智囊 / 詰奸・陳霽岩
陳霽岩為楚中督學。初到任,江夏縣送進文書千餘角,書辦先將「照詳」、「照驗」分作兩處。公夙聞先輩云:「前道有駁提文書難以報完者,必乘後道初到時,賄囑吏書,從『照驗』中混交。」公乃費半日功,將「照驗」文書逐一親查,中有一件駁提,該吏者混入其中。先暗記之,命書辦細查,戒勿草草。書辦受賄,徑以無弊對。公摘此一件而質之,重責問罪革役。後「照驗」文書更不敢欺。
新字:陳霽岩為楚中督学。初到任,江夏県送進文書千余角,書辦先将「照詳」、「照験」分作両処。公夙聞先輩云:「前道有駁提文書難以報完者,必乗後道初到時,賄囑吏書,従『照験』中混交。」公乃費半日功,将「照験」文書逐一親查,中有一件駁提,該吏者混入其中。先暗記之,命書辦細查,戒勿草草。書辦受賄,径以無弊対。公摘此一件而質之,重責問罪革役。後「照験」文書更不敢欺。
書き下し
陳霽岩、楚中の督学と為る。初めて任に到るとき、江夏県、文書千余角を送進す。書弁、先ず「照詳」「照験」を分かちて両処と作す。公、夙に先輩の云うを聞く、「前道に駁提の文書の報完し難き者有らば、必ず後道の初めて到るに乗じ、吏書に賄囑して、『照験』の中より混交す」と。公、乃ち半日の功を費やし、「照験」の文書を逐一親ら査す。中に一件の駁提、該吏の者の混入せるもの有り。先ず暗に之を記し、書弁に命じて細かに査せしめ、草草たる勿かれと戒む。書弁は賄を受け、径ちに弊無しと以て対う。公、此の一件を摘みて之を質し、重く責めて罪に問い、役を革む。後に「照験」の文書、更に敢えて欺かず。
現代語訳
陳霽岩は楚中の督学(学務を監督する官)となった。着任したばかりのとき、江夏県が千通あまりの文書を送ってきた。書記役はまず「照詳」と「照験」とを二つに分けて置いた。公はかねて先輩が、こう言うのを聞いていた。「前任者のとき、却下されて差し戻された文書で完了報告が難しいものがあれば、必ず後任者が着任した初めを狙って、書吏に賄賂を贈り、『照験』の中に紛れ込ませる」。公は半日をかけて、「照験」の文書を一通ずつ自分で調べた。その中に、却下された一件で、当の役人の関わる文書が紛れ込んでいた。まずひそかにそれを記憶しておき、書記役に命じて細かく調べさせ、いい加減にしないよう戒めた。書記役は賄賂を受けており、すぐに不正はないと答えた。公はこの一件を指摘して問いただし、重く責めて罪に問い、役職を免じた。その後、「照験」の文書は二度と欺かれなかった。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』守道第二十六賁・育は敵を量らざれば則ち勇名無く、盗跖は可を計らざれば則ち利成らず。明主の禁を守るや、賁・育も其の勝つこと能はざる所に侵され、盗跖も其の取ること能はざる所に害せらる。故に能く賁・育の犯すこと能はざる所を禁じ、盗跖の取ること能はざる所を守れば、則ち暴者も愿を守り、邪者も正に反る。大勇も愿、巨盗も貞なれば、則ち天下公平にして、斉民の情正し。人主、法を離れ人を失へば、則ち伯夷の妄りに取らざるに危ふくして、田成・盗跖の禍を免れず。可ならんや。今天下に一伯夷も無く、而して姦人世に絶えず、故に法度量を立つ。
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『韓非子』難四第三十九群臣皆な陽虎の心有りて、而も君上知らざるは、是れ微にして巧なればなり。陽虎 ... 是れ疏にして拙なるなり。
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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