智囊 / 經務・張仁願・餘玠
朔方軍與突厥以河為境,時默啜悉眾西擊突騎施,總管張仁願請乘虛奪取漠南地,於河北築三受降城,首尾相應,以絕其南寇之路。六旬而成,以佛雲祠為中城,距東,西城各四百餘里,皆據津要,於牛頭朝那山北置烽堠千八百所。自是突厥不敢度山畋牧。〔馮評〕今皆棄為荒壤矣,惜哉!
新字:朔方軍与突厥以河為境,時黙啜悉衆西撃突騎施,総管張仁願請乗虚奪取漠南地,於河北築三受降城,首尾相応,以絶其南寇之路。六旬而成,以仏雲祠為中城,距東,西城各四百余里,皆拠津要,於牛頭朝那山北置烽堠千八百所。自是突厥不敢度山畋牧。〔馮評〕今皆棄為荒壤矣,惜哉!
書き下し
朔方軍は突厥と河を以て境と為す。時に默啜は衆を悉くして西のかた突騎施を擊つ。総管の張仁願は虚に乗じて漠南の地を奪取せんことを請い、河北に三受降城を築き、首尾相い応じ、以て其の南寇の路を絶たんとす。六旬にして成り、仏雲祠を以て中城と為し、東、西城を距つること各おの四百余里、皆な津要に拠る。牛頭朝那山の北に烽堠千八百所を置く。是れより突厥は敢えて山を度りて畋牧せず。〔馮評〕今は皆な棄てられて荒壌と為れり、惜しいかな。
現代語訳
朔方軍は突厥と黄河を境にしていた。そのとき默啜(突厥の可汗)は全軍を挙げて西の突騎施を攻めていた。総管の張仁願は、その虚に乗じて漠南の地を奪い取ることを願い出て、黄河の北に三つの受降城を築いた。頭と尾が互いに呼応し、突厥が南へ侵入する道を断つためであった。六十日で完成し、仏雲祠を中城とし、東城と西城とは各々四百余里離れ、いずれも渡し場の要衝に拠っていた。牛頭山・朝那山の北には烽火台を千八百か所置いた。これ以後、突厥は山を越えて狩猟や牧畜をすることがなくなった。〔馮夢龍の評〕今ではそれらがみな捨てられて荒れ地になってしまった。惜しいことである。
解説
この章句が説くこと
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