韓非子 / 內儲說上七術第三十
戴驩,宋太宰,夜使人曰:「吾聞數夜有乘輼車至李史門者,謹爲我伺之。」使人報曰:「不見輼車,見有奉笥而與李史語者,有間,李史受笥。」周主亡玉簪,令吏求之,三日不能得也。周王令人求而得之家人之屋間。周主曰:「吾之吏之不事事也。求簪,三日不得之;吾令人求之,不移日而得之。」於是吏皆聳懼,以爲君神明也。商太宰使少庶子之市,顧反而問之曰:「何見於市?」對曰:「無見也。」太宰曰:「雖然,何見也?」對曰:「市南門之外甚衆牛車,僅可以行耳。」太宰因誡使者:「無敢告人吾所問於女。」
新字:戴驩,宋太宰,夜使人曰:「吾聞数夜有乗輼車至李史門者,謹為我伺之。」使人報曰:「不見輼車,見有奉笥而与李史語者,有間,李史受笥。」周主亡玉簪,令吏求之,三日不能得也。周王令人求而得之家人之屋間。周主曰:「吾之吏之不事事也。求簪,三日不得之;吾令人求之,不移日而得之。」於是吏皆聳懼,以為君神明也。商太宰使少庶子之市,顧反而問之曰:「何見於市?」対曰:「無見也。」太宰曰:「雖然,何見也?」対曰:「市南門之外甚衆牛車,僅可以行耳。」太宰因誡使者:「無敢告人吾所問於女。」
書き下し
戴驩は宋の太宰なり。夜人をして曰はしむ、「吾聞く、数夜轀車に乗りて李史の門に至る者有りと、謹んで我が為に之を伺へ」と。使人報じて曰く、「轀車を見ず、笥を奉じて李史と語る者有るを見る。間有りて、李史笥を受く」と。周主玉簪を亡ひ、吏をして之を求めしむ、三日にして得ること能はざるなり。周主、人をして求めしめて之を家人の屋間に得たり。周主曰く、「吾の吏の事を事とせざるや。簪を求めて、三日にして之を得ず。吾人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり」と。是に於て吏皆聳懼して、以て君を神明と為すなり。商の太宰、少庶子をして市に之かしめ、顧反りて之に問ひて曰く、「何をか市に見たる」と。対へて曰く、「見る無きなり」と。太宰曰く、「然りと雖も、何をか見たる」と。対へて曰く、「市の南門の外は甚だ牛車衆く、僅かに以て行くべきのみ」と。太宰因りて使者を誡めて、「敢へて人に吾の女に問ふ所を告ぐる無かれ」と。
現代語訳
戴驩は宋の太宰(宰相)であった。夜、人を遣わして言った。「聞くところでは、幾晩も轀車(ほろ付きの車)に乗って李史の家の門に来る者がいるという。わたしのために注意して見張ってくれ」。使いの者は報告して言った。「轀車は見えませんでしたが、竹の箱を捧げ持って李史と話している者がいました。しばらくして、李史はその箱を受け取りました」。周の君主が玉のかんざしをなくし、役人に探させたが、三日たっても見つからなかった。周の君主が(別に)人をやって探させると、ある民家の屋根の間から見つかった。周の君主は言った。「わしの役人は職務に励んでいない。かんざしを探して三日たっても見つけられなかった。わしが人に探させると、日が移らないうちに見つかった」。そこで役人はみなおののき恐れ、君主を神のように見通す人だと思った。商(宋)の太宰が、若い家臣を市場に行かせ、帰ってきたところで尋ねた。「市場で何を見たか」。家臣は「何も見ませんでした」と答えた。太宰は「それでも、何か見ただろう」と言った。家臣は答えた。「市場の南門の外は牛車がとても多く、やっと通れるほどでした」。太宰はそこで使いの者に「わしがお前に尋ねたことを、決して人に言ってはならない」と戒めた。
解説
関連する章句
-
『韓非子』內儲說上七術第三十其の患ひは申子の趙紹・韓沓を以て嘗試と為すに在り。故に公子汜は河東を割くを議し、而して応侯は上党を弛むるを謀る。一聴四。数々見えて久しく待ちて任ぜざれば、姦は則ち鹿のごとく散ず。人をして他を問はしむれば則ち私を鬻がず。是を以て龐敬は公大夫を還し、而して戴讙は轀車を視しむるを詔し、周主は玉簪を亡ひ、商の太宰は牛矢を論ず。詭使五。智を挟みて問へば、則ち不智なる者も智なり。深く一物を智れば、衆隠皆変ず。其の説は昭侯の一爪を握るに在り。故に必ず南門にして三郷得らる。周主は曲杖を索めて群臣懼れ、卜皮は庶子を使ひ、西門豹は詳りて轄を遺る。挟智六。倒言反事して以て疑ふ所を嘗みれば、則ち姦情得らる。故に陽山は樛豎を謾り、淖歯は秦の使ひと為り、斉人は乱を為さんと欲し、子之は白馬を以てし、子産は訟者を離し、嗣公は関市を過ぐ。倒言七。右経一。衛の霊公の時、弥子瑕寵有りて、衛国を専らにす。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十韓の昭侯、騎をして県に於てせしむ。使者報ず。昭侯問ひて曰く、「何をか見たる」と。対へて曰く、「見る所無きなり」と。昭侯曰く、「然りと雖も、何をか見たる」と。曰く、「南門の外に、黄犢の苗を道の左に食む者有り」と。昭侯、使者に謂ふ、「敢へて吾の女に問ふ所を洩らす毋かれ」と。乃ち令を下して曰く、「苗の時に当たりて、牛馬の人の田中に入るを禁ずること固より令有り。而るに吏以て事と為さず、牛馬甚だ多く人の田中に入る。亟かに其の数を挙げて之を上れ。得ずんば、将に其の罪を重くせんとす」と。是に於て三郷挙げて之を上る。昭侯曰く、「未だ尽くさざるなり」と。復た往きて之を審らかにし、乃ち南門の外の黄犢を得たり。吏、昭侯を以て明察と為し、皆其の所に悚懼して敢へて非を為さず。周主、令を下して曲杖を索めしむ。吏之を求むること数日にして得ること能はず。周主私かに人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり。乃ち吏に謂ひて曰く、「吾吏の事を事とせざるを知る。曲杖は甚だ易きなり、而るに吏得ること能はず。我人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり、豈に忠と謂ふべけんや」と。吏乃ち皆其の所に悚懼して、君を以て神明と為す。卜皮は県令為り。其の御史汚濊にして愛妾有り。卜皮乃ち少庶子をして佯りて之を愛せしめ、以て御史の陰情を知る。西門豹は鄴の令為り。佯りて其の車轄を亡ひ、吏をして之を求めしむるも得ること能はず。人をして之を求めしめて之を家人の屋間に得たり。七。陽山君、衛に相たり。王の己を疑ふを聞き、乃ち偽りて樛豎を謗りて以て之を知る。淖歯、斉王の己を悪むを聞き、乃ち矯りて秦の使ひと為りて以て之を知る。斉人に乱を為さんと欲する者有り。王の之を知らんことを恐れ、因りて詐りて愛する所の者を逐ひ、走りて王をして之を知らしむ。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十衛の嗣公、人をして客と為りて関市を過ぎしむ。関市之を苛難す。因りて関市に事ふるに金を以てす。関吏乃ち之を舎く。嗣公、関吏に為(い)ひて曰く、「某の時、客有りて而の所を過ぎ、汝に金を与へ、而して汝因りて之を遣れり」と。関市乃ち大いに恐れ、而して嗣公を以て明察と為す。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十主の用ふる所は七術、察する所は六微なり。七術、一に曰く衆端参観、二に曰く必罰明威、三に曰く信賞尽能、四に曰く一聴責下、五に曰く疑詔詭使、六に曰く挟知而問、七に曰く倒言反事。此の七者は主の用ふる所なり。観聴参せざれば則ち誠聞こえず、聴くに門戸有れば則ち臣壅塞す。其の説は侏儒の竈を夢見ると、哀公の「衆と莫くして迷ふ」を称するとに在り。故に斉人の河伯を見すと、恵子の「其の半を亡ふ」を言ふとなり。其の患ひは豎牛の叔孫を餓ゑしむると、江乙の荊の俗を説くとに在り。嗣公は治めんと欲して知らず、故に敵有らしむ。是を以て明主は積鉄の類を推して、一市の患ひを察す。参観一。愛多き者は則ち法立たず、威寡なき者は則ち下上を侵す。是を以て刑罰必ならざれば則ち禁令行はれず。其の説は董子の石邑に行くと、子産の游吉に教ふるとに在り。故に仲尼は隕霜を説きて、殷の法は棄灰を刑す。将行は楽池を去りて、公孫鞅は軽罪を重くす。是を以て麗水の金は守られず、積沢の火は救はれず。成歓は太だ仁なるを以て斉国を弱め、卜皮は慈恵を以て魏王を亡ぼす。管仲之を知る、故に死人を断ず。嗣公之を知る、故に胥靡を買ふ。必罰二。賞誉薄くして謾なる者は下用ゐられず、賞誉厚くして信なる者は下死を軽んず。其の説は文子の「獣鹿の若し」と称するに在り。故に越王は宮室を焚き、呉起は車轅を倚せ、李悝は訟を断ずるに射を以てし、宋の崇門は毀を以て死す。勾践之を知る、故に怒鼃に式す。昭侯之を知る、故に弊袴を蔵す。厚賞の人をして賁・諸為らしむるや、婦人の蚕を拾ひ、漁者の鱣を握る、是を以て之を效す。賞誉三。一聴すれば則ち愚智紛れず、下に責むれば則ち人臣参せず。其の説は「鄭を索む」と「竽を吹く」とに在り。
-
『韓非子』內儲說下六微第三十一鄭の桓公将に鄶を襲はんと欲し、先づ鄶の豪傑・良臣・弁智果敢の士を問ひ、尽く姓名を与へ、鄶の良田を択びて之に賂し、官爵の名を為りて之を書す。因りて為に壇場を郭門の外に設けて之を埋め、之に釁るに雞豭を以てし、盟ふ状の若くす。鄶君以て内難と為して尽く其の良臣を殺す。桓公鄶を襲ひ、遂に之を取る。七。秦の侏儒荊王に善し、而して陰かに荊王の左右に善くする有りて内に恵文君に重んぜらる。荊適ま謀有れば、侏儒常に先づ之を聞きて以て恵文君に告ぐ。鄴の令襄疵、陰かに趙王の左右に善し。趙王鄴を襲はんと謀る、襄疵常に輒ち聞きて先づ之を魏王に言ふ。魏王之に備ふ、趙乃ち輒ち還る。衛の嗣君の時、人を令の左右に有らしむ。県令蓐を発くに席弊るること甚し、嗣公還りて人をして之に席を遺らしめて曰く、「吾聞く汝今者蓐を発くに席弊るること甚しと、汝に席を賜ふ。」県令大いに驚き、君を以て神と為すなり。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十江乙、魏王の為に荊に使ひし、荊王に謂ひて曰く、「臣、王の境内に入りて、王の国俗を聞くに曰く、『君子は人の美を蔽はず、人の悪を言はず』と。誠に之有りや」と。王曰く、「之有り」と。「然らば則ち白公の乱の若きは、危ふきこと無きを得んや。誠に此の如きを得ば、臣死罪を免れん」と。衛の嗣君、如耳を重んじ、世姫を愛し、而して其の皆其の愛重に因りて以て己を壅がんことを恐るるなり。乃ち薄疑を貴びて以て如耳に敵せしめ、魏姫を尊びて以て世姫に耦せしめて曰く、「是を以て相参せしむ」と。嗣君は壅がるること無からんと欲するを知るも、未だ其の術を得ざるなり。夫れ賤をして貴を議せしめず、下必ず上に坐して、而して必ず勢重の鈞しきを待ちて、而る後に敢へて相議すれば、則ち是れ益々壅塞の臣を樹つるなり。嗣君の壅がるること乃ち始まる。夫れ矢の来ること郷有れば、則ち鉄を積みて以て一郷に備ふ。矢の来ること郷無ければ、則ち鉄室を為りて以て尽く之に備ふ。之に備ふれば則ち体傷つかず。故に彼は尽く之に備ふるを以て傷つかず、此れは尽く之に敵するを以て姦無きなり。龐恭、太子と邯鄲に質たらんとし、魏王に謂ひて曰く、「今一人市に虎有りと言はば、王之を信ぜんか」と。曰く、「信ぜず」と。