智囊 / 經務・康伯可
建炎中,大駕駐維揚,康伯可上「中興十策」:一請皇帝設壇,與群臣六軍縞素戎服,以必兩宮之歸;二請移蹕關中,治兵積粟,號召兩河,為雪恥計,東南不足立事;三請略去常制,為「馬上治」,用漢故事,選天下英俊日侍左右,講究天下利病,通達外情;四請河北未陷州郡,朝廷不復置吏,詔土人自相推擇,各保鄉社,以兩軍屯要害為聲援,滑州置留府,通接號令;五請刪內侍、百司、州縣冗員,文書務簡,以省財便事;六請大赦,與民更始,前事一切不問。不限文武,不次登用,以收人心;七請北人避胡,挈郡邑南來以從吾君者,其首領皆豪傑,當待之以將帥,不可指為盜賊;八請增損保甲之法,團結山東、京東、兩淮之民,以備不虞;九請講求漢、唐漕運,江淮道途置使,以餽關中;十請許天下直言便宜,州郡即日繳奏,置籍親覽,以廣豪傑進用之路。宰相汪、黃輩不能用,惜哉!〔馮按〕康伯可後來附會賊檜,擢為台郎,兩宮宴樂,專應制為歌詞,名節掃地矣!然此《十策》正大的確,雖李伯紀、趙元鎮未或過也,可以人廢言乎?
新字:建炎中,大駕駐維揚,康伯可上「中興十策」:一請皇帝設壇,与群臣六軍縞素戎服,以必両宮之帰;二請移蹕関中,治兵積粟,号召両河,為雪恥計,東南不足立事;三請略去常制,為「馬上治」,用漢故事,選天下英俊日侍左右,講究天下利病,通達外情;四請河北未陥州郡,朝廷不復置吏,詔土人自相推択,各保郷社,以両軍屯要害為声援,滑州置留府,通接号令;五請刪内侍、百司、州県冗員,文書務簡,以省財便事;六請大赦,与民更始,前事一切不問。不限文武,不次登用,以収人心;七請北人避胡,挈郡邑南来以従吾君者,其首領皆豪傑,当待之以将帥,不可指為盗賊;八請增損保甲之法,団結山東、京東、両淮之民,以備不虞;九請講求漢、唐漕運,江淮道途置使,以餽関中;十請許天下直言便宜,州郡即日繳奏,置籍親覧,以広豪傑進用之路。宰相汪、黄輩不能用,惜哉!〔馮按〕康伯可後来附会賊檜,擢為台郎,両宮宴楽,専応制為歌詞,名節掃地矣!然此《十策》正大的確,雖李伯紀、趙元鎮未或過也,可以人廃言乎?
書き下し
建炎中、大駕は維揚に駐し、康伯可は「中興十策」を上る。一に曰く、皇帝に請うて壇を設け、群臣六軍と縞素戎服して、以て両宮の帰るを必せん。二に曰く、請う蹕を関中に移し、兵を治め粟を積み、両河に号召して、雪恥の計を為せ、東南は事を立つるに足らず。三に曰く、請う常制を略去して、「馬上の治」を為し、漢の故事を用い、天下の英俊を選びて日に左右に侍らしめ、天下の利病を講究して、外情に通達せよ。四に曰く、請う河北の未だ陥ちざる州郡には、朝廷は復た吏を置かず、土人に詔して自ら相い推擇し、各おの郷社を保ち、両軍を以て要害に屯して声援と為し、滑州に留府を置きて号令を通接せよ。五に曰く、請う内侍、百司、州県の冗員を刪り、文書は簡を務め、以て財を省き事を便にせよ。六に曰く、請う大赦して、民と更始し、前事は一切問わず。文武を限らず、不次に登用して、以て人心を収めよ。七に曰く、請う北人の胡を避け、郡邑を挈えて南来し以て吾が君に従う者、其の首領は皆な豪傑なれば、当に之を待つに将帥を以てし、指して盗賊と為す可からず。八に曰く、請う保甲の法を増損し、山東、京東、両淮の民を団結して、以て不虞に備えよ。九に曰く、請う漢、唐の漕運を講求し、江淮の道途に使を置き、以て関中に餽れ。十に曰く、請う天下に直言便宜を許し、州郡は即日に繳奏し、籍を置きて親ら覧て、以て豪傑進用の路を広めよ。宰相の汪、黄の輩は用うる能わず、惜しいかな。〔馮按〕康伯可は後に賊檜に附会し、擢でられて台郎と為り、両宮の宴楽に、専ら応制して歌詞を為り、名節地を掃う。然れども此の『十策』は正大にして的確、李伯紀、趙元鎮と雖も未だ或いは過ぎざるなり。人を以て言を廃す可けんや。
現代語訳
建炎年間、皇帝の車駕が維揚に駐まっていたとき、康伯可は「中興十策」を奉った。第一に、皇帝に壇を設けていただき、群臣と六軍とともに白い喪服と軍服を着て、二人の上皇(徽宗・欽宗)の帰還を必ず実現することを誓うこと。第二に、皇帝の行在を関中に移し、兵を鍛え食糧を蓄え、両河(河北・河東)に号令して、恥をそそぐ計画を立てること。東南では事業を立てるのに足りない。第三に、通常の制度を省いて「馬上の政治」を行い、漢の故事に倣い、天下の英才を選んで毎日側に仕えさせ、天下の利害を究めて、外の事情に通じること。第四に、河北のまだ陥落していない州郡には、朝廷はもはや役人を置かず、土地の人に詔して自ら推挙させ、それぞれ郷里を守らせ、二つの軍を要害に駐屯させて援護とし、滑州に留守の役所を置いて命令を連絡すること。第五に、宦官、各役所、州県の余剰人員を削り、文書は簡単にして、財政を節約し事務を便利にすること。第六に、大赦を行い、民と改めて出直し、過去のことは一切問わず、文官武官を問わず順序を超えて登用し、人心を収めること。第七に、北の人で異民族を避けて、郡や邑をひきつれて南に来て我が君に従った者については、その首領はみな豪傑であるから、将帥として待遇すべきで、盗賊とみなしてはならないこと。第八に、保甲の法を増減して、山東・京東・両淮の民を結束させ、不測の事態に備えること。第九に、漢・唐の漕運を研究し、江淮の道筋に使者を置いて、関中に物資を送ること。第十に、天下に直言と便宜策を許し、州郡は即日上奏し、帳簿を置いて皇帝が自ら見て、豪傑を登用する道を広げること。宰相の汪伯彦・黄潜善らは用いることができなかった。惜しいことである。〔馮夢龍の按語〕康伯可は後に悪人の秦檜に取り入り、抜擢されて台郎となり、二人の上皇の宴席で、専ら命に応じて歌詞を作り、名誉と節操は地に落ちた。しかしこの『十策』は正大で的確であり、李伯紀(李綱)や趙元鎮(趙鼎)でも、これを超えることはなかっただろう。人によってその言を捨ててよいものだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著哲宗即位す。公邇英の侍讀と爲る。始めて至りて上言して曰く、人君即位の始めは當に始めを正して以て天下を正し、德を修めて以て百姓を安んずべし。德を修むるの要は學より先なるは莫し。學に緝熙して光明に、日に新たに又た新たにして以て大治に至るは學の力なり。臣講讀に罪を待つ。謹んで十議を條上して以て聰明に禆せん。一に曰く天を畏る、二に曰く民を愛す、三に曰く身を修む、四に曰く學を講ず、五に曰く賢に任ず、六に曰く諫を納る、七に曰く歛を薄くす、八に曰く奢を去る、九に曰く刑を省く、十に曰く逸する無かれと。居ること月餘、執政を除せられ遂に倚りて以て相と爲す。其の薄歛を論ずるの略に曰く、昔鹿臺の財、鉅橋の粟は、商紂之を聚めて以て國を喪い、武王之を散じて以て民を得たり。是に由りて之を觀れば、人主は當に仁義を務むべきのみ。何ぞ必ずしも利と曰わんと。君と爲るの道、幾ど此の十篇を出づる無し。以て人君の座右銘と爲す可し。
-
『宋名臣言行録』前集巻九・王禹偁諫官と爲り、禦戎十策を上る。大旨、以謂えらく、外は人に任じ内は徳を修めば則ち以て之を弭む可し。外は則ち兵勢を合わせて以て將權を重くし、小臣の邉事を詗邏するを罷め、間諜を行いて以て其の心を離し、保忠・御卿を遣わして所部を率いて以て掎角を張り、詔を下して邉人を感勵す。燕薊の舊疆を取るは、葢し晉の遺民を弔うにして、其の土地を貪るに非ず。内は則ち官を省きて以て經費を寛くし、文士を抑えて以て武夫を激し、大臣を信用して以て其の謀に資し、虚名を貴ばずして以て旡益を戒め、游惰を禁じて以て民力を厚くすと。端拱の冬、旱す。公、疏を上りて用を節し費を省き、賦を薄くし刑を緩くせんことを請う。
-
『智囊』遠猶・陳瓘徽宗の初め、紹聖の弊を革めて以て靖国せんと欲し、是に於いて大いに言路を開く。衆議は瑤華の復位、司馬光らの叙官を以て当に先とすべき所と為す。陳瓘、時に諫省に在りて、独り以為えらく、「母后を幽廃し、故相を追貶するは、彼は皆な名を立てて以て行う、細故に非ざるなり。今、正復せんと欲せば、当に先ず誣罔を辨明し、非辜を昭雪し、造意の人を誅責し、然る後に詔を発し、礼を以て之を行うべし。庶わくは後患無からん。宜しく速やかならんことを欲して悔を貽すべからず」と。朝議は公論の久しく鬱せしを以て、速やかに人情を快くせんことを欲し、遽かに之を施行す。崇寧の間に至り、蔡京事を用い、悉く建中の政を改む。人皆な公の遠識に服す。
-
『智囊』經務・汪立信・文天祥北人南侵し、文天祥疏を上りて言う、「朝廷は姑息牽制の意多く、奮発剛断の意少なし。乞う、師孟を斬りて鼓に釁り、以て将士の気を作せ」と。且つ言う、「宋は五季の乱に懲り、藩鎮を削り、邑郡を建て、一時は以て尾大の弊を矯むるに足ると雖も、然れども国は変を以て弱まり、故に敵一州に至れば則ち一州破れ、一県に至れば則ち一県残われ、中原陸沈す。痛悔何ぞ及ばん。今宜しく天下を分かちて四鎮と為し、都督を建てて其の中に統御せしむべし。広西を以て湖広に益し、閫を長沙に建つ。広東を以て江西に益し、閫を隆興に建つ。福建を以て江東に益し、閫を番陽に建つ。淮西を以て淮東に益し、閫を揚州に建つ。長沙には鄂を取らしめ、隆興には蘄・黄を取らしめ、番陽には江東を取らしめ、揚州には両淮を取らしむ。其の地をして大きく力をして衆からしめ、以て敵に抗するに足らしめ、日を約して斉しく奮い、進む有りて退く無く、日夜之を図らしめば、彼は備え多く力分かれ、奔命に疲れん。而して吾が民の豪傑なる者、又た間を伺いて其の中より出でん。此の如くんば、則ち敵を却くること難からず」と。〔馮評〕靖康に李綱有るも用いず、而して黄潜善・江伯彦を用う。咸淳に汪立信有るも用いず、而して賈似道を用う。徳祐に文天祥有るも用いず、而して陳宜中を用う。然れば則ち宋は金に衰えず、自ら衰うるなり。元に亡びず、自ら亡ぶるなり。
-
『智囊』識斷・周瑜・寇準・陳康伯金主亮、南侵し、王権の師、昭関に潰え、帝、楊存中に命じて陳康伯に就きて議せしめ、海に航して敵を避けんと欲す。康伯、これを延き入れ、衣を解き酒を置く。帝これを聞き、已に自ら寛ぐ。明日、康伯入りて奏して曰く、「聞くならく、陛下に海に幸し閩に趨かんことを勧むる者有りと。審らかに爾らば、大事去らん。盍ぞ静かにして以てこれを待たざる」と。一日、帝忽ち手詔を降して曰く、「如し敵未だ退かずんば、百官を散ぜよ」と。康伯、詔を焚きて而る後に奏して曰く、「百官散ぜば、主の勢い孤なり」と。帝の意始めて堅し。康伯乃ち帝に親征を勧む。〔馮評〕魏を遅らせし帝者は、一の周瑜なり。宋を保ちし帝者は、一の寇準なり。宋を延ばしし帝者は、一の陳康伯なり。
-
『智囊』經務・李綱綱の疏して両河を経略する大要に云う、河北、河東は国の藩蔽なり。料理して稍や就けば、然る後に中原は保つ可く、東南も安んず可し。今、河東の失う所は、忻、代、太原、澤、潞、汾、晋にして、余郡は尚お存するなり。河北の失う所は、真定、懐、衛、濬の四州に過ぎざるのみにして、其の余の三十余郡は、皆な朝廷の為に守る。両路の士民兵将は、宋を戴くこと甚だ堅く、皆な豪傑を推して以て首領と為し、多き者は数万、少なきも亦た万人を下らず。朝廷は此の時に因りて司を置き使を遣わし、以て大いに撫慰して其の危うきを援けず、臣は糧尽き力疲れ、危迫して告ぐる無く、憤怨の必ず生じ、金人は因りて撫して之を用い、皆な精兵ならんことを恐る。河北に招撫司を置き、河東に経制司を置き、材略有る張所、傅亮の如き者を択びて之と為し、天子は両河を敵国に棄つるに忍びざるの意を宣諭せしめ、能く一州を全くし一郡を復する者有らば、即ち唐の藩鎮の制の如く、自ら守りを為さしむるに如くは莫し。此の如くせば、則ち唯だ其の敵に従うの心を絶つのみならず、又た其の敵を禦ぐの力を資す可し。最も今日の先務なり。李綱は金人の城を囲むも死守せし時に当たり、京師の不逞の徒の機に乗じて内侍を殺傷し、其の金帛を取り、而して蔵する所の器甲弓剣を以て官に納めて功を請う者有り。綱は集めて守禦使司に命じ、次を以て納め訖わらしめ、凡そ二十余人、各おの姓名を言わしめ、皆な之を斬る。並びに部隊の将を殺傷せし者二十余人、及び衲襖一領を盗みし者、強いて婦人の絹一匹を取りし者、妄りに平民を斲り傷つけし者、皆な即ち以て徇う。故に外に強敵有ること月余日なるも、城中に竊盗は有ること無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る