智囊 / 威克・宗澤
當湖馮汝弼《祐山雜記》云:「甲辰凶荒之後,邑人行乞者什之三,逋負者什之九。明年,本府趙通判臨縣催徵,命選竹板重七斤、桚長三寸者,邑人大恐,或誑行乞者曰:『趙公領府庫銀三千兩來賑濟,汝何不往?』行乞者更相傳播,須臾數百人相率詣趙。趙不容入,則叫號跳躍,一擁而進,逋負者隨之,逐隸人,毀刑具,呼聲震動。趙惶懼莫知所措。餘與上莘輩聞變趨入,趙意稍安,延入後堂。則擊門排闥,勢益猖獗。問欲何為,行乞者曰:『求賑濟。』逋負者曰:『求免徵。』趙問為首者姓名,余曰:『勿問也,知其姓名,彼慮後禍,禍反不測,姑順之耳。』於是出免徵牌,及縣備豆餅數百以進,未及門輒搶去,行乞者率不得食。抵暮,餘輩出,則號呼愈甚,突入後堂矣!趙慮有他變,逾牆宵遁。自是民頗驕縱無忌。又二月,太守郭平川應奎推為首者數人於法,即惕然相戒,莫敢復犯矣。向使趙不嚴刑,未必致變;郭不正法,何由弭亂?寬嚴操縱,唯識時務者知之。」
新字:当湖馮汝弼《祐山雑記》云:「甲辰凶荒之後,邑人行乞者什之三,逋負者什之九。明年,本府趙通判臨県催徴,命選竹板重七斤、桚長三寸者,邑人大恐,或誑行乞者曰:『趙公領府庫銀三千両来賑済,汝何不往?』行乞者更相伝播,須臾数百人相率詣趙。趙不容入,則叫号跳躍,一擁而進,逋負者随之,逐隸人,毀刑具,呼声震動。趙惶懼莫知所措。余与上莘輩聞変趨入,趙意稍安,延入後堂。則撃門排闥,勢益猖獗。問欲何為,行乞者曰:『求賑済。』逋負者曰:『求免徴。』趙問為首者姓名,余曰:『勿問也,知其姓名,彼慮後禍,禍反不測,姑順之耳。』於是出免徴牌,及県備豆餅数百以進,未及門輒搶去,行乞者率不得食。抵暮,余輩出,則号呼愈甚,突入後堂矣!趙慮有他変,逾牆宵遁。自是民頗驕縦無忌。又二月,太守郭平川応奎推為首者数人於法,即惕然相戒,莫敢復犯矣。向使趙不厳刑,未必致変;郭不正法,何由弭乱?寛厳操縦,唯識時務者知之。」
書き下し
当湖の馮汝弼の『祐山雑記』に云う、「甲辰の凶荒の後、邑人の行乞する者は十の三、逋負する者は十の九なり。明年、本府の趙通判は県に臨みて催徴す。竹板の重さ七斤なるもの、桚の長さ三寸なるものを選ばしむ。邑人大いに恐れ、或いは行乞者を誑して曰く、『趙公は府庫の銀三千両を領して賑済に来たる。汝は何ぞ往かざる』と。行乞者は更ごも相い伝播し、須臾にして数百人相い率いて趙に詣る。趙は入るを容れざれば、則ち叫号跳躍し、一たび擁して進み、逋負者は之に随い、隷人を逐い、刑具を毀ち、呼声は震動す。趙は惶懼して措く所を知らず。余は上莘の輩と変を聞きて趨り入る。趙の意稍や安らぎ、延きて後堂に入る。則ち門を撃ち闥を排し、勢いは益ます猖獗す。何をか為さんと欲すと問えば、行乞者は『賑済を求む』と曰い、逋負者は『免徴を求む』と曰う。趙は為首者の姓名を問う。余曰く、『問う勿れ。其の姓名を知れば、彼は後禍を慮り、禍は反って測られず。姑く之に順うのみ』と。是に於いて免徴の牌を出し、及び県に備えさせた豆餅数百を以て進むれば、未だ門に及ばずして輒ち搶い去られ、行乞者は率ね食を得ず。暮れに抵り、余の輩出ずれば、則ち号呼愈いよ甚だしく、突きて後堂に入る。趙は他変有らんことを慮り、牆を逾えて宵遁す。是より民は頗る驕縦して忌む無し。又た二月、太守郭平川応奎は為首者数人を法に推し、即ち惕然として相い戒め、敢えて復た犯す莫し。向に使し趙が刑を厳しくせずんば、未だ必ずしも変を致さず。郭が正法せずんば、何に由りてか乱を弭めん。寛厳の操縦は、唯だ時務を識る者のみ之を知る」と。
現代語訳
当湖の馮汝弼の『祐山雑記』に言う。「甲辰の凶作の後、この町の人は十人のうち三人が物乞いに出て、税の未納者は十人のうち九人に及んだ。翌年、府の趙通判が県に来て徴税を督促した。重さ七斤の竹の板と、長さ三寸の指締めの刑具を選ばせた。町の人は大いに恐れ、ある人が物乞いをだまして言った。『趙公が府庫の銀三千両を預かって救済に来られた。お前たちはなぜ行かないのか』。物乞いは次々に言いふらし、たちまち数百人が連れ立って趙のもとへ行った。趙が入れようとしないと、叫び跳ね回り、一斉に押し入った。未納者もこれに続き、下役を追い払い、刑具を壊して、叫び声は轟いた。趙はうろたえてなすすべを知らなかった。私は上莘たちと変事を聞いて駆けつけた。趙の気持ちが少し落ち着き、奥の部屋へ招き入れた。ところが扉を叩き破り、勢いはいっそう激しくなった。何がしたいのかと問うと、物乞いは『救済を求める』と言い、未納者は『徴税の免除を求める』と言った。趙は首謀者の姓名を問うた。私は言った。『問うてはいけません。姓名を知れば、彼らは後の災いを恐れ、かえって災いは予測できなくなります。ひとまず彼らに従うだけです』。そこで税の免除の札を出し、県に用意させた豆餅数百を差し出したが、門に着かないうちに奪い取られ、物乞いの大半は食べ物を得られなかった。日が暮れて、私たちが退出すると、叫び声はますます激しくなり、突入して奥の部屋に入った。趙は他の変事を恐れ、垣根を越えて夜に逃げた。これ以降、民はすっかり驕り高ぶって、はばかることがなくなった。さらに二か月して、太守の郭応奎(平川)が首謀者数人を法に基づいて処罰すると、民は恐れて互いに戒め、二度と犯す者はいなくなった。もし趙が刑を厳しくしなければ、必ずしも騒動は起きなかったかもしれない。郭が法を正さなければ、どうして乱を収められただろう。寛容と厳格の使い分けは、時勢をわきまえた者だけが知るものだ」。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・富弼・滕元發・原杰富鄭公、青州を知す。河朔大水あり、民流れて食に就く。弼、部する所の民に粟を出すを勧め、益すに官廩を以てし、公私の廬室十余区を得て、其の人を散処せしめ、以て薪水に便す。官吏の前資にして缺を待つ者、寄居する者には、皆な禄を賦し、民の聚まる所に即かしめ、老弱病瘠の者を選びて之を廩し、仍お其の労を書し、他日奏請して賞を受けしむるを約す。率ね五日ごとに人を遣わして酒肉飯糗を持ちて慰籍し、至誠より出で、人人為に力を尽くす。山林陂沢の利の以て資りて生くべき者は、流民の擅に取るを聴し、死者は大塚を為りて之を埋め、目して叢塚と曰う。明年、麦大いに熟し、民各おの遠近を以て糧を受けて帰る。募りて兵と為る者万を以て計う。帝聞きて、使を遣わして褒労す。此より前の災を救う者は皆な民を城郭の中に聚め、粥を為りて之に食わしめ、蒸して疾疫と為り、或いは哺を待つこと数日にして、粥を得ずして僕れ、名は之を救うも実は之を殺す。弼の法を立つること簡尽、天下伝えて以て式と為す。〔馮述評〕能く極貧弱の中に於いて富強を做出す、真に経国の大手なり。
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