智囊 / 詰奸・吳復
溧水人陳德,娶妻林歲餘,家貧傭於臨清。林績麻自活,久之,為左鄰張奴所誘,意甚相愜。歷三載,陳德積數十金囊以歸,離家尚十五里,天暮且微雨。德慮懷寶為累,乃藏金於水心橋第三柱之穴中,徒步抵家。而林適與張狎,聞夫叩門聲,匿牀下,既夫婦相見勞苦,因敘及藏金之故,比晨往,而張已竊聽,啟後扉出,先掩有之矣。林心不在夫,既聞亡金,疑其誑,怨詈交作。時署縣事者晉江吳復,有能聲,德為訴之,吳笑曰:「汝以腹心向妻,不知妻別有腹心也,」拘林至,嚴訊之,林呼枉,德心憐妻,願棄金,吳叱曰:「汝詐失金,戲官長乎?」置德獄中,而釋林以歸,隨命吏人之黠者為丐容,造林察之,得張與林私問慰狀。吳並擒治,事遂白。〔馮述評〕一云,此亦廣東周新按察浙江時事。
新字:溧水人陳徳,娶妻林歳余,家貧傭於臨清。林績麻自活,久之,為左鄰張奴所誘,意甚相愜。歴三載,陳徳積数十金嚢以帰,離家尚十五里,天暮且微雨。徳慮懐宝為累,乃蔵金於水心橋第三柱之穴中,徒歩抵家。而林適与張狎,聞夫叩門声,匿牀下,既夫婦相見労苦,因敘及蔵金之故,比晨往,而張已窃聴,啓後扉出,先掩有之矣。林心不在夫,既聞亡金,疑其誑,怨詈交作。時署県事者晋江呉復,有能声,徳為訴之,呉笑曰:「汝以腹心向妻,不知妻別有腹心也,」拘林至,厳訊之,林呼枉,徳心憐妻,願棄金,呉叱曰:「汝詐失金,戯官長乎?」置徳獄中,而釈林以帰,随命吏人之黠者為丐容,造林察之,得張与林私問慰状。呉並擒治,事遂白。〔馮述評〕一云,此亦広東周新按察浙江時事。
書き下し
溧水の人陳徳、妻の林を娶りて歳余にして、家貧しく臨清に傭わる。林は麻を績いで自活す。久しくして、左鄰の張奴に誘われ、意は甚だ相愜えり。三載を歴て、陳徳は数十金を囊に積みて以て帰る。家を離るること尚お十五里にして、天暮れ且つ微雨あり。徳、宝を懐くの累と為るを慮り、乃ち金を水心橋の第三柱の穴の中に蔵し、徒歩して家に抵る。而して林は適たま張と狎れ、夫の門を叩く声を聞き、牀下に匿る。既に夫婦相見えて労苦し、因りて金を蔵せし故を敘す。晨に比び往きしとき、張は已に竊かに聴き、後扉を啓きて出で、先に掩して之を有せり。林の心は夫に在らず、既に金を亡えるを聞き、其の誑りかと疑い、怨詈交ごも作る。時に署県事なる晋江の呉復は、能声有り。徳、為に之を訴う。呉笑いて曰く、「汝は腹心を以て妻に向かうも、妻に別に腹心有るを知らず」と。林を拘えて至らしめ、嚴しく之を訊す。林は枉を呼ぶ。徳は妻を心に憐れみ、金を棄てんことを願う。呉叱して曰く、「汝は詐りて金を失い、官長を戯るるか」と。徳を獄中に置き、林を釈いて以て帰らしむ。隨いて吏人の黠き者に命じて丐容を為らしめ、林に造りて之を察せしむるに、張と林と私かに問慰する状を得たり。呉は並びに擒えて治め、事遂に白らかなり。〔馮述評〕一に云う、此れも亦た広東の周新、浙江に按察たりし時の事なり、と。
現代語訳
溧水の人の陳徳は、妻の林を娶って一年あまり後、家が貧しく臨清に出稼ぎに出た。林は麻を紡いで暮らしを立てていた。長い時が経ち、左隣の張という使用人に誘われて、気持ちがひどく通じ合った。三年を経て、陳徳は数十両の金を袋にためて帰った。家まで十五里のところで、日が暮れ、小雨が降り出した。徳は宝を抱えたまま歩くのが負担になると考え、金を水心橋の第三の柱の穴の中に隠し、徒歩で家に着いた。そのとき林はちょうど張と親しくしており、夫が門を叩く声を聞いて、寝台の下に隠れた。夫婦が顔を合わせてねぎらい合い、金を隠した事情を話した。翌朝、行ってみると、張はすでにひそかに聞いており、裏口を開けて出て、先に隠された金を取って自分のものにしていた。林は心が夫になく、金がなくなったと聞いて、夫の嘘ではないかと疑い、恨みや罵りが入り交じった。このとき県の代理を務めていた晋江の呉復は有能との評判があった。徳は役所に訴えた。呉は笑って言った。「おまえは腹の底を妻に打ち明けたが、妻に別の腹心があることを知らなかった」。林を捕らえて連れて来させ、厳しく取り調べた。林は無実だと叫んだ。徳は妻をかわいそうに思い、金を諦めたいと願った。呉は叱って言った。「おまえは金を失ったと偽り、県の長官をからかうのか」。徳を獄に入れ、林を釈放して帰らせた。続いて役人のうちずる賢い者に命じて乞食に化けさせ、林のところへ行って探らせると、張と林とがひそかに互いに慰め合っている様子がわかった。呉は両者を捕らえて処罰し、事はようやく明らかになった。〔馮夢龍の評〕一説に、これも広東の周新が浙江の按察使だったときの事だという。
解説
この章句が説くこと
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