智囊 / 經務・沈晦
沈晦除知信州,高宗如揚州,將召為中書舍人。侍御史張守論晦為布衣時事,帝曰:「頃在金營,見其慷慨。士人細行,豈足為終身累耶?」紹興四年,用知鎮江府,兩浙西路安撫使。過行在面對,言「藩帥之兵可用。今沿江千餘里,若今鎮江、建康、太平、池、鄂五郡,各有兵一二萬,以本郡財賦易官田給之,敵至五郡。以舟師守江,步兵守隘,彼難自渡;假使能渡,五郡合擊,敵雖善戰,不能一日破諸城也。若圍五郡,則兵分勢弱,或以偏師綴我大軍南侵,則五郡尾而邀之,敵安能遠去?」時不能用。
新字:沈晦除知信州,高宗如揚州,将召為中書舎人。侍御史張守論晦為布衣時事,帝曰:「頃在金営,見其慷慨。士人細行,豈足為終身累耶?」紹興四年,用知鎮江府,両浙西路安撫使。過行在面対,言「藩帥之兵可用。今沿江千余里,若今鎮江、建康、太平、池、鄂五郡,各有兵一二万,以本郡財賦易官田給之,敵至五郡。以舟師守江,歩兵守隘,彼難自渡;仮使能渡,五郡合撃,敵雖善戦,不能一日破諸城也。若囲五郡,則兵分勢弱,或以偏師綴我大軍南侵,則五郡尾而邀之,敵安能遠去?」時不能用。
書き下し
沈晦、信州に知たるに除せられ、高宗揚州に如き、将に召して中書舎人と為さんとす。侍御史張守、晦が布衣為りし時の事を論ず。帝曰く、「頃、金営に在りて、其の慷慨を見たり。士人の細行、豈に終身の累と為すに足らんや」と。紹興四年、用いて鎮江府に知たらしめ、両浙西路安撫使とす。行在に過りて面対し、言う、「藩帥の兵は用うべし。今、沿江千余里、若し鎮江・建康・太平・池・鄂の五郡をして、各々兵一二万を有たしめ、本郡の財賦を以て官田に易えて之に給せば、敵至らば五郡は舟師を以て江を守り、歩兵は隘を守り、彼は自ら渡り難し。仮使い能く渡るも、五郡合撃せば、敵善く戦うと雖も、一日にして諸城を破る能わざるなり。若し五郡を囲まば、則ち兵分かれ勢い弱まり、或いは偏師を以て我が大軍を綴めて南侵せば、則ち五郡之を尾して邀えん、敵安んぞ遠く去るを能わんや」と。時に用うる能わず。
現代語訳
沈晦は信州の知事に任じられ、高宗が揚州に行幸したとき、中書舎人に召そうとした。侍御史の張守が、沈晦がまだ無位の庶民だったころの行いを取り上げて異を唱えた。帝は言った。「先ごろ金の陣営で、あの者の気概ある振る舞いを見た。士人の些細な行いが、どうして生涯の傷になるだろうか」と。紹興四年、沈晦は鎮江府の知事、両浙西路安撫使に用いられた。行在所に立ち寄って帝に対面し、こう述べた。「地方の将帥の軍は役に立ちます。いま長江沿いは千里余りあり、もし鎮江・建康・太平・池・鄂の五郡に、それぞれ一、二万の兵を持たせ、その郡の税収を官田と引き替えにして兵糧を給すれば、敵が来たとき五郡は水軍で江を守り、歩兵は要害を守りますから、敵は渡りにくくなります。たとえ渡れたとしても、五郡が力を合わせて撃てば、敵がいかに戦上手でも一日で諸城を落とすことはできません。もし五郡を囲めば兵が分かれて勢いが弱まり、あるいは一部の軍で我が大軍を足止めして南へ侵入しても、五郡が後ろから追って迎え撃つので、敵はとても遠くへ去れません」と。当時は採用できなかった。
解説
この章句が説くこと
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