狄青曰く、「偕往かば益ます敗れん。遣わすべからず」と。素曰く、「偕敗れば、則ち総管行け。総管敗れば、素即ち行かん」と。青敢えて復た言わず、偕、卒に城きて還る。
-
『智囊』通簡・韓裒周の文帝の時、韓裒は北雍州刺史と為る。州に盗多し。裒は至りて、密かに之を訪うに、并びに州中の豪右なり。裒は陽に知らず、並びに礼遇を加え、謂いて曰く、「刺史は書生なり、安んぞ盗を督するを知らん。賴む所は卿らと共に其の憂いを分かつのみ」と。乃ち悉く桀黠の少年を召し、尽く主帥に署し、与に地界を分かち、盗発して獲ざれば、即ち故縦を以て論ず。是に於いて諸々の署せられし者は皆な惶懼して首伏し、曰く、「前の盗は実に某某なり」と。具に姓名を列す。裒は因りて名簿を取りて之を蔵し、州門に榜して曰く、「凡そ盗は、急ぎ来りて首せよ。今月を尽くして首せざる者は、顕かに戮し、其の妻子を籍し、以て前に首せし者に賞せん」と。是に於いて旬月の間に盗悉く出で首す。裒は簿を取りて質対するに、爽わず、並びに其の罪を原し、自ら新たにするを許す。是に由りて群盗は息を屏む。
-
史記 呉王濞列伝司馬と為るを得、独り周丘のみ用ひらるるを得ず。周丘は、下邳の人なり。呉に亡命し、酒を酤りて行ひ無し。呉王濞之を薄んじ、任ぜず。周丘上謁し、王に説きて曰く、「臣無能を以て、罪を行間に待つを得ず。臣敢へて将ゐる所有るを求むるに非ず。願はくは王の一漢節を得ば、必ず以て王に報ゆる有らん」と。王乃ち之に予ふ。周丘節を得て、夜馳せて下邳に入る。下邳時に呉の反するを聞き、皆城守す。伝舎に至り、令を召す。令戸に入るや、従者をして罪を以て令を斬らしむ。遂に昆弟の善くする所の豪吏を召して告げて曰く、「呉の反兵且に至らんとす。至らば、下邳を屠ること食頃に過ぎざらん。今先に下らば、家室必ず完からん。能ある者は侯に封ぜられん」と。出でて乃ち相告げ、下邳皆下る。周丘一夜にして三万人を得、人をして呉王に報ぜしめ、遂に其の兵を将ゐて北のかた城邑を略す。城陽に至る比、兵十余万、城陽の中尉の軍を破る。呉王の敗走するを聞き、自ら度るに与に功を成す無しと、即ち兵を引きて下邳に帰る。未だ至らずして、疽背に発して死す。二月中、呉王の兵既に破れ、敗走す。是に於て天子将軍に制詔して曰く、「蓋し聞く、善を為す者は天之に報ゆるに福を以てし、非を為す者は天之に報ゆるに殃を以てすと。高皇帝親ら功徳を表し、諸侯を建立す。幽王・悼恵王は絶えて後無し。孝文皇帝哀憐して恵を加へ、幽王の子遂・悼恵王の子卬等を王とし、其の先王の宗廟を奉ぜしめ、漢の藩国と為す。徳は天地に配し、明は日月に并ぶ。呉王濞は徳に倍き義に反し、天下の亡命の罪人を誘ひ受け、天下の幣を乱し、病と称して朝せざること二十余年。有司数々濞の罪を請ふも、孝文皇帝之を寛し、其の行ひを改めて善を為さんことを欲す。
-
史記 衛康叔世家衛の康叔、名は封、周の武王の同母の少弟なり。其の次に尚ほ冉季有り、冉季最も少し。武王已に殷の紂に克ち、復た殷の余民を以て紂の子武庚禄父を封じ、諸侯に比し、以て其の先祀を奉じて絶ゆること勿からしむ。武庚未だ集まらざるが為に、其の賊心有らんことを恐れ、武王乃ち其の弟管叔・蔡叔をして武庚禄父に傅相として、以て其の民を和せしむ。武王既に崩じ、成王少し。周公旦成王に代はりて治め、国に当たる。管叔・蔡叔周公を疑ひ、乃ち武庚禄父と乱を作し、成周を攻めんと欲す。周公旦成王の命を以て師を興して殷を伐ち、武庚禄父・管叔を殺し、蔡叔を放ち、武庚の殷の余民を以て康叔を封じて衛君と為し、河・淇の間の故の商墟に居らしむ。