智囊 / 億中・韋孝寬
韋孝寬鎮玉壁,念汾州之北、離石以南,悉是生胡,抄掠居人,阻斷河路,而地入於齊。孝寬欲當其要處置一大城,乃於河西征役徒十萬,甲士百人,遣開府姚岳監築之。岳以兵少為難,孝寬曰:「計成此城十日即畢,彼去晉州四百餘里,一日創手,二日魏境始知。設令晉州徵兵,二日方集,謀議之間,自稽三日,計其軍行,二日不到,我之城隍足為辦矣。」乃令築之。又令汾水以南,傍介山、稷山諸村,所在縱火。齊人謂是軍營,遂收兵自固。版築克就,卒如孝寬言。
新字:韋孝寛鎮玉壁,念汾州之北、離石以南,悉是生胡,抄掠居人,阻断河路,而地入於斉。孝寛欲当其要処置一大城,乃於河西征役徒十万,甲士百人,遣開府姚岳監築之。岳以兵少為難,孝寛曰:「計成此城十日即畢,彼去晋州四百余里,一日創手,二日魏境始知。設令晋州徴兵,二日方集,謀議之間,自稽三日,計其軍行,二日不到,我之城隍足為辦矣。」乃令築之。又令汾水以南,傍介山、稷山諸村,所在縦火。斉人謂是軍営,遂収兵自固。版築克就,卒如孝寛言。
書き下し
韋孝寛、玉壁に鎮し、念えらく、汾州の北、離石以南は、悉く是れ生胡にして、居人を抄掠し、河路を阻断し、而して地は斉に入る。孝寛、其の要処に当たりて一大城を置かんと欲し、乃ち河西に於いて役徒十万、甲士百人を征し、開府姚岳を遣わして之を監築せしむ。岳は兵少なきを以て難と為す。孝寛曰く、「計るに此の城を成すこと十日にして即ち畢わらん。彼は晋州を去ること四百餘里、一日手を創むれば、二日にして魏の境始めて知る。設令い晋州が兵を徴せば、二日にして方に集まり、謀議の間に、自ら稽ること三日、其の軍行を計るに、二日にして到らざれば、我が城隍は辦ずるに足る」と。乃ち之を築かしむ。又た汾水以南、介山・稷山諸村に傍いて、所在に火を縦たしむ。斉人は是れ軍営なりと謂い、遂に兵を収めて自ら固む。版築克く就り、卒に孝寛の言の如し。
現代語訳
韋孝寛は玉壁に鎮守して考えた。汾州の北、離石より南は、すべて異民族が住み、住民を略奪し、黄河沿いの道を遮断していて、しかもその土地は斉の領土に入っている。孝寛はその要所に大きな城を築こうとし、黄河の西から労役の人夫十万と兵士百人を徴発し、開府の姚岳に監督して築かせた。岳は兵が少ないことを困難とした。孝寛は言った。「計算すると、この城は十日で完成する。彼らは晋州から四百里余り離れており、一日目に工事を始めれば、二日目に魏の境でようやく知るだろう。たとえ晋州が兵を集めても、二日でやっと集まり、協議の間に自ら三日遅れ、軍が行軍して二日でも着かないとすれば、我々の城壁は完成するに足りる」。そこで築かせた。さらに汾水以南の介山・稷山の諸村のあたりで、あちこちに火を放たせた。斉の人々はそれが軍営だと思い、兵を収めて自らの守りを固めた。築城は成り、結局孝寛の言ったとおりになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』武案・韋孝寬魏の韋孝寛、玉壁に鎮す。高歓、山東の衆を傾けて来攻し、営を連ぬること数十、直ちに玉壁城下に至る。城南に土山を起こし、之に乗じて城に入らんと欲す。城上に先に両楼有り、土山に直対す。孝寛、更に木を縛りて之に接ぎ、極めて高からしむ。歓遂に城南に於いて地道を鑿ち、又た城北に土山を起こし、攻具は昼夜息まず。孝寛、長塹を掘り、戦士を簡びて塹に屯せしめ、穿ちて塹に至る毎に、戦士輒ち之を擒殺す。又た塹外に柴を積み火を貯え、敵人の地道に在る者有らば、便ち柴火に於いて、皮排を以て之を吹く。火気一たび衝けば、咸な即ち灼爛す。城外又た攻車を造り、車の及ぶ所、摧毀せざる莫し。排楯有りと雖も、亦た能く抗する莫し。孝寛、布を縫いて幔と為し、其の向かう所に随い、布を空中に懸けしむ。車壊すこと能わず。城外又た松を竿に縛り、油を灌ぎ火を加え、以て布を燒き楼を焚かんと欲す。孝寛、長鉤利刃を作らしめ、火竿一たび来たらば、鉤刃遙かに之を割く。城外又た四面に地を穿ち、二十一道を作り、分かちて四路と為し、其の中に各おの梁柱を施し、油を以て柱に灌ぎ、火を放ちて之を燒く。柱折れ、城並びに崩陥す。孝寛、其の崩るる処に随いて、木柵を豎てて以て之を捍ぐ。敵終に入るを得ず。歓の智勇倶に困しみ、因りて疾を発して遁去し、遂に死す。
-
『智囊』權奇・楊雲才楊雲才は心計多し。每に繕修有れば、略ぼ意を以て之に指授し、人は為す所を知らず。成るに及び、始めて其の精妙に服す。荊州同知為りし日、郡城の改拓に当たり、銭穀の額は已に成命有り、而るに台使者、檄下して、二尺許りを増さんと欲す。監司、守令に謀り、稍や故額を益さんと欲す。雲才、進みて曰く、「某に別画有り、一銭を費やすを煩わさず」と。次日、馳せて陶所に至り、其の模を取りて献ぜしむ。怒りて曰く、「佳からず」と。尽く之を砕き、己の制する所の模を出して之に付して曰く、「第だ式の如く之を為せ」と。諸人、其の式を視るに、以て異なる無し。然れども雲才、実に中に於いて陰かに溢すこと二分許り、之を積みて増す所の数の如きを得たり。城成り、其の故を白す。監司、乃ち大いに服す。〔評〕磚は厚きも陶者は知らず、城は増すも主者は費やさず。心計の妙、思神に侔し。
-
『智囊』經務・張仁願・餘玠朔方軍は突厥と河を以て境と為す。時に默啜は衆を悉くして西のかた突騎施を擊つ。総管の張仁願は虚に乗じて漠南の地を奪取せんことを請い、河北に三受降城を築き、首尾相い応じ、以て其の南寇の路を絶たんとす。六旬にして成り、仏雲祠を以て中城と為し、東、西城を距つること各おの四百余里、皆な津要に拠る。牛頭朝那山の北に烽堠千八百所を置く。是れより突厥は敢えて山を度りて畋牧せず。〔馮評〕今は皆な棄てられて荒壌と為れり、惜しいかな。
-
『智囊』武案・許逵許逵は河南固始の人なり。樂陵に令たり、期月にして令行われ禁止む。時に流賊の勢い熾んなり。逵、預め城を築き隍を濬え、貧富均しく役せしめ、月を逾えて成る。又た民をして各おの牆を築かしめ、高さは屋簷に過ぎ、仍りて牆に竇を開くこと圭のごとくし、僅かに一人を容るるべくす。家ごとに一壮丁をして刀を執り、竇の内に俟たしめ、其の余の人は皆な隊伍に入る。令して曰く、「吾が号令を守り、吾が旗鼓を視よ。違う者は軍法に従わん」と。又た巷中に伏を設け、城門を洞開す。未だ幾ばくならずして、賊果たして至る。火も施す所無く、兵も加うる所無し。旗挙がり伏発し、尽く之を擒斬す。愚謂えらく、近城の要地は、皆な当に此れに倣いて牆を立つべし、寇をして城に臨まざらしむべし。
-
『智囊』經務・丁謂祥符中、禁中に火あり。時に丁謂は営みて宮室を復するを主り、土を取ること遠きを患う。公、乃ち命じて通衢を鑿ち土を取らしむ。日ならずして皆な巨塹と成り、乃ち汴水を決して塹中に入れ、諸道の竹木の牌筏及び船の雑材を運ぶものを引き、尽く塹中より入り、公門に至りて事畢る。却って拆棄の瓦礫・灰壌を以て塹中に実し、復た街衢と為す。一挙にして三役済み、費を省くこと億万を以て計う。〔馮評〕此の公は尽く心計あり。但だ相の才にあらざるのみ。故に曰く、「人は大受すべからずして小知すべし」と。
-
『智囊』靈變・曹瑋・張濬曹武穆瑋は渭州に知たり、号令は明肃にして、西人は之を憚る。一日、方に諸将を召して飲む。会々叛卒数千が賊境に亡奔する有り、候騎報じて至る。諸将は相い視て色を失う。公は言笑すること平時の如く、徐ろに騎に謂いて曰く、「吾が命なり。汝は顕らかに言う勿れ」と。西人は聞き、己を襲うと以為い、盡く之を殺す。統制の酈瓊は呂祉を縛り、叛きて劉豫に帰す。張魏公は方に宴す。僚佐の報至り、満座色を失う。公は色変えず、楽飲して夜に至り、乃ち蠟書を為り、死士を遣わして瓊に持遣せしむ。言う、「事、成るべくんば之を成せ。成るべからずんば、速やかに軍を全うして以て帰れ」と。虜は書を得て、瓊を疑い、その衆を分隷して之を困苦せしめ、辺は賴りて以て安し。〔述評〕此れ即ち馮睢が宮他を殺すの智なり。西周の宮他は東周に亡げ、盡く国情を以て之に輸す。西周君は大いに怒る。馮睢曰く、「臣は能く他を殺さん」と。君は金三十斤を予う。睢は人をして金と書を操りて宮他に問遺せしめ、云云す。東周君は宮他を殺す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る