智囊 / 詰奸・周新
周新按察浙江,將到時,道上蠅蚋迎馬首而聚,使人尾之,得一暴屍,唯小木布記在。及至任,令人市布,屢嫌不佳,別市之,得印志者。鞫布主,即劫布商賊也。一日視事,忽旋風吹異葉至前,左右言城中無此木,獨一古寺有之,去城差遠。新悟曰:「此必寺僧殺人,埋其下也,冤魂告我矣。」發之,得婦屍,僧即款服。〔馮按〕新,南海人,由鄉科選御史,剛直敢言,人稱為「冷面寒鐵」。公在浙多異政,時錦衣紀綱擅寵,使千戶往浙緝事,作威受賂。新捕治之,千戶走脫,訴綱,綱構其罪,殺之。嗚呼!公能暴人冤,而身不能免冤死,天道可疑矣!
新字:周新按察浙江,将到時,道上蠅蚋迎馬首而聚,使人尾之,得一暴屍,唯小木布記在。及至任,令人市布,屡嫌不佳,別市之,得印志者。鞫布主,即劫布商賊也。一日視事,忽旋風吹異葉至前,左右言城中無此木,独一古寺有之,去城差遠。新悟曰:「此必寺僧殺人,埋其下也,冤魂告我矣。」発之,得婦屍,僧即款服。〔馮按〕新,南海人,由郷科選御史,剛直敢言,人称為「冷面寒鉄」。公在浙多異政,時錦衣紀綱擅寵,使千戸往浙緝事,作威受賂。新捕治之,千戸走脱,訴綱,綱構其罪,殺之。嗚呼!公能暴人冤,而身不能免冤死,天道可疑矣!
書き下し
周新、浙江に按察たり。将に到らんとするとき、道上に蠅・蚋、馬首を迎えて聚まる。人をして之を尾せしむれば、一つの暴屍を得たり。唯だ小木布の記のみ在り。任に至るに及び、人をして布を市わしめ、屢ば佳からずと嫌いて、別に之を市わしめ、印志の者を得たり。布主を鞫すれば、即ち布商を劫かせし賊なり。一日、事を視るに、忽ち旋風の異葉を吹いて前に至る。左右言う、「城中に此の木無し。独り一古寺に之有り。城を去ること差や遠し」と。新悟りて曰く、「此れ必ず寺僧の人を殺し、其の下に埋めたり。冤魂、我に告ぐるなり」と。之を発けば、婦屍を得たり。僧即ち款服す。〔馮按〕新は南海の人。郷科より選ばれて御史となり、剛直にして敢えて言う。人称して「冷面寒鉄」と為す。公の浙に在るや異政多し。時に錦衣の紀綱、寵を擅にし、千戸をして浙に往き事を緝せしめ、威を作し賄を受く。新、捕えて之を治む。千戸は走げ脱れ、綱に訴う。綱、其の罪を構え、之を殺す。嗚呼、公は能く人の冤を暴くも、身は冤死を免るる能わず。天道は疑うべし。
現代語訳
周新が浙江の按察使であった。赴任する途中、道に蠅や蚊が馬の頭を迎えるように集まった。人にその後をつけさせると、一つの放置された死体を見つけた。ただ小さな木綿布の印があるだけだった。着任すると、人に布を買わせ、何度も品質が悪いと不満を言って、別の布を買わせ、印のある布を得た。布の持ち主を取り調べると、まさに布商人を襲った賊であった。ある日、政務を見ていると、突然つむじ風が珍しい葉を吹いて目の前に運んできた。側近が言った。「城中にはこの木はありません。ただ一つの古い寺にあるだけで、城からやや遠いです」。周新は悟って言った。「これは必ず寺の僧が人を殺し、その木の下に埋めたのだ。無念の霊が私に告げているのだ」。そこを掘ると、婦人の死体が見つかった。僧はただちに罪に服した。〔馮夢龍の按語〕周新は南海の人。郷試から選ばれて御史となり、剛直で臆せず直言した。人々は「冷面寒鉄」と呼んだ。公は浙江で多くの優れた政治を行った。当時、錦衣衛の紀綱が寵愛を独占し、千戸を浙江に遣わして調べさせ、威を振るって賄賂を受けていた。周新はこれを捕らえて処罰した。千戸は逃げ去って紀綱に訴えた。紀綱はその罪をでっち上げ、周新を殺した。ああ、公は人の冤罪を晴らすことはできても、自分が冤罪で死ぬことを免れられなかった。天の道理は疑わしい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 魯仲連鄒陽列伝是を以て聖王は世を制し俗を御し、独り陶鈞の上に化して、卑乱の語に牽かれず、衆多の口に奪はれず。故に秦の皇帝は中庶子蒙嘉の言に任じて、以て荊軻の説を信じ、而して匕首竊かに発す。周の文王は涇・渭に猟し、呂尚を載せて帰り、以て天下に王たり。故に秦は左右を信じて殺され、周は烏集を用ひて王たり。何となれば、其の能く攣拘の語を越え、域外の議を馳せ、独り昭曠の道を観るを以てなり。今、人主は諂諛の辞に沈み、帷裳の制に牽かれ、不羈の士をして牛驥と皁を同じくせしむ。此れ鮑焦の世に忿りて富貴の楽しみに留まらざる所以なり。臣聞く、盛飾して朝に入る者は利を以て義を汙さず、名号を砥厲する者は欲を以て行を傷らずと。故に県の勝母と名づくれば曾子入らず、邑の朝歌と号すれば墨子車を回す。今、天下の寥廓の士をして、威重の権に摂せられ、位勢の貴に主られしめんと欲す。故に面を回し行を汙して以て諂諛の人に事へて、左右に親近を求めしむれば、則ち士は堀穴巖藪の中に伏死せんのみ。安んぞ肯へて忠信を尽くして闕下に趨く者有らんや、と。書梁の孝王に奏せらる。孝王人をして之を出ださしめ、卒に上客と為す。太史公曰く、魯連は其の指意、大義に合はずと雖も、然れども余は其の布衣の位に在りて、蕩然として志を肆にし、諸侯に詘せず、当世に談説し、卿相の権を折くを多とす。鄒陽は辞遜らずと雖も、然れども其の物に比し類を連ぬる、悲しむに足る者有り。亦抗直にして橈まずと謂ふべし。吾是を以て之を列伝に附す。
-
『春秋左氏伝』昭公元年 博物の君子以って其の體を露(やつ)れしむること勿し。茲(ここ)に心爽(あき)らかならずして、百度を昏亂す。今乃ち之を壹にすること無からんや、則ち疾を生ぜん。僑又之を聞く、内官は同姓に及ばず。其の生殖せず。美先づ盡くれば、則ち相疾を生ず。君子是を以って之を惡む。故に志に曰く、『妾を買ひて其の姓を知らざれば、則ち之を卜せよ』と。此の二者に違ふは、古の慎む所なり。男女姓を辨ずるは、禮の大司なり。今君の内に實に四姬有り、其れ乃ち是れ無からんや。若し是の二者に由らば、為す可からざるのみ。四姬省くこと有らば、猶ほ可なり。無くんば則ち必ず疾を生ぜん」と。叔向曰く、「善い哉。肸未だ之を聞かざるなり。此れ皆然り」と。叔向出づ。行人揮之を送る。叔向鄭の故を問ひ、且つ子皙を問ふ。對へて曰く、「其れ幾何ぞ。禮無くして好んで人を陵ぎ、富を怙(たの)みて其の上を卑しむ。久しきこと能はじ」と。晉侯子產の言を聞きて曰く、「博物の君子なり」と。重く之に賄す。
-
『春秋左氏伝』昭公八年 陳の滅亡冬、十一月、壬午、陳を滅ぼす。輿嬖袁克、馬を殺し玉を毀ちて以って葬る。楚人將に之を殺さんとす。之を寘かんことを請ふ。既にして又私せんことを請ふ。幄に私し、絰を顙に加へて逃る。穿封戌をして陳公為らしめて曰く、「城麇の役に諂はず」と。王に侍して酒を飲む。王曰く、「城麇の役、女寡人の此に及ぶを知らば、女其れ寡人を辟けんか」と。對へて曰く、「若し君の此に及ぶを知らば、臣必ず死を致して禮もて以って楚を息めん」と。晉侯史趙に問ひて曰く、「陳其れ遂に亡びんか」と。對へて曰く、「未だし」と。公曰く、「何の故ぞ」と。對へて曰く、「陳は顓頊の族なり。歲鶉火に在りて、是を以って卒に滅ぶ。陳も將に之の如くならん。今析木の津に在り、猶ほ將に復た由らんとす。且つ陳氏齊に政を得て、而る後に陳卒に亡びん。幕より瞽瞍に至るまで、命に違ふ無し。舜之に重ぬるに明德を以ってし、德を遂に寘く。遂世々之を守る。胡公の淫せざるに及び、故に周之に姓を賜ひ、虞帝を祀らしむ。臣聞く、盛德は必ず百世祀らる、と。虞の世數未だし。繼ぎて守るは將に齊に在らんとす。其の兆既に存せり」と。
-
史記 袁盎鼂錯列伝然れども袁盎も亦数(しばしば)直諫するを以て、久しく中に居るを得ず、調されて隴西の都尉と為る。士卒を仁愛し、士卒皆争ひて為に死す。遷りて斉の相と為る。徙りて呉の相と為る。辞して行くに、種盎に謂ひて曰く、「呉王驕ること日久しく、国に姦多し。今苟も劾治せんと欲せば、彼上書して君を告げずんば、即ち利剣もて君を刺さん。南方は卑湿なり、君能く日に飲み、何もする毋く、時に王に説きて反する毋かれと曰ふのみ。此の如くせば幸ひに脱るるを得ん」と。盎種の計を用ひ、呉王厚く盎を遇す。盎告帰し、道に丞相申屠嘉に逢ひ、車を下りて拝謁す。丞相車上より袁盎に謝す。袁盎還りて、其の吏に愧ぢ、乃ち丞相の舎に之きて上謁し、丞相に見えんことを求む。丞相良久しくして之を見る。盎因りて跪きて曰く、「願はくは閒を請はん」と。丞相曰く、「使君の言ふ所公事ならば、曹に之きて長史掾と議せよ、吾且に之を奏せんとす。即し私ならば、吾私語を受けず」と。袁盎即ち跪きて説きて曰く、「君丞相と為り、自ら度るに陳平・絳侯と孰れぞ」と。丞相曰く、「吾如かず」と。袁盎曰く、「善し、君即ち自ら如かずと謂ふ。夫れ陳平・絳侯は高帝を輔翼して天下を定め、将相と為りて、諸呂を誅し、劉氏を存す。君は乃ち材官蹶張(けっちょう)為りて、遷りて隊率と為り、功を積みて淮陽の守に至る。奇計攻城野戦の功有るに非ず。且つ陛下代より来たり、朝する毎に、郎官書疏を上れば、未だ嘗て輦を止めて其の言を受けずんばあらず。言用ふべからざれば之を置き、言受くべければ之を採り、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。何ぞや。則ち以て天下の賢士大夫を致さんと欲すればなり。上は日に聞かざる所を聞き、知らざる所を明らかにし、日に益ます聖智なり。君今自ら天下の口を閉鉗して日に益ます愚なり。夫れ聖主を以て愚相を責む、君禍を受くること久しからず」と。丞相乃ち再拝して曰く、「嘉は鄙野の人、乃ち知らず、将軍幸ひに教へよ」と。引き入れて与に坐し、上客と為す。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、昔し国王あり、国を治て後ちに諸の臣下に問ふ、我好く国を治む、よく賢なりやと、諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと、時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと、帝の云く故は如何、臣が云く、国を治て後ち、帝の弟に与へずして息に与ふと、帝の心にかなはずして、追ひ立られて後、亦一臣に問ふ、朕よく仁なりや、臣が云く、甚だ仁なり、帝の云く、其の故いかん、臣が云く、仁君には必ず忠臣あり、忠臣は直言あるなり、前きの臣太だ直言なり、是れ忠臣なり、仁君にあらずんば得じと、帝是を感じて、即ち前きの臣をめしかへさるゝなり、
-
『酔古堂剣掃』集峭・殿上の虎才士は駕を泛すを妨げず、轅下の駒は吾願はざるなり、諍臣豈に摸棱に合せんや、殿上の虎たるも君尤むる無からん。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る