智囊 / 得情・楊茂清
石埭楊翁生二子,長子之子標,次子死,而婦與僕奸,翁逐之,僕復潛至家,翁不直斥為奸,而比盜撲殺之。時標往青陽為親故壽,僕家謂標實殺之,而翁則訴己當伏辜。當道不聽,竟以坐標,翁屢以訴。清密偵其事,得之。而當道亦以標富,憚於平反。清承檄,則逮青陽與標飲酒者十餘人,隔而訊之,如出一口,乃坐翁收贖而貸標。後三年,道經其家,盡室男女,羅拜於道,且攜一小兒告曰:「此標出禁所生也,非公則楊氏斬矣。」〔馮述評〕又銅陵胡宏緒,韓太守試冠諸生,有一家奴,挈其妻子而逃。宏緒訴媒氏匿之,蹤跡所在,相與執縛之。其奴先是病甚,比送獄,當夕身死。其家亟陳於官,而客戶江西人,其同籍也,紛至為證。御史按部,訴之,輒以下清,清三訊之,曰:「所謂鎖縛者,實以送縣,非私家也,況奴先有病乎?」遂原胡生,會試且迫,夙夜以獄牒上,胡生遂得不坐。是年登賢書,公之辨冤釋滯多類此。
新字:石埭楊翁生二子,長子之子標,次子死,而婦与僕奸,翁逐之,僕復潜至家,翁不直斥為奸,而比盗撲殺之。時標往青陽為親故寿,僕家謂標実殺之,而翁則訴己当伏辜。当道不聴,竟以坐標,翁屡以訴。清密偵其事,得之。而当道亦以標富,憚於平反。清承檄,則逮青陽与標飲酒者十余人,隔而訊之,如出一口,乃坐翁収贖而貸標。後三年,道経其家,尽室男女,羅拝於道,且攜一小児告曰:「此標出禁所生也,非公則楊氏斬矣。」〔馮述評〕又銅陵胡宏緒,韓太守試冠諸生,有一家奴,挈其妻子而逃。宏緒訴媒氏匿之,蹤跡所在,相与執縛之。其奴先是病甚,比送獄,当夕身死。其家亟陳於官,而客戸江西人,其同籍也,紛至為証。御史按部,訴之,輒以下清,清三訊之,曰:「所謂鎖縛者,実以送県,非私家也,況奴先有病乎?」遂原胡生,会試且迫,夙夜以獄牒上,胡生遂得不坐。是年登賢書,公之弁冤釈滞多類此。
書き下し
石埭の楊翁に二子を生む。長子の子は標。次子は死し、其の婦は僕と奸す。翁之を逐う。僕は復た潜かに家に至る。翁は直ちには奸と斥けず、盗に比して撲殺す。時に標は青陽に往きて親故の寿を為す。僕の家は標が実に之を殺せりと謂う。而して翁は己の当に辜に伏すべしと訴う。当道は聴かず、竟に標を以て坐す。翁は屢ば訴う。清、密かに其の事を偵いて之を得たり。而して当道も亦た標の富むを以て、平反を憚る。清は檄を承け、則ち青陽に逮びて標と飲酒せし者十余人を、隔てて之を訊うに、一口より出づるが如し。乃ち翁を収贖に坐し、而して標を貸す。後三年、道に其の家を経るに、尽室の男女、道に羅拝す。且つ一小児を携えて告げて曰く、「此れ標が禁を出でて生みし所なり。公に非ざれば楊氏は斬たれたり」と。〔馮述評〕又た銅陵の胡宏緒、韓太守の試に諸生に冠たり。一家奴有り、其の妻子を挈えて逃ぐ。宏緒、媒氏の之を匿すと訴う。蹤跡の所在を、相与に執縛す。其の奴は先に是れ病み甚だしく、獄に送るに比び、当夕に身死す。其の家、亟かに官に陳ぶ。而して客戸の江西人、其の同籍なるもの、紛至として証と為る。御史、部を按じ、之を訴うるに、輒ち以て清に下す。清は三たび之を訊い、曰く、「所謂鎖縛は、実に以て県に送るなり。私家に非ざるなり。況んや奴は先に病有るをや」と。遂に胡生を原す。会試且に迫らんとするに、夙夜、獄牒を以て上し、胡生は遂に坐せざるを得たり。是の年、賢書に登る。公の冤を弁じ滞を釈くこと、多く此に類す。
現代語訳
石埭の楊翁には二人の息子があった。長男の子が標である。次男は死に、その妻は下男と通じていた。翁はこの嫁を追い出した。下男は再びこっそり家に来た。翁は不倫とは言わず、盗人として打ち殺した。そのとき標は青陽へ出かけ、親戚の祝い事に出ていた。下男の家は、標が殺したのだと主張した。しかし翁は、自分が罪を負うべきだと訴えた。上級の役所は聞き入れず、結局標を罪に問うた。翁は何度も訴えた。楊茂清はひそかに事情を調べて真相をつかんだ。しかし上級の役所も、標が富豪であるために、判決を覆すことをはばかった。楊茂清は命令を受けると、青陽にいて標と酒を飲んでいた十余人を逮捕し、別々に尋問した。すると、供述は一つの口から出たように一致した。そこで翁を贖罪金で処理し、標は許した。三年後、楊茂清が道中その家を通ると、一家の男女がみな道に並んで拝んだ。しかも一人の幼児を連れて言った。「この子は標が牢を出てから生まれた子です。あなた様がいなければ楊氏は絶えていました」と。〔馮夢龍の追記〕また銅陵の胡宏緒は、韓太守の試験で諸生の首席だった。一人の家の奴隷が、妻子を連れて逃げた。胡宏緒は、仲介人がかくまったと訴えた。居場所をつきとめて、みなで捕らえて縛った。その奴隷はもともと病が重く、牢に送る途中、その夜のうちに死んだ。その家は急いで役所に訴えた。そして同じ籍の江西出身の寄留者たちが、次々と証人として出てきた。御史が管内を巡察し、訴えがあるたびに楊茂清に回した。楊茂清は三度尋問して言った。「いわゆる縛ったとは、実は県に送るためで、私的な拘束ではない。まして奴隷には先に病があった」と。こうして胡生を許した。科挙の会試が迫っていたので、昼夜をおかず調書を上に出し、胡生は罪に問われずに済んだ。この年に合格した。楊茂清が冤罪を晴らし、滞った事件を片づけることは、おおむねこのようであった。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』得情・楊茂清楊茂清、直隷貴池の知県に升る。池は大江に浜し、使伝の往来は織るが如し。民は囂訟を好む。茂清、俗に因りて治め、且つ事に遇いて明決なり。時に涇県に王賛なる者有り。青陽の富室周鑒の金を逋り、之を陥れんと欲す。預め一丐婦を購いて之を蓄え、鑒至りて金を索むれば、輒ち婦を殺して鑒を誣う。訊する者は鑒の富むを以て嫌いとし、敢えて為に白らかにする莫し。御史、事を以て郡に下し、郡は清に檄して往きて按ぜしむ。其の獄詞を閲して曰く、「知見は何ぞ里鄰を指さずして、五十里外の麻客を以てするや。賛は既に毆たれて地に暈す。又た何ぞ能く麻客の姓名を弁じ、引きて之が証と為さんや」と。又た云う、「其の妻は賛の背に伏して賛を護る。又た何ぞ能く胸脅を毆ちて死せしめんや」と。已にして乃ち証人を訊うに、稍稍として実を吐く。詰旦に屍所に至り、益ます居民を審らかにするに、則ち賛の門に溝有り、溝に椽を布きて橋と為す。陽りて婦を出して鑒と争わせ、橋より墮ちて死す。賛乃ち語塞がり、鑒は免るるを得たり。
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