智囊 / 得情・楊茂清
楊茂清升直隸貴池知縣。池濱大江,使傳往來如織,民好囂訟,茂清因俗為治,且遇事明決。時涇縣有王贊者,逋青陽富室周鑒金而欲陷之,預購一丐婦蓄之,鑒至索金,輒殺婦誣鑒,訊者以鑒富為嫌,莫敢為白,御史以事下郡,郡檄清往按,閱其獄詞,曰:「知見何不指里鄰,而以五十里外麻客乎?贊既被毆暈地,又何能辨麻客姓名,引為之證乎?」又云:「其妻伏贊背護贊,又何能毆及胸脅死乎?」已乃訊證人,稍稍吐實,詰旦至屍所,益審居民,則贊門有溝,溝布椽為橋,陽出婦與鑒爭,墮橋而死,贊乃語塞,而鑒得免。
新字:楊茂清升直隸貴池知県。池浜大江,使伝往来如織,民好囂訟,茂清因俗為治,且遇事明決。時涇県有王賛者,逋青陽富室周鑒金而欲陥之,預購一丐婦蓄之,鑒至索金,輒殺婦誣鑒,訊者以鑒富為嫌,莫敢為白,御史以事下郡,郡檄清往按,閲其獄詞,曰:「知見何不指里鄰,而以五十里外麻客乎?賛既被殴暈地,又何能弁麻客姓名,引為之証乎?」又云:「其妻伏賛背護賛,又何能殴及胸脅死乎?」已乃訊証人,稍稍吐実,詰旦至屍所,益審居民,則賛門有溝,溝布椽為橋,陽出婦与鑒争,堕橋而死,賛乃語塞,而鑒得免。
書き下し
楊茂清、直隷貴池の知県に升る。池は大江に浜し、使伝の往来は織るが如し。民は囂訟を好む。茂清、俗に因りて治め、且つ事に遇いて明決なり。時に涇県に王賛なる者有り。青陽の富室周鑒の金を逋り、之を陥れんと欲す。預め一丐婦を購いて之を蓄え、鑒至りて金を索むれば、輒ち婦を殺して鑒を誣う。訊する者は鑒の富むを以て嫌いとし、敢えて為に白らかにする莫し。御史、事を以て郡に下し、郡は清に檄して往きて按ぜしむ。其の獄詞を閲して曰く、「知見は何ぞ里鄰を指さずして、五十里外の麻客を以てするや。賛は既に毆たれて地に暈す。又た何ぞ能く麻客の姓名を弁じ、引きて之が証と為さんや」と。又た云う、「其の妻は賛の背に伏して賛を護る。又た何ぞ能く胸脅を毆ちて死せしめんや」と。已にして乃ち証人を訊うに、稍稍として実を吐く。詰旦に屍所に至り、益ます居民を審らかにするに、則ち賛の門に溝有り、溝に椽を布きて橋と為す。陽りて婦を出して鑒と争わせ、橋より墮ちて死す。賛乃ち語塞がり、鑒は免るるを得たり。
現代語訳
楊茂清は、直隷の貴池県の知県に昇進した。貴池は大江に面し、使者の往来が織物のように絶えなかった。民は訴訟を好んでよく騒いだ。楊茂清は土地の風俗に合わせて治め、事に当たっては明快に決断した。そのころ涇県に王賛という者がいた。青陽の富豪の周鑒から借りた金を返さず、周鑒を陥れようとした。あらかじめ乞食の女を買ってかくまっておき、周鑒が来て金を催促したとき、その女を殺して周鑒に罪を着せた。取り調べる者は、周鑒が富豪であることを憚って、誰も無実を明らかにしようとしなかった。御史がこの事件を郡に下し、郡は楊茂清に命じて調べさせた。楊茂清は訴状を読んで言った。「目撃者が近所の人ではなく、五十里も離れた麻の商人というのはなぜか。王賛は殴られて地面に倒れたというのに、どうして麻商人の姓名を見分けて証人に引くことができるのか」と。さらに言った。「その妻は王賛の背に覆いかぶさってかばったというのに、どうして胸や脇を殴られて死ぬことがあるのか」と。やがて証人を尋問すると、少しずつ本当のことを話した。翌朝、死体のあった場所へ行き、さらに住民を調べると、王賛の家の門に溝があり、溝に垂木を並べて橋にしていた。わざと女を出して周鑒と争わせ、橋から落ちて死んだのだった。王賛は言葉に詰まり、周鑒は罪を免れた。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢命を知る者は天を怨みず、己を知る者は人を怨みず。人にして愛せざれば則ち仁なる能わず、佞にして巧ならざれば則ち信なる能わず。善を言うに身に及ぶ毋かれ、惡を言うに人に及ぶ毋かれ。上清くして欲無ければ、則ち下正しくして民樸なり。來事は追うべきなり、往事は及ぶべからず。思慮の心無ければ則ち達せず、談說の辭無ければ則ち樂しからず。
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