智囊 / 億中・李泌・李絳
李絳在唐憲宗朝,值魏博田季安死,子懷諫弱,李吉甫請興兵討之。絳以為魏博不必用兵,當自歸朝廷。吉甫盛陳不可不用兵之狀。絳曰:「臣竊觀兩河藩鎮之跋扈者,皆分兵以隸諸將,不使專在一人,恐其權任太重,乘間而謀已故也。諸將勢均力敵,莫能相制;欲廣相連結,則眾心不同,其謀必泄;欲獨起為變,則兵少力微,勢必不成--跋扈者恃此以為長策。然臣竊思之,若常得嚴明主帥,能制諸將之死命者以臨之,則粗能自圖矣。今懷諫乳臭子,不能自聽斷,軍府大權,必有所歸;諸將厚薄不均,怨怒必起。然則向日分兵之策,適足為今日禍亂之階也。田氏不為屠肆,則悉為俘囚矣,何煩天兵哉?但願陛下按兵養威,嚴敕諸道,選士馬以觀後效,使賊中知之,不過數月,必有自效於軍中者。至時,唯在朝廷應之敏速,中其機會,不愛爵祿以賞其人,使兩河藩鎮恐其麾下聞而效之以取朝廷之賞,亦恐懼為恭慎矣,此所謂不戰而屈人兵者也。」
新字:李絳在唐憲宗朝,値魏博田季安死,子懐諫弱,李吉甫請興兵討之。絳以為魏博不必用兵,当自帰朝廷。吉甫盛陳不可不用兵之状。絳曰:「臣窃観両河藩鎮之跋扈者,皆分兵以隸諸将,不使専在一人,恐其権任太重,乗間而謀已故也。諸将勢均力敵,莫能相制;欲広相連結,則衆心不同,其謀必泄;欲独起為変,則兵少力微,勢必不成--跋扈者恃此以為長策。然臣窃思之,若常得厳明主帥,能制諸将之死命者以臨之,則粗能自図矣。今懐諫乳臭子,不能自聴断,軍府大権,必有所帰;諸将厚薄不均,怨怒必起。然則向日分兵之策,適足為今日禍乱之階也。田氏不為屠肆,則悉為俘囚矣,何煩天兵哉?但願陛下按兵養威,厳勅諸道,選士馬以観後効,使賊中知之,不過数月,必有自効於軍中者。至時,唯在朝廷応之敏速,中其機会,不愛爵禄以賞其人,使両河藩鎮恐其麾下聞而効之以取朝廷之賞,亦恐懼為恭慎矣,此所謂不戦而屈人兵者也。」
書き下し
李絳、唐の憲宗の朝に在りて、魏博の田季安死し、子の懐諫弱きに値う。李吉甫、兵を興して之を討たんことを請う。絳は以為らく、魏博は必ずしも兵を用いず、当に自ら朝廷に帰すべしと。吉甫、盛んに兵を用いざるべからざるの状を陳ぶ。絳曰く、「臣、竊かに両河の藩鎮の跋扈する者を観るに、皆兵を分かちて以て諸将に隷し、専ら一人に在らしめず。其の権任太だ重くして、間に乗じて己を謀るを恐るるが故なり。諸将は勢い均しく力敵し、相い制する能わず。広く相い連結せんと欲すれば、則ち衆心同じからずして、其の謀は必ず泄る。独り起こりて変を為さんと欲すれば、則ち兵少なく力微にして、勢い必ず成らず。跋扈する者は此れを恃みて以て長策と為す。然れども臣、竊かに之を思うに、若し常に厳明の主帥の、能く諸将の死命を制する者を得て以て之に臨まば、則ち粗ぼ自ら図ること能わん。今、懐諫は乳臭の子にして、自ら聴断する能わず、軍府の大権は、必ず帰する所有らん。諸将の厚薄均しからざれば、怨怒必ず起こる。然らば則ち向日の兵を分かつの策は、適に今日の禍乱の階と為るに足る。田氏は屠肆と為らずんば、則ち悉く俘囚とならん、何ぞ天兵を煩わさんや。但だ願わくは陛下兵を按じて威を養い、諸道に厳敕して、士馬を選びて以て後効を観、賊中をして之を知らしめば、数月に過ぎずして、必ず軍中に自ら効す者有らん。時に至らば、唯だ朝廷の応ずること敏速にして、其の機会に中り、爵禄を愛まずして以て其の人を賞するに在り、両河の藩鎮をして其の麾下の聞きて之に效いて以て朝廷の賞を取らんことを恐れしめば、亦た恐懼して恭慎と為らん。此れ所謂不戦にして人の兵を屈する者なり」と。
現代語訳
李絳は唐の憲宗の時代に仕え、魏博の田季安が死に、その子の懐諫が幼弱であった。李吉甫は兵を起こして討つことを願ったが、絳は、魏博は必ずしも兵を使わなくても、自ら朝廷に帰順するだろうと考えた。吉甫は兵を用いねばならない状況を熱心に述べた。絳は言った。「私がひそかに両河の藩鎮の傲慢な者たちを観察しますと、みな兵を分けて諸将に属させ、一人に権力が集中しないようにしています。権力が重くなりすぎると、隙をついて自分に背くのを恐れるからです。諸将は勢いが均しく力が拮抗していて、互いを制することができません。広く連携しようとすれば、人々の心が同じでないため、謀議は必ず漏れます。単独で変事を起こそうとすれば、兵が少なく力が弱く、事は成りません。傲慢な者たちはこれを頼みとして長期の策としています。しかし私がひそかに考えるに、もし厳格で聡明な主帥が諸将の生死を握って臨めば、ほぼ自ら事を図れるでしょう。今、懐諫は乳臭い子供で、自ら裁決できず、軍府の大権は必ずどこかに移ります。諸将への待遇が不均等になれば、怨みや怒りが必ず起こります。そうなれば、かつて兵を分けた策は、今日の禍乱のきっかけとなるに足ります。田氏は屠殺場の家畜となるか、あるいはことごとく捕虜となるでしょう。どうして朝廷の軍勢を煩わせる必要がありましょう。ただ願うのは、陛下が兵を抑えて威勢を養い、諸道に厳しく命じて兵馬を選び、のちの効果を観察し、賊中に知らせることです。数か月もたたないうちに、必ず軍中に自ら功を立てる者が現れるでしょう。そのとき朝廷が素早く応じて機会を捉え、爵位や俸禄を惜しまずその人を賞すれば、両河の藩鎮は、配下がそれを聞いて倣い朝廷の賞を得ようとするのを恐れ、恐れて慎み深くなるでしょう。これこそ戦わずして敵の兵を屈する、というものです」。
解説
この章句が説くこと
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