智囊 / 億中・李晟
〔馮述評〕初,吐蕃尚結贊惡李晟、馬燧、渾瑊,曰:「去三人則唐可圖也。」於是離間李晟,因馬燧以求和,欲執渾瑊以賣燧,使並獲罪,因縱兵直犯長安,會失瑊而止,尚結贊又歸燧之兄子弇,曰:「河曲之役,春草未生,吾馬飢,公若渡河,我無種矣,賴公許和,謹釋弇以報。」帝聞之,奪燧兵權。尚結贊之譎智,亦虜中之僅見者。
新字:〔馮述評〕初,吐蕃尚結賛悪李晟、馬燧、渾瑊,曰:「去三人則唐可図也。」於是離間李晟,因馬燧以求和,欲執渾瑊以売燧,使並獲罪,因縦兵直犯長安,会失瑊而止,尚結賛又帰燧之兄子弇,曰:「河曲之役,春草未生,吾馬飢,公若渡河,我無種矣,頼公許和,謹釈弇以報。」帝聞之,奪燧兵権。尚結賛之譎智,亦虜中之僅見者。
書き下し
〔馮述評〕初め、吐蕃の尚結賛は李晟・馬燧・渾瑊を悪み、曰く、「三人を去らば則ち唐は図るべし」と。是に於いて李晟を離間し、馬燧に因りて以て和を求め、渾瑊を執えて以て燧に売り、並びに罪を獲しめんと欲し、因りて兵を縦ちて直ちに長安を犯さんとし、会たま瑊を失いて止む。尚結賛又た燧の兄の子の弇を帰して曰く、「河曲の役、春草未だ生ぜず、吾が馬は飢う。公若し河を渡らば、我に種無からん。公の和を許すに頼り、謹んで弇を釈して以て報ゆ」と。帝、之を聞き、燧の兵権を奪う。尚結賛の譎智は、亦た虜中の僅かに見る者なり。
現代語訳
〔馮夢龍の評〕はじめ、吐蕃の尚結賛は李晟・馬燧・渾瑊を憎み、「この三人を除けば唐は攻め取れる」と言った。そこで李晟を離間し、馬燧を通じて和睦を求め、渾瑊を捕らえて馬燧に責任を負わせ、二人とも罪に陥れようとした。さらに兵を放って長安を直接襲おうとしたが、瑊を取り逃がして中止した。尚結賛はまた馬燧の兄の子の弇を送り返して言った。「河曲の戦いのとき、春の草がまだ生えず、わが馬は飢えていた。公がもし河を渡っていたら、われらには子孫も残らなかっただろう。公が和睦を許してくれたおかげで、謹んで弇を釈放して報いる」。皇帝はこれを聞き、燧の兵権を奪った。尚結賛の狡猾な知恵は、異民族のなかでも稀に見るものである。
解説
この章句が説くこと
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