智囊 / 威克・竇建德・陳星卿
嘉定、青浦之間有村焉。陳星卿者,年少高才,貧不遇,訓蒙村中,人未之奇也。村有寡婦,屋數間,田百餘畝,有子方在抱。姪欺之,陰獻其產於勢家子,得蠅頭,遁去。勢家子擇吉往閱新莊,而先期使幹僕持告示往逐寡婦。寡婦不知所從來,抱兒泣於門,鄉人俱憤憤,而愛莫能助。星卿適過焉,叩得其故,謂鄰人曰:「從吾計,保無恙。」鄰人許之,令寡婦謹避他處,明日,勢家子御游船,門客數輩,簫鼓競發,從天而下,既登岸,指揮灑掃,懸匾,召諭諸佃,粗畢,往田間布席野飲,星卿率鄉之強有力者風雨而至,舉槍摏其舟,舟人出不意,奔告主人。主人趨舟,舟既沉矣,遙望新莊,所懸匾已碎於街,眾洶洶索鬥,乃懼而竄,方召主文謀訟之,而縣牒已下,蓋嘉定新令韓公頗以扶抑為己任,星卿率其鄰即日往控,呈詞既美,情復慘激,使捕衙往視,則匾及舟在焉,勢家子使人居間,終不聽,竟置諸幹僕及寡婦之姪於法,寡婦鬻其產而他適,星卿遂名重郡邑間。張君山談,是萬曆年間事。〔馮評〕郡中得星卿數輩,勢家子不復橫矣。保小民,亦所以保大家也。雖然,星卿之敢於奮臂者,乘新令扶抑之始,用其膽氣耳,星卿亦可謂智矣!
新字:嘉定、青浦之間有村焉。陳星卿者,年少高才,貧不遇,訓蒙村中,人未之奇也。村有寡婦,屋数間,田百余畝,有子方在抱。姪欺之,陰献其産於勢家子,得蠅頭,遁去。勢家子択吉往閲新荘,而先期使幹僕持告示往逐寡婦。寡婦不知所従来,抱児泣於門,郷人倶憤憤,而愛莫能助。星卿適過焉,叩得其故,謂鄰人曰:「従吾計,保無恙。」鄰人許之,令寡婦謹避他処,明日,勢家子御游船,門客数輩,簫鼓競発,従天而下,既登岸,指揮灑掃,懸匾,召諭諸佃,粗畢,往田間布席野飲,星卿率郷之強有力者風雨而至,舉槍摏其舟,舟人出不意,奔告主人。主人趨舟,舟既沈矣,遥望新荘,所懸匾已砕於街,衆洶洶索鬥,乃懼而竄,方召主文謀訟之,而県牒已下,蓋嘉定新令韓公頗以扶抑為己任,星卿率其鄰即日往控,呈詞既美,情復惨激,使捕衙往視,則匾及舟在焉,勢家子使人居間,終不聴,竟置諸幹僕及寡婦之姪於法,寡婦鬻其産而他適,星卿遂名重郡邑間。張君山談,是万暦年間事。〔馮評〕郡中得星卿数輩,勢家子不復横矣。保小民,亦所以保大家也。雖然,星卿之敢於奮臂者,乗新令扶抑之始,用其胆気耳,星卿亦可謂智矣!
書き下し
嘉定、青浦の間に村有り。陳星卿なる者は、年少にして高才、貧にして遇わず、村中に訓蒙し、人は未だ之を奇とせざるなり。村に寡婦有り、屋数間、田百余畝、子の方に抱かるる有り。姪は之を欺き、陰かに其の産を勢家の子に献じ、蠅頭を得て遁れ去る。勢家の子は吉を択びて新荘を閲せんとし、先期して幹僕をして告示を持して寡婦を逐わしむ。寡婦は所従来を知らず、児を抱きて門に泣く。郷人は倶に憤憤たるも、愛しむも助くる能わず。星卿適たま過ぎり、叩きて其の故を得て、鄰人に謂いて曰く、「吾が計に従わば、恙無きを保たん」と。鄰人は之を許し、寡婦をして謹みて他処に避けしむ。明日、勢家の子は游船を御し、門客数輩、簫鼓競い発し、天より下るが如し。既に岸に登り、灑掃を指揮し、匾を懸け、諸佃を召諭す。粗や畢り、田間に往きて席を布き野飲す。星卿は郷の強有力者を率い、風雨の如く至り、槍を挙げて其の舟を摏く。舟人は不意に出で、奔りて主人に告ぐ。主人趨りて舟に至れば、舟は既に沈みたり。遙かに新荘を望めば、懸けし所の匾は已に街に砕く。衆は洶洶として闘を索む。乃ち懼れて竄り、方に主文を召して訟を謀らんとするに、而るに県牒已に下る。蓋し嘉定の新令の韓公は頗る扶抑を以て己が任と為す。星卿は其の鄰を率い、即日往きて控ぐ。呈詞は既に美にして、情は復た惨激たり。捕衙をして往き視しむるに、則ち匾及び舟は在り。勢家の子は人をして居間せしむるも、終に聴かず。竟に諸々の幹僕及び寡婦の姪を法に置く。寡婦は其の産を鬻ぎて他に適く。星卿は遂に郡邑の間に名重し。張君山の談なり、是れ万暦年間の事。〔馮評〕郡中に星卿の数輩を得ば、勢家の子は復た横たわらざらん。小民を保つは、亦た大家を保つ所以なり。然りと雖も、星卿の敢えて臂を奮う所以は、新令の扶抑の始めに乗じ、其の膽気を用いたるのみ。星卿も亦た智なりと謂うべし。
現代語訳
嘉定と青浦の間にある村に、陳星卿という人がいた。若く才能が高かったが、貧しく世に出られず、村で子どもに読み書きを教えており、人々は彼を特別な人物と思っていなかった。村に一人の寡婦がおり、数間の家と百畝あまりの田を持ち、腕の中に幼子がいた。その甥が彼女をだまし、ひそかにその財産を権勢のある家の子に差し出し、わずかな金を得て逃げた。権勢家の子は吉日を選んで新しい荘園を見に来ることになり、先に下僕に告示を持たせて寡婦を追い出させた。寡婦は何が起きたのか分からず、子を抱いて門前で泣いた。村人は皆憤ったが、同情しても助けられなかった。陳星卿がたまたま通りかかり、理由を尋ねて、隣人に言った。「私の計略に従えば、無事を保証する」。隣人は承知し、寡婦を慎重に別の場所へ避難させた。翌日、権勢家の子は遊覧船に乗り、取り巻き数人を連れ、笛や太鼓を競うように鳴らして、天から降りてきたようにやって来た。岸に上がると、掃除を指図し、扁額を掲げ、小作人たちを呼び出して言い聞かせた。ひととおり終わると、田のそばに席を敷いて野外で宴を始めた。陳星卿は村の力自慢を率い、風雨のように押し寄せ、槍を挙げて船を突き沈めた。船頭は不意を突かれ、走って主人に知らせた。主人が走って船のところへ行くと、船はすでに沈んでいた。遠く新しい荘園を見ると、掲げた扁額はすでに街で砕かれていた。大勢が騒ぎ立てて戦いを求めた。主人は恐れて逃げ隠れ、顧問の書記を呼んで訴訟を図ろうとしたところ、県の公文書がすでに下っていた。嘉定の新任の県令の韓公は、強きを抑え弱きを助けることを自分の任としていた。陳星卿は近所の人を率い、その日のうちに訴え出た。訴状は巧みで、事情は悲惨で心を打った。捕吏を現場へ見に行かせると、扁額と船が残っていた。権勢家の子は人を介して仲裁を図ったが、県令は聞き入れなかった。結局、下僕たちと寡婦の甥は法に処された。寡婦は田を売って他所へ嫁いだ。陳星卿はこうして郡や町でも名が重くなった。張君山の談話で、万暦年間の出来事である。〔馮夢龍の評〕郡中に陳星卿のような者が数人いれば、権勢家の子はもう横暴を振るわないだろう。庶民を守ることは、大家を守ることにもなる。そうは言っても、陳星卿があえて腕を振るえたのは、新しい県令が弱者を助ける姿勢を示し始めた時期に乗じ、自分の胆力を用いたからにすぎない。陳星卿もまた智者と言える。
解説
この章句が説くこと
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史記 田敬仲完世家田忌曰く、「救はずんば、則ち韓且に折れて魏に入らんとす。蚤く之を救ふに如かず」と。孫子曰く、「夫れ韓・魏の兵未だ獘れずして之を救はば、是れ吾韓に代はりて魏の兵を受け、顧って反りて命を韓に聴くなり。且つ魏に国を破るの志有り。韓亡びんとするを見ば、必ず東面して斉に愬へん。吾因りて深く韓の親しみを結びて晩く魏の獘を承けば、則ち利を重ねて尊名を得べきなり」と。宣王曰く、「善し」と。乃ち陰かに韓の使者に告げて之を遣る。韓因りて斉を恃み、五たび戦ひて勝たず、東のかた国を斉に委ぬ。斉因りて兵を起こし、田忌・田嬰をして将たらしめ、孫子を師と為し、韓・趙を救ひて以て魏を撃ち、大いに之を馬陵に敗り、其の将龐涓を殺し、魏の太子申を虜にす。其の後三晋の王皆田嬰に因りて斉王に博望に朝し、盟ひて去る。七年、魏王と平阿の南に会す。明年、復た甄に会す。魏の恵王卒す。明年、魏の襄王と徐州に会し、諸侯相王とす。十年、楚我が徐州を囲む。十一年、魏と趙を伐つ。趙河水を決して斉・魏に灌ぐ。兵罷む。十八年、秦の恵王王と称す。宣王文学游説の士を喜ぶ。騶衍・淳于髡・田駢・接子・慎到・環淵の徒の如きより七十六人、皆列第を賜ひ、上大夫と為し、治めずして議論せしむ。是を以て斉の稷下の学士復た盛んにして、且に数百千人ならんとす。十九年、宣王卒し、子湣王地立つ。湣王元年、秦張儀をして諸侯の執政と齧桑に会せしむ。三年、田嬰を薛に封ず。四年、婦を秦に迎ふ。七年、宋と魏を攻め、之を観沢に敗る。十二年、魏を攻む。楚雍氏を囲む。秦屈丐を敗る。蘇代、田軫に謂ひて曰く、「臣願はくは公に謁する有らん。其の事を為すこと甚だ完し。楚をして公を利せしめ、成れば福と為り、成らずとも亦福と為さん。
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『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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