智囊 / 遠猶・陳瓘
徽宗初,欲革紹聖之弊以靖國,於是大開言路。眾議以瑤華復位、司馬光等敘官為所當先。陳瓘時在諫省,獨以為「幽廢母后、追貶故相,彼皆立名以行,非細故也,今欲正復,當先辨明誣罔,昭雪非辜,誅責造意之人,然後發詔,以禮行之,庶無後患,不宜欲速貽悔。」朝議以公論久鬱,速欲取快人情,遽施行之。至崇寧間,蔡京用事,悉改建中之政,人皆服公遠識。
新字:徽宗初,欲革紹聖之弊以靖国,於是大開言路。衆議以瑤華復位、司馬光等敘官為所当先。陳瓘時在諫省,独以為「幽廃母后、追貶故相,彼皆立名以行,非細故也,今欲正復,当先弁明誣罔,昭雪非辜,誅責造意之人,然後発詔,以礼行之,庶無後患,不宜欲速貽悔。」朝議以公論久鬱,速欲取快人情,遽施行之。至崇寧間,蔡京用事,悉改建中之政,人皆服公遠識。
書き下し
徽宗の初め、紹聖の弊を革めて以て靖国せんと欲し、是に於いて大いに言路を開く。衆議は瑤華の復位、司馬光らの叙官を以て当に先とすべき所と為す。陳瓘、時に諫省に在りて、独り以為えらく、「母后を幽廃し、故相を追貶するは、彼は皆な名を立てて以て行う、細故に非ざるなり。今、正復せんと欲せば、当に先ず誣罔を辨明し、非辜を昭雪し、造意の人を誅責し、然る後に詔を発し、礼を以て之を行うべし。庶わくは後患無からん。宜しく速やかならんことを欲して悔を貽すべからず」と。朝議は公論の久しく鬱せしを以て、速やかに人情を快くせんことを欲し、遽かに之を施行す。崇寧の間に至り、蔡京事を用い、悉く建中の政を改む。人皆な公の遠識に服す。
現代語訳
徽宗の初め、紹聖年間の弊害を改めて国を安定させようと考え、そこで大いに言論の道を開いた。議論は、孟皇后(瑤華)の復位と、司馬光らの官位の回復を最優先にすべきだとした。陳瓘は当時、諫官の役所にいて、ただ一人こう考えた。「母后を幽閉して廃し、亡き宰相を追って降格したのは、彼らが名目を立てて行ったことで、小さな事ではない。今、元に戻そうとするなら、まず濡れ衣を明らかにし、無実の罪を雪ぎ、企んだ者を処罰して責め、そのうえで詔を出し、礼にかなって行うべきだ。そうすれば後の災いがないだろう。早く済ませたいと焦って後悔を残してはならない」。朝廷の議論は、公論が長く抑えられていたことから、人々の気持ちを早く晴らしたいと思い、すぐに実施した。崇寧年間になると、蔡京が権力を握り、建中年間の政治をすべて改めた。人々は皆、陳瓘の遠い見識に服した。
解説
この章句が説くこと
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