智囊 / 得情・張齊賢
戚里有分財不均者,更相訟。齊賢曰:「是非台府所能決,臣請自治之。」齊賢坐相府,召訟者問曰:「汝非以彼分財多,汝分少乎?」曰:「然。」具款,乃召兩吏,令甲家入乙舍,乙家入甲舍,貨財無得動,分書則交易,明日奏聞,上曰:「朕固知非君不能定也。」
新字:戚里有分財不均者,更相訟。斉賢曰:「是非台府所能決,臣請自治之。」斉賢坐相府,召訟者問曰:「汝非以彼分財多,汝分少乎?」曰:「然。」具款,乃召両吏,令甲家入乙舎,乙家入甲舎,貨財無得動,分書則交易,明日奏聞,上曰:「朕固知非君不能定也。」
書き下し
戚里に財を分かつこと均しからずして、更ごも相訟う者有り。斉賢曰く、「是れ台府の能く決する所に非ず。臣、請う、自ら之を治めん」と。斉賢は相府に坐し、訟者を召して問いて曰く、「汝は彼が財を分かつこと多く、汝の分かつこと少なしと謂うに非ずや」と。曰く、「然り」と。款を具え、乃ち両吏を召し、甲の家を乙の舎に入れ、乙の家を甲の舎に入れしむ。貨財は動かすを得ず、分書は則ち交易す。明日奏聞す。上曰く、「朕は固より君に非ざれば定むる能わざるを知れり」と。
現代語訳
皇室の外戚の家で、財産の分け方が不公平だと言い合って、互いに訴え合う者たちがいた。張斉賢は言った。「これは御史台や役所が決められることではありません。私が自分でさばかせていただきたい」と。張斉賢は宰相府に座り、訴えた者たちを呼んで尋ねた。「あなたは、相手の分け前が多く、自分の分け前が少ないと言うのではないか」と。二人は「そのとおりです」と答えた。その陳述書を作らせ、二人の役人を呼んで、甲の家の者を乙の屋敷に入れ、乙の家の者を甲の屋敷に入れさせた。財産は動かさず、分配の証書だけを交換させた。翌日、皇帝に報告した。皇帝は言った。「私は、卿でなければ決められないと、もとから分かっていた」と。
解説
この章句が説くこと
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