春秋左氏伝 / 僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず
夏,四月,辛巳,敗秦師于殽,獲百里孟明視、西乞術、白乙丙以歸。遂墨以葬文公,晉於是始墨。文嬴請三帥,曰:「彼實構吾二君。寡君若得而食之,不厭,君何辱討焉?使歸就戮于秦,以逞寡君之志,若何?」公許之。先軫朝,問秦囚。公曰:「夫人請之,吾舍之矣。」先軫怒曰:「武夫力而拘諸原,婦人暫而免諸國,墮軍實而長寇讎,亡無日矣!」不顧而唾。公使陽處父追之,及諸河,則在舟中矣。釋左驂,以公命贈孟明。孟明稽首曰:「君之惠,不以纍臣釁鼓,使歸就戮于秦。寡君之以為戮,死且不朽。若從君惠而免之,三年將拜君賜。」秦伯素服郊次,鄉師而哭,曰:「孤違蹇叔,以辱二三子,孤之罪也!不替孟明,孤之過也!大夫何罪?且吾不以一眚掩大德。」狄侵齊,因晉喪也。公伐邾,取訾婁,以報升陘之役。邾人不設備。秋,襄仲復伐邾。狄伐晉,及箕。
新字:夏,四月,辛巳,敗秦師于殽,獲百里孟明視、西乞術、白乙丙以帰。遂墨以葬文公,晋於是始墨。文嬴請三帥,曰:「彼実構吾二君。寡君若得而食之,不厭,君何辱討焉?使帰就戮于秦,以逞寡君之志,若何?」公許之。先軫朝,問秦囚。公曰:「夫人請之,吾舎之矣。」先軫怒曰:「武夫力而拘諸原,婦人暫而免諸国,堕軍実而長寇讎,亡無日矣!」不顧而唾。公使陽処父追之,及諸河,則在舟中矣。釈左驂,以公命贈孟明。孟明稽首曰:「君之恵,不以纍臣釁鼓,使帰就戮于秦。寡君之以為戮,死且不朽。若従君恵而免之,三年将拝君賜。」秦伯素服郊次,郷師而哭,曰:「孤違蹇叔,以辱二三子,孤之罪也!不替孟明,孤之過也!大夫何罪?且吾不以一眚掩大徳。」狄侵斉,因晋喪也。公伐邾,取訾婁,以報升陘之役。邾人不設備。秋,襄仲復伐邾。狄伐晋,及箕。
書き下し
夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
現代語訳
夏四月辛巳の日、晋は殽(こう)で秦軍を破り、百里孟明視・西乞術・白乙丙の三将を捕らえて帰った。そして黒く染めた喪服のままで文公を葬った。晋ではこのときから喪服を黒くするようになった。文嬴(文公の夫人、秦の穆公の娘、襄公の嫡母)は三将の釈放を求めて言った。「あの者たちこそ実に秦と晋の二人の君の仲を裂いたのです。わが父の秦君は、彼らを捕らえてその肉を食らっても飽き足らないでしょう。あなたがわざわざ手を下すまでもありません。秦に帰して処刑させ、父の思いを遂げさせてはいかがですか」。襄公はこれを許した。先軫が朝廷に出て、秦の捕虜のことを尋ねた。襄公は言った。「夫人が願われたので、私は放してやった」。先軫は怒って言った。「武人が力を尽くして戦場で捕らえたものを、婦人がわずかな言葉で国から放してしまった。戦果を損ない、仇敵を勢いづかせた。国が亡びるのも遠くないだろう」。そして君の前であることも顧みずに唾を吐いた。襄公は陽処父に三将を追わせた。黄河まで追いついたが、三将はすでに舟の中にいた。陽処父は車の左の副馬を外し、襄公の命として孟明に贈ろうとした(岸に上がらせて捕らえるため)。孟明は稽首して言った。「君のご恩により、捕らわれの私を殺してその血を軍鼓に塗ることなく、秦に帰して処刑を受けさせてくださいます。わが君が私を処刑されるなら、死んでもこのご恩は朽ちません。もしわが君が晋君のご恩に従って私を赦されたなら、三年後にあらためて君の賜り物にお礼を申し上げに参りましょう(復讐に来る)」。秦伯(穆公)は白い喪服を着て郊外に出て宿営し、帰ってきた軍に向かって哭して言った。「私が蹇叔の諫めに背き、そなたたちを辱めた。これは私の罪である。孟明を将から替えなかったのは私の過ちである。大夫たちに何の罪があろう。それに私は、一度の過ちによって大きな徳を覆い隠すようなことはしない」。狄が斉に侵攻した。晋の喪に乗じたのである。僖公は邾を討ち、訾婁(しろう)を取って、升陘の戦いの仕返しとした。邾は備えを設けていなかった。秋、襄仲がまた邾を討った。狄が晋を討ち、箕まで来た。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢士、道に橫たわりて偃し、四支掩わざるは、士の過に非ず、土を有つ者の羞なり。邦君將に昌えんとすれば、天其の道を遺す。大夫將に昌えんとすれば、天其の士を遺す。庶人將に昌えんとすれば、必ず良子有り。
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 冀缺、相待すること賓の如し八月、戊子、晉侯狄を箕に敗る。郤缺白狄子を獲たり。先軫曰く、匹夫志を君に逞しうして討無し、敢へて自ら討たざらんや、と。冑を免ぎて狄の師に入り、焉に死す。狄人其の元を歸す。面生けるが如し。初め、臼季使して冀を過ぎ、冀缺の耨(くさぎ)るを見る。其の妻之に饁(かれひ)す。敬して、相待すること賓の如し。之と與に歸り、諸を文公に言ひて曰く、「敬は、德の聚なり。能く敬すれば必ず德有り。德は以って民を治む。君請ふ之を用ゐよ。臣之を聞く、門を出づるは賓の如くし、事を承くるは祭の如くするは、仁の則なり、と」。公曰く、「其の父罪有り、可ならんや」と。對へて曰く、「舜の罪するや、鯀を殛し、其の舉ぐるや禹を興す。管敬仲は、桓の賊なり、實に相として以って濟す。康誥に曰く、『父慈ならず、子祗(つつし)まず、兄友ならず、弟共(うやうや)しからざるも、相及ばず』と。《詩》に曰く、『葑を采り菲を采る、下體を以ってすること無かれ』と。君節を取りて可なり」と。文公以って下軍の大夫と為す。箕より反り、襄公三命を以って先且居に命じて中軍に將たらしめ、再命を以って先茅の縣を以って胥臣を賞せしめて曰く、「郤缺を舉げしは、子の功なり」と。一命を以って郤缺に命じて卿と為し、復た之に冀を與ふ。亦た未だ軍行有らず。冬、公齊に如きて朝し、且つ狄の師有るを弔ふ。反りて小寢に薨ず、安きに即けばなり。
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史記 淮陰侯列伝信数しば蕭何と語る。何之を奇とす。南鄭に至るに、諸将の道に行きて亡ぐる者数十人。信度るに、何等已に数しば上に言ふも、上我を用ゐずと、即ち亡ぐ。何信の亡ぐるを聞き、以て聞するに及ばず、自ら之を追ふ。人有りて上に言ひて曰く、「丞相何亡げたり」と。上大いに怒り、左右の手を失ふが如し。居ること一二日、何来りて上に謁す。上且つ怒り且つ喜び、何を罵りて曰く、「若亡ぐるは、何ぞや」と。何曰く、「臣敢へて亡げざるなり。臣は亡ぐる者を追ふ」と。上曰く、「若追ふ所の者は誰ぞ」と。何曰く、「韓信なり」と。上復た罵りて曰く、「諸将の亡ぐる者は十を以て数ふるも、公追ふ所無し。信を追ふは、詐りなり」と。何曰く、「諸将は得易きのみ。信の如き者に至りては、国士無双なり。王必ず長く漢中に王たらんと欲せば、信を事とする所無し。必ず天下を争はんと欲せば、信に非ずんば与に事を計る所の者無し。顧ふに王の策安くに決する所かのみ」と。王曰く、「吾も亦東せんと欲するのみ。安んぞ能く郁郁として久しく此に居らんや」と。何曰く、「王の計必ず東せんと欲せば、能く信を用ゐば、信即ち留まらん。用ゐること能はずんば、信終に亡げんのみ」と。王曰く、「吾公の為に以て将と為さん」と。何曰く、「将と為すと雖も、信必ず留まらじ」と。王曰く、「以て大将と為さん」と。何曰く、「幸甚なり」と。是に於て王信を召して之を拝せんと欲す。何曰く、「王素より慢にして礼無し。今大将を拝すること小児を呼ぶが如きのみ。此れ乃ち信の去る所以なり。王必ず之を拝せんと欲せば、良日を択び、斎戒し、壇場を設け、礼を具へて、乃ち可なるのみ」と。王之を許す。諸将皆喜び、人人各自ら以て大将を得んと為す。大将を拝するに至りて、乃ち韓信なり。一軍皆驚く。
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