智囊 / 經務・李綱
綱疏經略兩河大要云:河北、河東、國之藩蔽也,料理稍就,然後中原可保,而東南可安。今河東所失者,忻、代、太原、澤、潞、汾、晉,餘郡尚存也;河北所失者,不過真定、懷、衛、濬四州而已,其餘三十餘郡,皆為朝廷守。兩路士民兵將,戴宋甚堅,皆推豪傑以為首領,多者數萬,少亦不下萬人。朝廷不因此時置司遣使,以大撫慰而援其危,臣恐糧盡力疲,危迫無告,憤怨必生,金人因得撫而用之,皆精兵也,莫若於河北置招撫司,河東置經制司,擇有材略如張所、傅亮者為之,使宣諭天子不忍棄兩河於敵國之意,有能全一州復一郡者,即如唐藩鎮之制,使自為守。如此,則不唯絕其從敵之心,又可資其禦敵之力。最今日先務。李綱當金人圍城死守時,有京師不逞之徒乘機殺傷內侍,取其金帛,而以所藏器甲弓劍納官請功。綱命集守禦使司,以次納訖,凡二十餘人,各言姓名,皆斬之。並斬殺傷部隊將者二十餘人,及盜衲襖一領者,強取婦人絹一匹者,妄斲傷平民者,皆即以徇。故外有強敵月餘日,而城中竊盜無有也。
新字:綱疏経略両河大要云:河北、河東、国之藩蔽也,料理稍就,然後中原可保,而東南可安。今河東所失者,忻、代、太原、沢、潞、汾、晋,余郡尚存也;河北所失者,不過真定、懐、衛、濬四州而已,其余三十余郡,皆為朝廷守。両路士民兵将,戴宋甚堅,皆推豪傑以為首領,多者数万,少亦不下万人。朝廷不因此時置司遣使,以大撫慰而援其危,臣恐糧尽力疲,危迫無告,憤怨必生,金人因得撫而用之,皆精兵也,莫若於河北置招撫司,河東置経制司,択有材略如張所、傅亮者為之,使宣諭天子不忍棄両河於敵国之意,有能全一州復一郡者,即如唐藩鎮之制,使自為守。如此,則不唯絶其従敵之心,又可資其禦敵之力。最今日先務。李綱当金人囲城死守時,有京師不逞之徒乗機殺傷内侍,取其金帛,而以所蔵器甲弓剣納官請功。綱命集守禦使司,以次納訖,凡二十余人,各言姓名,皆斬之。並斬殺傷部隊将者二十余人,及盗衲襖一領者,強取婦人絹一匹者,妄斲傷平民者,皆即以徇。故外有強敵月余日,而城中窃盗無有也。
書き下し
綱の疏して両河を経略する大要に云う、河北、河東は国の藩蔽なり。料理して稍や就けば、然る後に中原は保つ可く、東南も安んず可し。今、河東の失う所は、忻、代、太原、澤、潞、汾、晋にして、余郡は尚お存するなり。河北の失う所は、真定、懐、衛、濬の四州に過ぎざるのみにして、其の余の三十余郡は、皆な朝廷の為に守る。両路の士民兵将は、宋を戴くこと甚だ堅く、皆な豪傑を推して以て首領と為し、多き者は数万、少なきも亦た万人を下らず。朝廷は此の時に因りて司を置き使を遣わし、以て大いに撫慰して其の危うきを援けず、臣は糧尽き力疲れ、危迫して告ぐる無く、憤怨の必ず生じ、金人は因りて撫して之を用い、皆な精兵ならんことを恐る。河北に招撫司を置き、河東に経制司を置き、材略有る張所、傅亮の如き者を択びて之と為し、天子は両河を敵国に棄つるに忍びざるの意を宣諭せしめ、能く一州を全くし一郡を復する者有らば、即ち唐の藩鎮の制の如く、自ら守りを為さしむるに如くは莫し。此の如くせば、則ち唯だ其の敵に従うの心を絶つのみならず、又た其の敵を禦ぐの力を資す可し。最も今日の先務なり。李綱は金人の城を囲むも死守せし時に当たり、京師の不逞の徒の機に乗じて内侍を殺傷し、其の金帛を取り、而して蔵する所の器甲弓剣を以て官に納めて功を請う者有り。綱は集めて守禦使司に命じ、次を以て納め訖わらしめ、凡そ二十余人、各おの姓名を言わしめ、皆な之を斬る。並びに部隊の将を殺傷せし者二十余人、及び衲襖一領を盗みし者、強いて婦人の絹一匹を取りし者、妄りに平民を斲り傷つけし者、皆な即ち以て徇う。故に外に強敵有ること月余日なるも、城中に竊盗は有ること無し。
現代語訳
李綱が上奏して河北・河東を経略する大要を述べた。河北と河東は国の防壁である。処理が少し進めば、そのあとで中原を保つことができ、東南も安んじられる。いま河東で失ったのは、忻・代・太原・澤・潞・汾・晋であり、他の郡はまだ残っている。河北で失ったのは、真定・懐・衛・濬の四州にすぎず、その他の三十余郡は、みな朝廷のために守っている。両路の士民・兵・将は、宋を戴く気持ちが非常に堅く、みな豪傑を推して首領とし、多いところは数万、少なくても一万を下らない。朝廷がこの時に機関を設け使者を遣わして、大いに慰撫してその危うさを救わなければ、私は、食糧が尽き力が疲れ、追いつめられて訴える場もなく、怒りと恨みが必ず生じ、金人がそれをなだめて用いることを恐れる。そうなれば彼らはみな精兵である。河北に招撫司を置き、河東に経制司を置き、才略のある張所や傅亮のような者を選んでそれに充て、天子が両河を敵国に捨てるに忍びない意向を宣べ伝えさせ、一州を保全したり一郡を回復したりできる者があれば、唐の藩鎮の制のように、自ら守らせるのがよい。こうすれば、彼らが敵に従う心を断てるだけでなく、敵を防ぐ力を借りることもできる。これが今日の最優先の務めである。李綱は金人が城を囲んだとき死守する中で、都の不逞の徒が機に乗じて宦官を殺傷し、その金品を奪い、さらに隠していた武具や弓剣を官に納めて功を請う者があった。綱は守禦使司に命じて集め、順に納め終わらせ、全部で二十余人、各自に姓名を言わせ、みな斬った。あわせて部隊の将を殺傷した者二十余人、および綿入れの上着一着を盗んだ者、無理に婦人の絹一匹を奪った者、勝手に平民を傷つけた者も、みなすぐに見せしめにした。だから外に強敵がいること一か月余りであったが、城中には窃盗がなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』善言・李綱李綱、張所を用いんと欲す。然れども所は嘗て宰相黄潜善を論ず、綱頗る之を難しとす。一日潜善に遇い、款語して曰く、「今は当に艱難の秋にして、天下の重責を負うも、四方の士大夫、号召して未だ来る者有らず。前に河北宣撫司を置かんと議せしとき、独り一張所のみ用うべし。又た狂妄にして言有るを以て罪を得たり。所の罪の如きは、孰か宜しからずと謂わん。第だ今日勢い迫り、試みに之を用いざるを得ず。如し用いて以て台諫と為し、要地に処らしめば則ち不可なり。之をして官を借りて招撫と為し、死を冒して功を立てて以て過ちを贖わしむるは、嫌無きに似たり」と。潜善欣然として之を許す。
-
『智囊』億中・李泌・李絳李絳、唐の憲宗の朝に在りて、魏博の田季安死し、子の懐諫弱きに値う。李吉甫、兵を興して之を討たんことを請う。絳は以為らく、魏博は必ずしも兵を用いず、当に自ら朝廷に帰すべしと。吉甫、盛んに兵を用いざるべからざるの状を陳ぶ。絳曰く、「臣、竊かに両河の藩鎮の跋扈する者を観るに、皆兵を分かちて以て諸将に隷し、専ら一人に在らしめず。其の権任太だ重くして、間に乗じて己を謀るを恐るるが故なり。諸将は勢い均しく力敵し、相い制する能わず。広く相い連結せんと欲すれば、則ち衆心同じからずして、其の謀は必ず泄る。独り起こりて変を為さんと欲すれば、則ち兵少なく力微にして、勢い必ず成らず。跋扈する者は此れを恃みて以て長策と為す。然れども臣、竊かに之を思うに、若し常に厳明の主帥の、能く諸将の死命を制する者を得て以て之に臨まば、則ち粗ぼ自ら図ること能わん。今、懐諫は乳臭の子にして、自ら聴断する能わず、軍府の大権は、必ず帰する所有らん。諸将の厚薄均しからざれば、怨怒必ず起こる。然らば則ち向日の兵を分かつの策は、適に今日の禍乱の階と為るに足る。田氏は屠肆と為らずんば、則ち悉く俘囚とならん、何ぞ天兵を煩わさんや。但だ願わくは陛下兵を按じて威を養い、諸道に厳敕して、士馬を選びて以て後効を観、賊中をして之を知らしめば、数月に過ぎずして、必ず軍中に自ら効す者有らん。時に至らば、唯だ朝廷の応ずること敏速にして、其の機会に中り、爵禄を愛まずして以て其の人を賞するに在り、両河の藩鎮をして其の麾下の聞きて之に效いて以て朝廷の賞を取らんことを恐れしめば、亦た恐懼して恭慎と為らん。此れ所謂不戦にして人の兵を屈する者なり」と。
-
『智囊』武案・李綱李綱云う、古は五・両・卒・旅より、積みて二千五百人に至りて師と為し、又た積みて一万二千五百人に至りて軍と為す。其の将・帥・正・長は皆な素より具わる。故に平居の恩威は以て相い服するに足り、行陣の節制は以て相い使うに足る。身の臂を運らし、臂の指を使うが若く、可ならざる無し。能く敵を禦ぎて功を成す所以なり。今宜しく古に法るべし。五人を伍と為し、中に一人を択びて伍長と為す。五伍を甲と為し、別に一人を選びて甲正と為す。四甲を隊と為し、隊将の正副二人有り。五隊を一部と為し、部将の正副二人有り。五部を軍と為し、正副の統制官有り。統制官を節制する都統有り、都統を節制する大帥有り。皆な平時に選定し、閑居には則ち閲習し、故有れば則ち出でて戦う。特だ兵将の以て相い識る有るのみならず、恩威も亦た以て相い服する有り。又た賞功司を置き、凡そ士卒に功有れば、即時に推賞す。後に不実有れば、保する所の将帥に坐す。其の敗将・逃卒は必ず誅し、陣に臨みて敵に死する者は、主帥の罰を寛にし、必ず実を以て告げしめて之を優恤す。又た首級を納めて功を計るの法、議すべき者有り。選鋒精騎の如き、陣を陥れ敵を卻く。神臂弓・強弩勁弓の賊を数百歩の外より射る、豈に首級を斬るを以て責むべけんや。此の類は、宜しく将帥をして保明せしめ、全軍にて推賞すべし。〔評〕其の法は《管子》に本づく。但だ彼は軍令を内政に寄す。猶お是れ「井田」の遺意なり。此れは則ち長征を訓練するもの、尤も今日の治兵第一の務めなり。
-
『智囊』經務・汪立信・文天祥北人南侵し、文天祥疏を上りて言う、「朝廷は姑息牽制の意多く、奮発剛断の意少なし。乞う、師孟を斬りて鼓に釁り、以て将士の気を作せ」と。且つ言う、「宋は五季の乱に懲り、藩鎮を削り、邑郡を建て、一時は以て尾大の弊を矯むるに足ると雖も、然れども国は変を以て弱まり、故に敵一州に至れば則ち一州破れ、一県に至れば則ち一県残われ、中原陸沈す。痛悔何ぞ及ばん。今宜しく天下を分かちて四鎮と為し、都督を建てて其の中に統御せしむべし。広西を以て湖広に益し、閫を長沙に建つ。広東を以て江西に益し、閫を隆興に建つ。福建を以て江東に益し、閫を番陽に建つ。淮西を以て淮東に益し、閫を揚州に建つ。長沙には鄂を取らしめ、隆興には蘄・黄を取らしめ、番陽には江東を取らしめ、揚州には両淮を取らしむ。其の地をして大きく力をして衆からしめ、以て敵に抗するに足らしめ、日を約して斉しく奮い、進む有りて退く無く、日夜之を図らしめば、彼は備え多く力分かれ、奔命に疲れん。而して吾が民の豪傑なる者、又た間を伺いて其の中より出でん。此の如くんば、則ち敵を却くること難からず」と。〔馮評〕靖康に李綱有るも用いず、而して黄潜善・江伯彦を用う。咸淳に汪立信有るも用いず、而して賈似道を用う。徳祐に文天祥有るも用いず、而して陳宜中を用う。然れば則ち宋は金に衰えず、自ら衰うるなり。元に亡びず、自ら亡ぶるなり。
-
『智囊』武案・李綱李綱、戦車を造らんことを請いて曰く、「虜は鉄騎を以て中国に勝つ。其の説に三有り。而して車に非ざれば以て之を制するに足らず。歩兵は其の馳突に当たるに足らざること、一なり。車を用うれば則ち馳突は御ぐべく、騎兵・馬も之に如かざること、二なり。車を用うれば則ち騎兵は後に在り、便を度りて乃ち出ず。戦卒は怯多く、敵を見て輒ち潰ゆれば、長技有りと雖も、施すを得ざること、三なり。車を用うれば則ち人に依る所有り、其の力を施すべし。部伍に束ぬる有り、逃るるを得ず。則ち車の以て勝を制すること明らかなり。
-
『智囊』不戰・李愬岳侯の楊么を平らげ、李愬の元済に克つは、一として才を敵に資らざるなく、また威信素より孚し、操縦手にあるに由るなり。後人は漫然としてこれに学べば、敵の間に墮ちざること鮮し。岑彭、費禕はその身を亡ぼし、俱に降人に刺殺せらる。曹瞞、苻堅はその師を亡ぼす。赤壁の役に、操は黄蓋の降を信じて以て敗れ、淝水の戦に、降将朱序は晋に帰せんことを謀り、陰に晋を導いて秦を敗る。彼は皆兵事に老いたる者なるも、なお此くの如し。慎まざるべけんや。李愬の蔡を襲わんとするや、旧令に敢えて諜を舍く者は族す。愬はその令を刊して、一切これを撫す。故に諜者は反って情を効し、愬は益々賊の虚実を悉くす。〔述評〕よく諜を用うれば、諜を舍くを妨げず。然れども必ず先に諜を知りて、方によく諜を用う。必ずよく民をして諜を隠さざらしめて、方によく諜を知る。必ず恩威もて以て民を服せしめて、方によく民をして諜を隠さざらしむ。ああ、言い難し。近ごろ邑宰あり、急に盗を弭めんと欲し、諸盗は往々にして妓家に獲らるるを謂い、必ず妓を駆りて境を出ださしめ、乃ち盗藪を清めんとす。それ妓家が果たして盗を藪とせば、正に留めて以て捕役の耳目の径と為すべし。もし境外に藪とせば、境内に藪とするといずれか愈れるか。仮に盗が民家に藪とすれば、また尽く民を駆らんとするか。深く捕役の督を厳しくせずして、盗の藪なきを求むるは、これ無策の甚だしきなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る